第8話 タレントとマネージャーで大事なのは信頼関係だよ
翌日、ライブ会場に湊と夏樹は電車で向かった。
湊はライブが出来るのが嬉しいのか、鼻歌まじりだ。
「今日の歌い終わった後にちゃんとYouTubeとインスタとXのフォローしてほしいって言ってよ?」
「おー、わかってる」
「あと今回のライブを撮影してYouTubeにあげるから。ちゃんと前に選んだ服持ってきたよね?」
「え?」
「え?って持ってきてない!?今日それで歌うつもりなのか!?」
蛍光オレンジのだぼっとしたスエット生地のトップスに黒のズボン、足元は妙に厚底のスニーカーだ。
もちろん、トップスには正面に大きくESCAPEと書かれている。
「どうしていつもGOTOHEVENとかESCAPEとか文字入ってるの買うんだよ」
「イケてるだろ?」
「・・・もういい。取りに戻る時間はないから、ライブまでに俺がその辺で服買ってくる」
「そんなにこの服変か?」
不服そうにつぶやく湊の声を聞こえないふりして、夏樹は目を閉じた。
(ス〇ラトゥーンのコスプレか何かかと思ったわ)
会場に着くと、短い時間だが音合わせをさせてもらえる。
湊もうきうきとステージに上がり、歌っている。
湊の歌が会場に響き渡る。
(やっぱ歌は上手いんだよな)
曲によって爽やかになったり、優しくなったり、温かみがあったりと本人がどこまで意識しているかわからないが声が変わる。
才能なんだろう。
音合わせが終わると、出番まで間に夏樹は服を買いに出て、ぎりぎりで服を着替えさせて、湊をステージへ向かわせた。
お客さんの入りは上々だ。
今日のラストは、最近メジャーデビューしたバンドだ。
多くの人がそのバンドのグッズを持っているので、そのファンが多く来ているようだ。
どう考えてもアウェー感がある。
バンドのファンからしたら早く推しのバンド出てこいといった気持ちだろう。
その隙間をぬって夏樹は撮影しやすい場所へスタンバイし、録画ボタンを押した。
イントロが流れ、スポットライトが当たり、ステージの真ん中に湊が立っている。
今回はバラードをメインにと言われているので、シックな服を安く買ってきたが、元がいいから着こなしている。
(合計で10000円しないようには見えないな)
切ないメロディのイントロが流れる。
湊が歌い始めるとお客が息をのむのがわかる。
湊が作詞作曲した失恋ソングだ。
失恋した切ない女の子の気持ちをイメージした曲になっている。
どうしてすれ違ってしまったのか、相手への気持ちを忘れられない切ない恋心が上手く表現されている。
最後の1音までお客は揺れたり、目を閉じたりしながら聞いていた。
完全にライブ会場を掌握したような一体感だ。
湊が売れれば、自分の未来も切り開ける。
正社員になれば家族の立場も改善されるし、なんなら家を出て自由になれる。
夏樹は改めて絶対正社員になって自由になると決意を固めた。
そんな中、「えっと、最後になんですけど、インストとYouTubeとエッケスやっているので、見てください」と盛大に嚙んで、湊はステージを降りていった。
お客さんがクスクス笑っている。
大事なところで噛むとは・・、と一抹の不安を覚えつつ、夏樹は録画を停止した。
「フリーライブしたいんですけど、どうでしょうか?」
夏樹は少し声を震わせながら、社長の仁川に意見を出した。
「フリーライブねぇ・・・」
「人が集まる見込みもないのに場所代で赤字になるわね」
神崎川が厳しい目でこっちを見ている。
今日は月に2度行われる会議の日だ。
それぞれ受け持ちのタレントについての報告と今後の展開について話し合うのだ。
小規模な会社なのでお互いの業務を把握し、時には助け合う必要があるので、ここで考えを共有しておくという意味合いもある。
「もう少しSNSの登録者が増えてからやる方がいいかもね~」
「やっぱりそうですよね・・・」
夏樹は一応提案したものの、却下されるのは想定内だった。
「まずはSNSでライブ配信とかしてみたらどうだ?そこでどれくらい集まるか見てみろよ」
今津の提案に「お金かからないしいいわね」「まずはそれがいいかもね~」と他も賛同しているが、夏樹はやりますと言いかねていた。
あの地獄の動画を思い出すととてもじゃないが生配信に耐えられるとは思えない。
「いやぁ、生はちょっと難しい気はしますけどね・・」
「じゃあライブ配信で様子見ってことで、じゃあ次は塚口」
仁川の一言で強制的に話は終わり、ライブ配信を進めることになってしまった。
“「お、俺?ぼ、僕?は、かかかかか、歌手です」”
“「どこがだよ!!」”
(あの動画再びか・・・)
夏樹はこの恐怖のライブ配信を想像するだけで、頭が痛くなった。
「あのさ、言ってたよね?湊はカメラが苦手だって」
会議の後、塚口を呼び止めた。
「あぁ、うん。中津君には聞いてないの?」
「まだ聞けてなくて・・・というか触れていいのかと思って」
「ねぇ、なっちゃん」
塚口は両手で夏樹の肩を掴んだ。
「タレントとマネージャーで大事なのは信頼関係だよ。ちゃんと自分で聞くべきだ」
そういうと、塚口はフッと笑って去っていった。
「語尾伸ばさなくても話せるんじゃねぇか」
夏樹は、スマホで湊の連絡先を呼び出した。
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