第45話 すれちがい その3
学校の教室。昼休みの鐘が鳴り響き、ざわめく教室内で、葵と梨香が机に向かい合って座っていた。教室の隅では、他の生徒たちが楽しそうに談笑している。梨香は、小さなため息をつきながら口を開いた。
「結衣さんとの話、全然進展がないんだよね…」
葵は眉をひそめ、心配そうに梨香を見つめた。
「そっか…でも、梨香ちゃんがいてくれるだけで、お兄ちゃんは本当に助かってると思うよ。」
「うん、でも何かできることがないかって考えちゃう。結衣姉、何か話してくれるかと思ったけど、やっぱり『時間が欲しい』の一点張りで…」
梨香の声には、もどかしさと焦りが滲んでいた。結衣との話し合いが進まない状況が、二人をさらに苦しめているようだった。
一方で、大輔は自分の席に座り、目の前でクラスメイトたちと楽しそうに笑い合う結衣を遠くから見つめていた。その姿を見るたびに、胸が締め付けられるような感覚に襲われ、目をそらさずにはいられなかった。
(もう、前のように戻ることはできないのかな…)
心の中で呟き、彼はそっと席を立つ。休み時間や昼休みになると、大輔は自然と教室から離れるようになった。向かった先は、静かな図書室か、屋上へと続く階段の手前。誰もいない場所で、一人静かに過ごすことが、少しでも彼の心を落ち着ける時間だった。
それでも、大輔を支えていたのは、葵や梨香の存在だった。放課後になると、二人は彼を待っていてくれて、一緒に帰る時間を作ってくれた。そんな小さな支えが、彼の崩れそうな心を何とか繋ぎ止めていた。
夕暮れ時。大輔はいつものように、神社の境内で夕陽を見つめていた。赤く染まった空に、少しずつ夜の帳が下りてくる時間帯。静かな空気に包まれ、彼は一人で思いに耽っていた。
その時、ふいに石段を上がってくる足音が聞こえた。石段を見つめていると、そこには結衣の姿があった。彼女もまた、夕陽を背に受けながら、ゆっくりと階段を登ってくる。
「浅見さん…」
大輔は驚きつつも、思わず彼女の名前を口にした。結衣は、少し戸惑ったように彼を見つめた後、静かに微笑んだ。
「偶然だね、大輔君。」
「…うん、そうだね。」
少しの沈黙が二人の間に流れる。大輔は、彼女に言わなければならない言葉を、勇気を振り絞って口にした。
「浅見さん、僕…何か君を傷つけるようなことをしてしまったのなら、本当にごめんなさい。前のように、気楽に話せる関係にはもう戻れないのかな?もし僕が何か悪いことをしていたのなら、謝りたいんだ…」
その言葉を聞いた結衣の表情が一瞬曇り、彼女は目を伏せた。
「別に…大輔君に傷つけられたわけじゃないの。何もされてないよ。」
「なら、なんで…?」
大輔の問いに、結衣は少し戸惑いながらも、意を決したように言葉を紡いだ。
「だって…大輔君、隣のクラスの鈴木美香さんに告白しようと手紙を書いてたでしょ?それで、私たちがあまり仲良くしない方が誤解を生まないかなって思って、距離を取ってただけ…」
「えっ…?ぼ、僕が…?」
突然の告白に、大輔は驚き、言葉を失った。自分がそんな手紙を出した覚えは全くない。何かの誤解だと説明しようと口を開きかけたが、そこでふと西園寺との約束が頭をよぎった。
(西園寺君に口止めされてたんだった…)
その瞬間、大輔は何も言えなくなってしまった。結衣の誤解を解きたいと思ったが、西園寺との約束を守るためには、言葉を飲み込むしかなかった。
ただ一つ、彼の中で唯一の救いは、結衣が自分を誤解しているだけで、自分が彼女を傷つけていないことがわかったことだった。
「そっか…ありがとう、浅見さん。それなら、少しは安心したよ。」
大輔は精一杯の笑顔で答えたが、その笑顔にはどこか寂しさが滲んでいた。結衣もまた、何か言いたげな表情を浮かべながら、ただ静かに頷くだけだった。
二人の間に、かつてのような気楽な会話は戻らず、ただ沈黙が流れていた。
その沈黙の中、大輔は夕陽を見上げ、心の中で複雑な思いを抱えながら立ち上がった。彼は結衣に軽く頭を下げ、静かに神社の階段を下りていった。結衣もまた、その背中を見送りながら、どこか遠くを見るような目で、彼の姿を見つめ続けていた。
夕陽が完全に沈む頃、神社の境内には静かな夜の気配が漂い始めていた。
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