最終話 春が来る

 ぱり、ぱり、と美しい破片が錦の布団の上に散る。

 月藍ユェランの見守る赤子用の寝台には、大人の一抱えほどもある龍珠が置かれている。

 丸々と肥えた珠の五色に輝く表面には、無数のひび割れ。

 細かく走るそれらは、複雑で美しい文様を織り成していた。

 珠へ耳を寄せると、内側からかりかりと引っ掻く音が聴こえる。

 珠の中の子が、生まれてこようとがんばっている証の音だ。


「もうそろそろか」


 龍暁ロンシャオが、そわそわと寝台を覗き込んできた。

 彼は今日は早々に仕事を投げ出して、月藍ユェランとともに娘の誕生を待ち構えている。

 普段ならサボりに厳しい龍輝ロンフェイも、今日ばかりは許してくれたようだ。

 もうずっと子供のために用意した部屋に籠もっているが、仕事を持って追いかけてくる家臣は現れていない。


「うん、さっきから罅が目に見えて大きくなっているからな」

「ああ、確かにこの辺りはかなり裂けてきたな」

「ほんとだ。あ、ここ見てみろ、大きな破片が剥がれそうだ」

「すごいな、これなら生まれてくるのも早いんじゃないか?」


 珠を前に、二人は止めどなく語り合う。

 初めての我が子の誕生を前に、いつになくどちらも興奮していた。


 月藍ユェランが拐かされてから、三年が経とうとしていた。

 龍暁ロンシャオの手により寸でのところで奪還されて事なきを得たが、後の始末がとても大変だった。

 経緯はどうあれ、白麓パイルー龍玄ロンシェンを裏切った形になったのだ。

 龍輝ロンフェイ龍暁ロンシャオも怒り心頭で、いっときは絶縁すら検討されたが、月藍ユェランの取りなしでそこまでは至らなかった。

 龍暁ロンシャオ月藍ユェランの家族や友人など、良識的な者も白麓パイルーにいることを知っていたことも良い方向へ働いた。

 妻に甘い龍暁ロンシャオは、彼らと月藍ユェランを二度と会えなくしてしまうことにためらってしまったのだ。

 結果として龍玄ロンシェン白麓パイルーへ、月藍ユェラン誘拐の幇助をした族長たちの処罰と幾ばくかの賠償を要求するに留めた。

 それだけでも白麓パイルーの一族にしてみれば痛い話だが、更に深刻な問題までもが発生した。

 中原との取引を失敗したせいで、龍珠の実在を周辺一帯の欲深い者たちに教えてしまったのだ。

 あの都市には龍珠がある、侵略してしまえば思いのまま手に入る。

 そんな噂が駆け巡り、欲に満ちた者たちがあの手この手で白麓パイルーの街に集り始めた。

 珠の原産地である玄山シェンシャンは、精強な兵と武力で鳴らしている一族だ。

 直接攻める度胸はないが、龍玄ロンシェンの同盟者である比較的弱い白麓パイルーとなれば話は別だ。

 占領して傀儡にしてしまえば、龍珠を独占できるかもしれない。

 そう目論む輩が大量に発生したのだ。

 龍玄ロンシェンへ助けを求めようにも、月藍ユェランの件で気不味い空気がある。

 積極的に助けを求めることができないまま周辺の勢力に翻弄された末、白麓パイルーは平原を支配する朱鷹ジュインの一族の傘下へ組み込まれた。

 せめてもの救いは、朱鷹ジュイン月藍ユェランの妹が駆け落ちした先だったことか。

 彼らを纏める単于の世嗣が、月藍ユェラン奪還の際に龍暁ロンシャオに手を貸したという縁もあった。

 白麓パイルーの上層部よりは信用できるとの判断がなされ、盟約の形はこれ以降、彼ら朱鷹ジュイン龍玄ロンシェンが主体となっていくこととなる。

 そうした後始末が一通り終わったころ、月藍ユェランは珠を一つ産み落とした。

 汚されかけた身を丁寧に龍暁ロンシャオによって清められ、骨の髄まで愛されて。

 その末のことだった。

 今まで産み落としたどの珠よりも大きく、仄かな燐光を発するそれは、誰もが待ち望んでいたもの。

 つまり、龍暁ロンシャオ月藍ユェランの子が宿る珠だったのだ。

 同性の番いは、その身に子を宿す宮がない。

 だから代わりに珠に二人の精を溶け合わせて、子を宿した珠を産む。

 龍珠はその珠を産める身体になる準備段階の副産物だと、この時月藍ユェランは初めて知った。

 珠を産んでからは、より目まぐるしく時は流れていった。

 珠が大きくなるに従って乳を出せるように変化してゆく身体に戸惑ったり、生まれてくる子のための物や人の準備に奔走させられたり。

 とんでもない忙しさだったが、なんとか龍暁ロンシャオと二人で乗り切った。

 子がちゃんと生まれてくるか、男でありながらちゃんと母になれるか。

 不安に沈む日もあったが、龍暁ロンシャオが支えてくれた。

 そうして迎えた、今日この時だ。言葉に表せない感動が、刻一刻と重なっていく。


ラン


 龍暁ロンシャオ月藍ユェランの肩を抱いた。されるがまま、月藍ユェランは彼に身を預ける。

 二対の瞳が、はらはらと珠から剥がれる五色の破片を見つめる。

 珠の中央に、亀裂が走る。内側から破られる音が、次第に大きくなっていく。

 ぱりん、と薄い玻璃を砕くにも似た音とともに、とうとう珠が二つに割れた。

 月藍ユェランたちが珠の割れ目を覗き込む。

 割れた珠の残骸の真ん中に、小さな赤子が横たわっていた。


「ほぎゃ……、あぁぁぁあ、ふあぁぁあっ」

 間を置かず、赤子が勢いの良い産声を発した。

 ふぎゃふぎゃと泣く子を、月藍ユェランがそっと抱き上げる。

 小さな、けれども確かな温もりと重み。涙が自然と溢れてくる。


シャオ


 傍らの龍暁ロンシャオの目も、月藍ユェランと変わらないほど潤んでいた。


「生まれた、生まれてきたよ」

「ああ」


 龍暁ロンシャオが震える指を赤子に差し出す。

 小さな手が、きゅぅ、と無骨な爪先を握った。


「お前の名は、玉芬ユーフェンだ。健やかに、ランのように美しく育ちますように」


 龍暁ロンシャオが、静かに囁く。

 その名は二人で決めていた、赤子への最初の贈り物だ。

 ふにゃふにゃと泣く玉芬ユーフェンの表情はまだわからないが、きっと喜んでくれているに違いない。


玉芬ユーフェン、生まれてきてくれてありがとう。お前の生が幸福に満ちたものでありますように」


 赤らんだ頬を指で撫ぜ、月藍ユェランも言祝ぎを口にする。

 そうして龍暁ロンシャオと顔を見合わせて、どちらともなく微笑みを交わす。


 龍玄ロンシェンの山に、新しい春がめぐってきた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

身代わりの花婿は掌中の珠 笹倉のり @sskrnr753

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画