第20話 里帰り
道行きは相変わらず順調で、予定よりも早く到着することができた。
今回の里帰りはツいている。早く街にたどり着けたし、何より土産がたっぷりある。妹夫妻から預かった羊肉や
そして、
だから、
結婚したばかりの頃はともかく、今の
彼の頼もしい夫っぷりを間近で見せることができれば、母の不安も少しは減らせるはずだ。そうすればきっと、何よりの親孝行になると思う。
良い土産に、良い夫。すべてがそろった今回は、誰にとっても良い、楽しい滞在になるだろう。
そんな浮かれた気分で街に入ると、目抜き通りがざわついていた。
もとより
だが、今この状態は何かが違う。
よくよく観察してみて、通りに人の姿、特に女子供の姿が少ない事に
いつもの明るさが形を潜め、代わりに肌をチリチリとさせるような緊張が漂っているようだ。
「何が起きているんだろう?」
「さあ……」
「ひとまず実家へ行くか。あんたの母さんか姉さんに聞けば、事情を教えてくれるだろう」
「あ、そうだな。一番それが良いかもな」
街の住人である母や姉なら、確かな情報を持っているはずだ。
それに先ほどから、居心地の悪い視線も感じる。
余所者への当たりがきつくなるのは、良くないことが起きている時だ。
で、あるならば
そうと決まればと二人は
「まさかここに中原のやつらが来るなんてな」
友人の厩を早足で後にしながら、
聞いた友人の話によると、昨日妹のところで小耳に挟んだ中原の集団が、今まさに街に滞在しているらしい。
集団の中心にいる人物は、先年隣接する中原の地方に赴任した高官だという。
これがずいぶんと傲慢か強くの深い人物であり、前々から
高官は皇太子の後ろ盾である一族の端くれで、無駄に金とコネを持っている。
そのため中原の怒りを恐れて、
そんなただでさえ迷惑な者なのだが、今回の来訪は特に酷い。
何を考えてか、平素は城壁の外で待たせる約束の護衛兵を、無理やり街の中に入れさせたらしい。
幸い、まだ兵たちは族長の館周辺に待機して大人しくしているという。
だが彼らが武器を手放す様子を見せないことから、緊迫した空気が街全体を覆ってしまった。
一触即発、というわけではないがそれに近い。そう考えて街の人々が息を潜めて警戒しているから、この異様な静けさなのだそうだ。
「面倒な客と行き合ったものだ」
土産を入れた籠を背負い、
なんだかんだで街に来るのを楽しみにしていたのに、台無しにされた気分のようだ。
本当にな、と
母や姉夫婦とゆっくりしたかったが、長居しない方がいいかもしれない。
元々
中原の者たちの目に止まれば、何をされるかわからない。
しかも、
もし
「あんたの母さんの顔を見たら、夜に紛れてこっそり帰るぞ」
「それがいいな。後で私が厩へ戻って、手筈を頼んでくる」
「悪いな、頼んだ」
いいんだよ、と繋いだ手を軽く揺する。
申し訳なさそうに寄せられていた
「それにしても、
「さて、な。
「あの若様に? なんでまたそんな……」
「昨日あんたが酔いつぶれた後に聞いたんだがな。いつの妹に当たる
「奴隷狩り……」
その言葉に、思わず
中原の者は基本的に、中原以外の地に住む人間を異民族と蔑む傾向がある。
平素はあまり乱暴なことはしてこないが、時折思い出したように中原以外の地を侵して人や物を奪うことがあるのだ。
「皇帝が離宮を建てたがっていて、その労働力がほしかったみたいだな。男も女も、老人以外は根こそぎ連れていかれたんだと」
「昨日おっしゃっていた不幸な若様の妹君って、もしかして」
「ああ、その支族に嫁いでいた姫だ。夫君が逃がしてくれて、命からがら実家に帰ってきたそうだ。それで可愛い妹の財産を略奪された報復ってことで、あいつは国境沿いの都市数ヶ所を派手に焼いて略奪し返したんだが──」
何と言えばいいか、凄まじい。とにかくすさまじくて、血なまぐさいの一言に尽きた。
血縁の結束が強く、血の掟が苛烈なことで有名な
顔を引きつらせる
「敵に回さなきゃ大丈夫だ」
「うん……」
「まあ、中原の方は皇位争いが起きているそうだからな。皇子の誰かの資金調達、なんて可能性もある。他にも思い当たる節がありすぎてわからん」
「つまりあれか。何であっても、どうせろくな理由じゃないってことだな」
うんざりと
元々中原の現王朝である
長く生きている
腐敗するのも、滅ぶのも構わないが、迷惑を撒き散らさないでほしい。
おちおち里帰りもできやしない。
「おや、
住宅街に入って、いくらもしない場所で声をかけられた。
振り向くと、すぐ側の道に面した家から老人が顔を覗かせていた。昔からよく知っている、商店街の顔役だ。
見知ったご近所さんの姿に、
「おじさん、こんにちは。ご無沙汰しています」
「久しぶりだね。里帰りかい?」
「ええ、母の顔を見に来たんです」
「孝行息子だねえ」
おっとりと老人に褒められ、
にこにこ顔の老人が、ちらりと
「ところで、そちらさんは誰かな?」
「ああ、彼は私の夫です」
「
「……長の甥です」
「それはそれは、よくいらっしゃいましたね」
挨拶を返してから、老人が何か思い出したような声を上げた。
「
「族長さんが? どんなことですか?」
「よくは知らんがね。取引したい品があるらしい。そうだ、よろしければ
突然の申し出に、
私用で来ているから断りたいところだが、
「なら、帰りにでも族長殿の元へ寄らせてもらう」
「今すぐは無理ですか? 大事な話だそうで、ことと次第によれば長引くやもしれませんから」
「悪いが、今日は
「でしたら私が
いいことを思い付いたとばかりに、老人がぽんぽんと手を叩く。
すぐに
不審そうな黒曜石の双眸が
「悪い、
「大丈夫なのか、これは」
「悪い人ではないし……」
ちらりと息子に
断りたいところだが、老人は商店街の顔役だ。下手に機嫌を損ねれば、実家の穀物商の仕事を引き継いだ義兄の仕事に差し障る。母や姉の生活のためにも、問題を起こしたくはない。
「仕方ないな」
「すぐ行って、帰ってくる。あんたは実家に閉じこもって待っていろ」
「
「……焼き飯」
「胡桃と羊肉の入ったやつだな、任せろ」
くすりと笑うと、頬を撫でられた。愛おしそうな手で触れられると、なんだか嬉しくなって不安な気持ちが軽くなった。
繋いだ手を強く握って、そっと離す。
しゃんと伸びた背中が道の角に消えるまで見送って、
「お待たせしました、おじさん」
「ははは、構わんよ。旦那さんとは仲が良いんだな」
「良くしてくれる人ですから」
「そうかそうか、じゃ、行こうかね」
のんびりと老人が歩き出す。彼に一歩遅れて、
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