第18話 むつごと

今宵も、やり遂げた。

息を吐いて、月藍ユェランはゆっくりと後ろで支えてくれていた龍暁ロンシャオに身を預けた。


月藍ユェラン、大事ないか」


 しっとりとした低い声が、ねぎらってくれる。甘えるように擦り寄ると、温かい手で髪を梳かれた。

 くすりと笑って、月藍ユェランは夫の太くなった首に腕を絡めた。


シャオ……」

「ん」


 唇を柔らかく吸われる。小鳥が嘴を重ね合わせるような戯れを繰り返して、どちらともなく微笑み合った。

 シーツに投げ出した脚の先に、こつん、と硬い物が当たる。視線を巡らせれば、産み落としたばかりの珠が幾つも転がっていた。


「だいぶ大きくなったな」


 珠を映す龍暁ロンシャオの双眸が優しい。

 うん、と月藍ユェランも頷いて、珠の一つを拾った。幼子の拳ほどの大きさの珠を、愛おしげに手のひらで包む。


シャオが、私を大切にしてくれているおかげだ」

「嬉しいことを言ってくれるな」

「ふふ、本当のことだからな」


 珠を包む手を龍暁ロンシャオの手に包まれる。

 その手のひらの大きさに、彼の成長を実感させられた。


 月藍ユェランが嫁いで五年。

 龍暁ロンシャオは、少年から青年へと成長を遂げていた。

 背はうんと伸びて、月藍ユェランとの差はかなり縮まった。細かった四肢へは筋肉が付いて、胸や胴は引き締まったまま厚みを増している。顔立ちも子供特有のまろみが失せ、年々輪郭の線が鋭さと硬さを帯びていっていた。


 龍暁ロンシャオは、雄になった。一人前の、凛々しい雄に。


 夫の成長が嬉しくて、そのたくましい左腕を飾る腕飾りの竜の鱗へ、すり、と頬を寄せる。

 温もりに月藍ユェランが目を細めていると、不埒な手が夜着の腰のあたりを這い始めた。


「ダメだ、今日はもう」

「……まだ、宵の口じゃないか」


 龍暁ロンシャオの喉が、不満げに喉を鳴る。


「俺はあんたを、堪能したい」

「そうしたいのは山々なんだけどや」


 不満げに寄せられた眉間に、白磁の指が添えられる。やわやわと皺を伸ばして、なだめるように口付けた。


「明日は夜明け前の出発だから。な?」


 わかってくれと唇を攫われ、ようやく龍暁ロンシャオ月藍ユェランから身体を離した。

 ずるずると寝台へ横倒しになり、帳の外へはみ出した足をぶらぶらと揺らす。不機嫌な猫の尾のような仕草に、月藍ユェランはつい笑ってしまった。


「近頃、白麓パイルーの街に降りてばかりだな」

「すまんな」


 不貞腐れた顔に掛かる髪を指で払いつつ謝る。

 龍暁ロンシャオの言うとおり、月藍ユェランはこのところよく白麓パイルーの街へ通っている。

 父を亡くして一人暮らしになった母が、去年あたりから体調を崩しているのだ。

 母は余命幾ばくもない、というわけではない。しかし病で気が弱ったのか、一度でいいからまた顔が見たいと玄山シェンシャン月藍ユェランへ手紙を送ってきた。街の実家に住んでいる一番上の姉夫婦に世話をされているが、埋めようがない心細さを抱えているらしい。

 母の求めに応じていいか、最初は月藍ユェランも迷った。月藍ユェラン龍玄ロンシェンに嫁いだ身だ。気軽に実家へ帰れる立場ではない。

 あれこれと悩んだ末に月藍ユェラン龍暁ロンシャオへ相談したところ、あっさり許された。

 月藍ユェランがきちんと親との別れを済ませていないことを、知っていたからだろう。会えるうちに会っておけ、と龍輝ロンフェイたちの説得や帰省の支度などを手伝ってくれた。

 けれど、近頃のような頻繁な帰省は少し甘えすぎだ。嫁としての自覚が足りていなかったな、と月藍ユェランはしゅんと肩を小さくした。


「別に、怒っているわけじゃない」


 気まずげに龍暁ロンシャオが身体を起こす。


「俺が許したんだ。納得はしている。だがな」

シャオ?」


 口籠る龍暁ロンシャオの顔を覗き込む。

 平素は堂々としている彼にしては珍しい。見つめて言葉を待つことしばらく。たっぷりと黙り込んでから、真一文字の唇がそっと開いた。


「……あんたが俺と過ごす時間が減ったのが、口惜しくて」


 ぼそぼそと言って、龍暁ロンシャオは口を閉じた。黒檀色の髪から覗く耳が、真っ赤になっている。

 こんな龍暁ロンシャオは、本当に珍しい。月藍ユェランは銀灰の目を溢れそうなほど丸くした。

 妻の驚いた顔に、龍暁ロンシャオは顔をしかめて背を向けてしまった。余計に恥ずかしくなったらしい。


しゃおちゃーん」


 裸の背中に、ぽすんと月藍ユェランはしなだれかかった。

 龍暁ロンシャオの衣の龍と目が合う。技巧を凝らされた刺繍の龍眼が、心無しか拗ねているように見えた。

 なんだかおかしくなって、笑ってしまう。


「じゃあさ、明日は一緒に山を降りてくれるか?」


 肌の下が、ぴくんと震える。わかりやすい反応が可愛らしい。意識して甘えた声を出して、月藍ユェランはおねだりしてみた。


「私もシャオと離れるのは、嫌だなって思っていたところなんだ。一緒に行ってくれると嬉しいなあ」

「そうなのか?」


 龍暁ロンシャオが振り向く。琥珀色の瞳が、わかりやすく輝いている。

 まるでお菓子を差し出された子供のようだ。

 声を出して笑いたいのを堪えて、うんと月藍ユェランは頷いてみせた。


ランが、そう言うなら」

「付いてきてくれるのか?」

「ああ」

「お前はいいやつだよ、シャオ!」


 満面の笑みを浮かべて、月藍ユェラン龍暁ロンシャオにぎゅっと抱きつく。

 抱き返してくれる腕の力が、いつもより強い。表情には出していないが、龍暁ロンシャオもとても喜んでいるようだ。


「母さんや姉さんに伝書の鳥を送っておくからな。シャオが行くって知ったら、きっと喜ぶよ」

「だといいが」

「ふふ、大丈夫さ」


 だってうちの旦那様は、こんなにも格好良くて可愛い人なのだから。

 自信を持って、と月藍ユェラン龍暁ロンシャオの頬に口付ける。

 そうして、暖かい腕の中で幸せそうに目を閉じた。

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