第13話 盗み聞き

 草の合間を、雌の雉がおっとりと歩いていた。特に警戒した様子もなく、餌を探してか足元を小突いている。

 好都合だ、と龍暁ロンシャオは木の陰から矢をつがえた。

 呼吸を整え、目と指に意識を集める。雉が顔を上げる。しゅっ、と呼吸を引き絞ると同時、矢柄から指を放した。

 解き放たれた矢が風を裂く。鋭い矢尻が逃げかけた雉の首元へ吸い込まれる。キィ! と、ひときわ高い断末魔が響いた。


「よしっ」


 木の陰から飛び出し、雉を回収する。

 改めて見ると、よくよく肥えた雉だ。冬に向けて溜め込んだであろう肉が厚く、さぞかし食べごたえがあるだろう。谷を越えて探しにきた甲斐があった。


(きっと、月藍ユェランも喜ぶ)


 妻の顔を思い浮かべると、ふわふわ胸が温まる。

 ホンに押し付けられて渋々出た食料調達だが、妻のためになると思えば悪くない気分だ。鼻歌まじりに龍暁ロンシャオは雉の血抜きをして、先に仕留めていたもう二羽とまとめて抱えた。

 少しばかり重いが気にしない。自ら捕らえた獲物だし、何より月藍ユェランの口に入る予定のものだ。疎かな扱いはできない。


「うっ」


 とはいえ、少し欲張りすぎたかもしれない。腕がいっぱいになって、思いの外歩きにくい。

 成長の遅い我が身を恨めしく思いながら、やっとのことで背負い籠を置いた場所まで戻った。

 雉を背負い籠にしまってから、持ってきた水の入った皮袋を傾ける。たっぷり働いた後の水は美味い。

 ちらりと空を見ると、まだまだ太陽は高い位置にあった。もう少しいいかと自分を納得させ、龍暁ロンシャオは手近な木にもたれて一服を付けることにした。

 手早く火打ち石で火口の用意をする。火口から付け木に移した火を、刻んで乾燥させた薬草が詰まった煙管の火皿に落とした。

 吸い口に口をつけ、ゆったりと吸う。濃厚な口当たりと爽やかな後味がたまらない。

 月藍ユェランがいるといい顔をされないから、今のうちにたんと楽しんでおこう。

 龍暁ロンシャオの妻は、喫煙に否定的だ。特に龍暁ロンシャオが煙管を咥えると、健康に良くないと目くじらを立ててくる。

 たぶん、龍暁ロンシャオの身体が実年齢より幼いせいだろう。ちゃんと成人しているのに、と紫煙とともに不貞腐れたため息を吐く。

 だが、月藍ユェランの小言が嫌なわけではない。耳に痛いことを言うのは、気持ちが近づいた証拠だ。月藍ユェランときちんと夫婦になりたい龍暁ロンシャオにしてみれば、歓迎すべきことだった。

 龍暁ロンシャオ月藍ユェランは三月前に結婚した。

 しかしそれは形だけのことで、いまだ月藍ユェランの方の気持ちが追いついていない。ときどき月藍ユェランは不安げな顔を見せるし、閨の中では怯えることすらある。

 原因は見当が付いていた。下界と玄山シェンシャンの者の体の仕組みの違いや、龍の血脈に月藍ユェランを馴染ませるため産ませている珠のことだ。

 それらが月藍ユェランの心の安定を損ねている。だから龍暁ロンシャオは、妻をよくよく気遣ってきた。

 龍暁ロンシャオは、月藍ユェランを好いている。

 一目惚れだった。月明かりを紡いだような薄い金の髪や薄い雲のような銀灰色の瞳は気に入っているし、閨で薄紅の梅花のように染まる美貌や肢体は特に美しい。

 朗らかでどこかうぶな人柄も実に好ましく、共にありたいと思うに足る花嫁だ。何が何でも側に置きたくて、全力で尽くして心を溶かそうと必死になっていた。

 でも、それがなかなかうまくいっていない。前述の通りいまだ怯えられているし、時に困った顔をされることもしばしばだ。

 それを証明するかのように、月藍ユェランが産む龍珠も大きくならない。上手く情が深められていないのだ。


(どうしたものか)


 煙管を咥えたまま、思考に沈む。まさか三月みつきも珠が大きくならない、つまり心の距離が縮まらないとは予想もしていなかった。

 このままでは、子が成せない。親を早くに亡くして兄弟の無い龍暁ロンシャオは、血脈を増やす義務がある。月藍ユェランが孕んでくれないと、いずれ山から降ろさなくてはならなくなる。


(それは、絶対に嫌だ)


 子を持つなら、相手は月藍ユェランでなくては嫌だ。月藍ユェラン以外とは添いたくない。

 龍は唯一無二の宝珠を持つという。ならば龍の末裔である龍暁ロンシャオの宝珠は、月藍ユェランだ。絶対に、手放したくはない。

 どうすれば、月藍ユェランは心を解いてくれるのだろう。考えても、考えても答えが出ない。


「………、…、……」

「……、ホン殿は、……」


 林の奥から、声が聞こえる。

 ハッと思考の底から意識を浮上させて、龍暁ロンシャオは立ち上がった。

 煙管の火を消し、そっと気配を殺して声の方へ足を向ける。広くない林の小道の側に辿り着くと、声がとても近くなった。木と繁みの陰に隠れて様子を窺う。

 谷の方から、歩いてくる人影が二つ。目を凝らさなくても誰かわかった。


ホン、あいつ……」


 愛しい妻と笑い合う変人の再従兄弟を睨む。彼らは揃って背負い籠を背負って、仲良さげに歩いていた。

 何故だか、無性に苛立つ。月藍ユェランの不貞を疑うわけではないけれど、腹の奥がチリチリ焼ける心地がする。

 できることなら飛び出してホンから引き剥がしたいが、変に気が咎めて二の足を踏んでしまう。ぐるぐると渦巻く黒い感情を噛み殺し、ひとまず龍暁ロンシャオは二人の跡をつけた。

 隠れる必要はないはずだが、それに気づく余裕が今の龍暁ロンシャオにはなかった。

 二人の歩調はゆっくりとしている。少し月藍ユェランが少し息を上げているようだ。ホンが時折立ち止まって月藍ユェランを待つ。それを二、三度繰り返して、ホン月藍ユェランの手を取った。


「っ!」


 毛が逆立つような、全身の血が冷えるような。

 不快な感覚に龍暁ロンシャオは襲われた。

 みだりに月藍ユェランに触れるなんて許せない。

 止めなければと心に決めて、林から踏み出しかけて。


「わぁ……!」


 月藍ユェランの感嘆が込められた声に、龍暁ロンシャオはぴたりと動きを止めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る