第4話 婚礼での再会

 ぱたぱたと白粉の粉をはたかれる。甘くくすぐったい匂いが鼻腔を埋める。

 出そうになるくしゃみを堪えて、月藍ユェランは唇を引き結んだ。


 月藍ユェランを花嫁としするか否か。


 話し合いに決着が付いたのは、昨日の夜も更けきった頃合いだった。

 結果は、先例の如く。月藍ユェランを花嫁として受け入れると、龍玄ロンシェン側が了承した。

 花婿が月藍ユェランで構わないと主張したことが、決め手になったそうだ。

 まさかの結論に愕然としていると、婚礼はさっそく明日行うという追い討ちまで掛けられた。

 これも花婿の意向らしい。白麓パイルー側は無理を通して花嫁を入れ替えたから、あまり強く意見を言える立場ではない。万事花婿の要望に従うよう言い聞かされ、明くる日の今日は大急ぎで準備が進められた。

 夜明けと同時に提供された客房へやから出され、蒸し風呂に入れられてから冷たい泉で禊をさせられた。

 それが済めば食事を摂る暇も与えず衣装の支度だ。香油で髪を丁寧に梳って、短いながらも軽く編み込まれる。誂えてきた婚礼衣装を着付けたら、耳飾りを付け、腕飾りや首飾りを幾重もかけられた。布も飾りも多くて重い。

 身体が傾きそうな重さにふらつくが、支度は月藍ユェランを待ってはくれない。

 一通り飾られたら、次は化粧だと使用人に囲まれた。男だからと断ってはみたが、化粧は礼儀だと素気無く却下された。


(いやいや、私みたいな男が化粧なんておかしいだろ……)


 内心、不安に思う。誰も何も言わないが、かなり滑稽な顔になっているのではないだろうか。

 格好の悪い見映えになっていたら、と思うと気が滅入る。女の装いをしている時点で、何を言っているのだという話だが。

 そうして支度が終わっても、一息吐くいとますら与えられない。すぐに白麓パイルーの同行者たちの元へ連れて行かれ、婚礼衣装をお披露目させられた。

 何と言われるか恐ろしかったが、長も皆も特に何も言わなかった。嫁入り道中も月藍ユェランは女装をさせられていたから、多少慣れていたのかもしれない。


白麓パイルー龍玄ロンシェンの盟約のため、きちんと役割を果たすように」


 長の言葉へは、返事に困った。花嫁の役割を、男の自分にどう果たせというのか。

 今更だが、やはり理解できない。深く頭を垂れて誤魔化した。

 型に嵌められたやり取りの後は、気まずい沈黙が落ちてくる。

 こっそりと介添え役が教えてくれたところによると、話し合いの際に龍玄ロンシェンの者たちから勝手な花嫁の交替についてかなり詰められたらしい。月藍ユェランの受け入れも花婿が望んだからで、わりと不承不承といった具合だった。

 そのせいで長たちは精神的に疲れている、というわけだそうだ。

 確かに今日の長たちは、いつになくくたびれた風情がある。龍玄ロンシェンへの不義理の発端を担ったのは月藍ユェランだから本当は言えたことではないが、ちょっとだけ気分が良くなって沈黙を楽しんだ。

 しばらくして控えの間に、花婿側の者が訪ねてきた。花婿側の準備が整ったようで、婚礼の儀を行う広間へ来るよう促される。

 いよいよだ。月藍ユェランは覚悟を決めて、一族の者に囲まれて式場へ向かった。

 回廊を進み、昨日最初に通された建物へと入る。被衣ベールのせいでよく見えないが、昨日よりも華やかな装飾が増えているようだ。

 広間の最奥に設えられた、花嫁と花婿の席へ導かれる。紅い絹でできた婚礼用の敷物の上に座ると流石に緊張してきた。

 分厚い被衣ベールを被っているから周りが見えないせいか。花婿側の人々のざわめきの意味が、言葉の違いゆえわからないせいか。

 じわじわと締め付けられるような感覚が、腹の底から這い上がる。それを膝のあたりの服を握って堪え、月藍ユェランはひたすら花婿を待った。

 ざわめきが止んだのは、心の中で百ほど数えた時だった。回廊の敷石を叩く足音が幾つか聴こえてくる。

 花婿がやってきたのだ。

 格好悪くないよう背をしゃんと伸ばして前を向く。被衣ベールで視界はほとんどないが、正面をひたりと見据えた。

 足音が近づいてくる。ゆっくりと、着実に。足音が止まった。扉が開く重々しい音が、広間に響く。

 一つ間を置いて、足音がまた進み始める。一歩、二歩。縮まっていく距離を音で感じる。

 足音が止まった。月藍ユェランの正面、それも手が届くほど近くで。月藍ユェランは緊張に固くなった唾を飲み込んで、膝を握る手に力を込めた。

 衣擦れが近い場所で聴こえ、被衣ベールの裾が掴まれた。隣に座るのではないのか。驚く月藍ユェランを気にもかけず、被衣ベールはじわじわと持ち上げられていく。

 差し込む外の光が眩しく、反射的に目を瞑る。明るさがまぶたの裏に映る。被衣ベールを取り払われてしまったようだ。

 細く息を吐いて、月藍ユェランは閉じた目を少し開いた。明るさに慣らすため、目を伏せがちに幾度か瞬きする。

 革靴に包まれた、花婿の足元が見えた。靴の革は艶やかになめされた黒褐色、金糸で飾られた黒の衣装の裾とよく馴染んでいる。

 屋敷に相応しい贅沢な衣装だが、想像よりもなぜだか小さい。まるで成長途上の、少年のようだ。


「また会えたな」


 花婿の声が、耳に滑り込む。

 変声期前を思わせる透明な声だ。明らかに成人した男の声ではない。

 混乱を押し隠して、月藍ユェランはそっと視線を上へ持ち上げた。

 花婿の足元から、玉をあしらった腰帯のあたり。すらりとした胴から、錦糸の刺繍も鮮やかな胸と立ち襟に包まれた首元へ。


「お前、昨日の?」


 視界に現れた花婿の顔に、月藍ユェランは絶句する。

 昨日の少年が、そこにいた。

 少年が花婿、と思いかけたが否定する。花婿は月藍ユェランより二つ上だ。到底二十歳を超えているように見えない少年であるはずがない。


「おい、婿殿はどこだ?」


 震える声で訊ねると、急に周りが忍び笑いをし始める。

 きょとんと月藍ユェランが周りを見回すと、少年の唇の端が上を向いた。

 そのほんのりと淡い笑みに、つい目が吸い寄せられる。


「花婿は、俺だ」


 薄い唇の形作った言葉がうまく理解できない。細さの目立つ手が月藍ユェランの頬を包み、上を向かせる。

 そして限界まで丸く開かれた黒の瞳を覗き込んで、少年は告げた。


「よく来たな、俺の花嫁」

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2024年10月14日 21:00
2024年10月14日 21:00
2024年10月15日 09:00

身代わりの花婿は掌中の珠 笹倉のり @sskrnr753

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