第3話 不思議な少年
「あんた、上手に弾くな」
「!?」
突然かけられた若い声に、弦を弾き損ねる。
ギャンッ、と調子外れな音を立てて、
「だ、誰だい、君……?」
いつの間に現れたのか、正面の窓から少年がこちらを覗き込んでいた。
年の頃は十三か十四くらいか。黒鹿毛の馬に似た色の髪と、日によく焼けた健康そうな肌が印象的な少年だ。
黒々として落ち着いた大きな瞳が、興味深そうに
「俺はここの者だ」
「ここの? 花婿さん側のご親族?」
「そんなものだな」
にこりともせずに言って、少年は窓を開けた。
ひょいと桟を乗り越えて
間近で少年を見て、
凛とした佇まいも相まって、生半可な出自に見えない。この少年は、きっと花婿の弟か何かだ。
見当をつけて、
「勝手に入ってきていいのか? 大人の許しは得ているんだろうな?」
「屋敷のどこに俺がいようと誰も構わない」
「は?」
「それより、
素っ気ない少年の返事に、
「もっと聴きたい。弾いてくれ」
突然の要求に
「……いいのか、弾いて」
「何が言いたい」
「
「いいんじゃないか。さっさと弾いてくれ」
本当にいいのだろうか。疑問に思うが、少年の視線による催促が痛い。
見つめ合うことしばらく。結局
「何か聴きたい曲は?」
「ない」
「言い切るな……」
「あんたの好きな曲を弾けばいい」
「私の?」
こくりと少年は頷いた。
「歌も歌ってくれ。あんたの声は良い」
「……わかったよ」
追加の要望をため息混じりで受け入れる。
なんとなく、断っても頷くまで求められる気がした。ここは素直に聞いておいた方がいいだろう。それに花婿の親族の機嫌は取っておいて損はない。
呼吸を整えて、弦に指を滑らせる。奏でるのは草原を駆ける馬の歌だ。曲調は軽快で、
歌いながら、ちらりと少年を見る。表情はほとんどないが、目の輝きは増している。喜んでいる、ようだ。たぶん。指を止めず曲を弾き続ける。
一曲終わると、少年はじっ、と
同じ曲ばかりではつまらないので、別の曲にする。空を舞う鷹の歌だ。勇壮な調べが
少年の頬が少し赤くなる。興奮ぎみな様子が可愛らしい。ほんの少し微笑んで、
「あんた、何故ここに来たんだ」
少年が口を開いたのは、三曲目が終わって四曲目を弾き始めた頃合いだった。
「花嫁は女だと聞いていた。でも、あんたは男だ」
黒曜石のような瞳が、ひたりと
これはダメだ。嘘を見抜く瞳だ。知らず知らず、喉がなる。
「私は、花嫁になるはずだった子の兄なんだ」
「兄?」
「そう。でも妹は事情があって嫁げなくなってな。だから、代わりに兄の私が嫁ぐことになった」
「あんたが代わりか」
考え込むように少年が視線を逸らした。重い眼差しが外れ、ほっと肩の力を抜く。
「私が来て驚いたのかな?」
「……ああ」
少年が首を縦に振る。
無理もない。男の花嫁なんて、荒唐無稽にすぎる。前例があると言われても現実味がないから、疑問が山ほど湧いて当然だ。
「悪いな、前例があるからって私が来てしまって」
「前例か」
「だいぶ昔のな。ここへうちの一族の男の人が嫁いだことがあるらしい」
知っているかと訊くと、少年は頷いた。意外にも有名な話らしい。
「不思議な話だよなあ。男が男に嫁いでも、意味はないだろうに」
当たり前のことだが男の花嫁では子を産めない。婚姻の目的を果たせないから、受け入れる花婿側にとって大変な迷惑になるはずだ。
なのに、何故受け入れられたのか。考えてもわからないが、今回も同じようにことが運ぶと思えない。
「今話し合いがもたれているけれど、私は用無しかもしれないな」
「何故そう思う」
首を傾げる少年に、
「私みたいな大男、花婿も嫁さんに欲しいと思わんだろう」
女と見まがう中性的な容姿をしているならともかく、
その容姿に繊細な美しさがあるとすれば、薄い金色の髪と
それでも、男は男だ。婿に欲しいと望まれても、嫁に欲しいとは思われまい。
そう言って
ただ、
「どうしたんだ?」
返事はない。代わりに
冷えた手のひらが白い頬を包む。ぱちくりとする銀灰色の双眸を覗き込んでから、少年は
「おいっ!?」
不意打ちの柔らかな感触に、
が、頬を包む手がそれを許さなかった。少年とは思えないほどの力にぎょっとする。
「帰るなよ」
ぼそりと少年が呟いた。刃を咥えたように引き結ばれた口元が、ほんの僅かに緩む。突然の微笑みに
頬から手が離れる。呆然とする
出ていく間際、くるりと振り返る。
「また、
それだけ言って、少年は戸の向こうへ姿を消した。
戸の閉まる音で、
口付けられた辺りが、なんとなく熱い。そんな気がして、何度も擦る。
「あの子、なんだったんだ……?」
灯明の芯が焦げる音が、小さく聴こえただけだった。
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