第2話 到着
辺りに薄暮が漂い出した頃、ようやく
黄金色の西日に染まる街は、
切り立つ谷の狭間ではあるが、平地の部分がかなり広い。そのため谷の陰に入る場所が少なく、あまり窮屈な印象はなかった。
山道から街の最奥へ繋がる、広く取られた路を輿に乗せられたまま進む。
高山の街にしては人が多い。
街並みはというと、石造りの建物がほとんどのようだ。黒に近い灰色がかった石が、精緻に積み上げてある。谷の岩肌もくり抜いて住居としているのだろうか。遠くに臨む四方の崖にもぽつぽつと明かりが見えていた。
物珍しいが壮観で、とても見応えのある風景だ。
興味深く街を眺めるうちに、街の最奥へ辿り着いた。崖を背にした屋敷の前で、輿が止まる。
「でかい……」
そこはまるで、お
崖を背に聳える建物は三層に重なり、見上げれば首が痛くなるほど高い。紅い
これほど豪奢な建物は、初めて見た。人の手を借りて輿を降りた
ややあって屋敷から使用人らしき者が現れた。長が花嫁を連れてきた旨を伝えていると、恭しく一行は中へ誘われた。
もう、逃げられない。不安と緊張が身体を強張らせ始める。唇をひき結んで、
長い回廊を渡り、いくつかの庭の側を抜け、一際大きな建物に導かれる。先触れが中に入ってから、ややあって広間に通された。
礼に則って、透き通るような碧い石床へ
やはり、先方を戸惑わせてしまったようだ。
ああでもない、こうでもないといったふうに長たちの言い合いが続く。雲行きの怪しい彼らの様子をはらはら見守っていると、花婿側の青年に声を掛けられた。
何か一言、二言と訊ねられるが言葉の意味がわからない。戸惑うように見上げると、
青年は
「君、疲れていないか? よかったら別の部屋で休んでいてもいいぞ?」
僅かに発音が違うけれど、今度はわかる。
でも、どう返事をしたものか。側にいた介添え役に目配せをする。苦笑いを浮かべた介添え役は、そっと耳打ちをしてくれた。
「そうさせてもらいなよ」
「いいのか?」
「長たちの話し合いが長引きそうだからね」
介添え役の視線の先では、いまだに長と赤い髪の男が話し込んでいる。
確かに、すぐ話の決着が付く様子には見えていない。
「でも……」
「構わないから、ゆっくりさせてもらっておいで」
介添え役に押し切られて仕方なく頷くと、にっこり笑った白髪の青年に手を引かれた。
青年は気遣うように介添え役の肩を叩くと、使用人を伴って
案内された先は、広間のあった建物からさほど離れていない
「おい、入っていいぞ」
物珍しい意匠の壁掛けや敷布に気を取られていると、青年が
素直に
「せっかく来てくれたのに、ごたごたして悪いな」
「い、いえ、こちらこそ、花嫁の交替をお伝えしていなかったみたいでごめんなさい」
「気にしなくていいさ。前にも似たようなことはあったからな」
「前にもですか?」
数代前の男の花嫁のことだろうか。
「ああ、だから心配せずこれでも食べてのんびりいてくれ」
そう言って彼は、
開けてみると、蒸した栗の実が数粒入っている。とりあえず、頭を下げて礼を言う。青年は満足げに笑うと、使用人を連れて
ゆっくりと飴色の戸が閉まる。途端に、静けさが室内を満たす。肩の力は少し抜けたが、心許なさもひたひた
(どうなるんだろう)
ひとまず痛い目には遭わされていないが、
それもまったく知らない屋敷の中でだ。逃げ出そうにも逃げ出せない。
靴を脱いで、
赤みを帯びた褐色の実は丸々と肥えていて艶も良い。とても美味しそうだけれど、今は食べる気が起きてこなかった。
手持ち無沙汰で、なんとなく栗を弄んでみる。ころころと転がしたり、おはじきのように弾いてみたり。余計な思考に陥らないように、意識して指先を動かした。
そうして待てども、一向にとは開かない。窓の外がすっかり暗くなってしまったから、かなりの時間が経過したというのにだ。
話し合いは、どれほど難航しているのだろう。自分の処遇はどうなるのだろう。気になり出せばキリがなく、紛らわせていた気もだんだんと滅入ってくる。
しかし、内装や造りは
「裕福なんだなぁ……」
寝間を見回して、いまさらなことを呟いてしまう。
この屋敷は
(本当に、私で大丈夫なのだろうか……)
婚姻の釣り合いが取れているか心配になってくる。
婚姻の盟約は、
だとしたら、断りもなく花嫁をすり替えたことは大変な問題になるのでは。元からあった不安が、胸の中でぶくぶくと膨れ上がる。
慌ててそれを振り払うように、
ころりと身体を返す。華やかな刺繍の施された帳が視界いっぱいに広がる。のろのろと視線で帳を上に辿っていく。
身体を起こして、四つん這いで寝台の頭の方へ近づく。枕が並ぶ壁の端に立て掛けられた物に、
「
丸い胴に長い棹、張られている弦は四線。寝台の片隅にあったのは、中原の楽器だった。
交易が盛んな
妹の習い事に付き合ったから、弾き方は知っている。弦を軽く爪弾くと、殷々とした音色が零れた。とても質が良い品のようだ。
「〜♪ 〜、〜♪」
そのうち
選んだ曲は盛りの花を愛でる内容のものだ。曲調が明るくて、一番気に入っている。
自画自賛になるが、
一曲、二曲と続けて、夢中に弾いていたせいだろう。
誰かが
「あんた、上手に弾くな」
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