身代わりの花婿は掌中の珠~妹の婚約者と結婚したら、意外と仲良くなってしまいました~

笹倉のり

第1話 身代わり花婿の道行き


(困ったことになった……)


 岩の目立つ山の狭い道を、花嫁行列が進んでいる。

 連なる人々の衣装は、慶事を表すくれない一色。運ばれる嫁入り道具は紅い箱に入れられ、ロバの牽く荷車にいくつも積まれている。

 一行の先頭に掲げられているのは、花嫁の一族の紋章が描かれた旌。楽を奏でる楽人を伴って、華やかに道程を歩んでいた。

 そんな豪華な花嫁行列の、中心。めでたい紅で彩られた女輿の御簾の奥で、月藍ユェランは窮屈そうにため息を吐いていた。

 今朝方着せかけられた、豪華な衣がやけに重い。

 重みに負けた肩に、月藍ユェランは指を這わせた。広い彼の肩には今、艶やかな刺繍の花が咲いている。男物では決してあり得ない、真紅の花の吉祥紋。花嫁が纏う、婚礼衣装の柄だった。

 しかし、婚礼衣装を着る月藍ユェランは女ではない。れっきとした男だ。それもただの男ではない。お伽噺とぎばなしの月に囚われた桂男美男もかくやという、ちょっと見ないほどの美丈夫である。

 そんな月藍ユェランが女装しているのは、趣味ではない。心と体で別々の性別を持つ人間、というわけでもない。

 にも関わらず女物の婚礼衣装を着て、女輿に乗っているのにはわけがある。


 妹の身代わりとして、これから嫁入りするのだ。


 本来の花嫁は、月藍ユェランの四つ下の妹だった。

 月藍ユェランが生まれた白麓パイルーの一族には、古くから誼を交わす一族がいる。

 白麓パイルーの街のすぐ側にそびえる、霊峰玄山シェンシャンを支配する一族、龍玄ロンシェンだ。

 交易と農業を得意とする白麓パイルーと、豊かな山の利権と高い戦闘力を持つ龍玄ロンシェン。近い場所に根を下ろしているが不思議と仲は悪くなく、持ちつ持たれつお互いの不足を補い合ってきた。

 そんな二つの一族だから、友好の証として定期的に婚姻を交わす習わしがある。

 おおよそ百年に一度、白麓パイルーの者が龍玄ロンシェンへ嫁ぐ。そういう決まりになっている。

 月藍ユェランの妹が生まれた年は、ちょうど龍玄ロンシェンへ送り出す花嫁を選ぶ年だった。

 その年に女児をもうけた家のうち、月藍ユェランの家は白麓パイルーの中にあって、ひときわ美しい者が多い血筋であった。かの一族に贈るにはおあつらえ向き、というわけで、あっさり妹が花嫁と決まったそうだ。

 赤子のうちに花嫁と決まった月藍ユェランの妹は、早いうちから龍玄ロンシェンへ嫁ぐ者として育てられた。家事も芸事もしっかり教え込まれ、他の娘より奥ゆかしく躾けられ。

 妹は美しく素晴らしい娘に成長した、のだが。


 嫁入り目前の十六の春。妹は、恋を知ってしまった。


 その相手は、月藍ユェランの友人。ときおり穀物を買い付けに来る、平原の大部分を支配する蒼狼ツァンランの一族の若者だった。

 かねてから若者は、穀物を扱う商家である月藍ユェランの家によく訪れていた。店を手伝う妹と顔を合わす機会も多く、自然と惹かれあって……というわけである。

 恋には落ちたが、妹も若者もそれぞれの立場を重々理解した。誰にも気取らせず、静かにひっそり想いを交わし、愛を深めていった。

 その周到さはかなりのもので、一番妹の側にいた月藍ユェランすら、偶然ふたりの恋文を見つけるまでは関係に気づかなかったほどだ。

 気付いた時点で咎めるべきだったが、月藍ユェランはできなかった。妹は可愛い肉親だし、若者は気の良い友人だ。ふたりには、幸せになってほしい。

 そう思ってしまったから、月藍ユェランは彼らの駆け落ちを手助けした。

 若者と示し合わせ、夜陰に乗じて妹を彼の待つ村境まで連れ出す。

 できたことはそれだけ。

 でも月藍ユェランは、喜び合う妹たちを見られただけで満足だった。

 翌朝、事態が露見して一族の者たちに捕らえられてしまったけれど、後悔はしていない。

 自己満足とはいえ、自分の正しいと思うことをしたのだ。どんな罰も受け入れる覚悟はできていた。


(でも、だからってな)


 まさか罰として、逃げた花嫁の代わりに自分が選ばれるとは予想もしていなかった。

 月藍ユェランは未婚だ。見目みめもすこぶる麗しく、教養もある。妹の教育に付き合ったことで、男にしては珍しく、家事も一通りできる。

 しかし男だ。正真正銘の男だ。花婿にはなれても、花嫁にはなれない。

 今回の婚姻の相手は、龍玄ロンシェンをまとめる長の跡取りだと聞く。十八の月藍ユェランよりも二つ歳上で、もちろん男だ。常識に則って考えれば、男が男に嫁ぐなんて障りがありすぎる。

 盟約が破綻してしまう、と訴えても無駄だった。逃げた妹の罪は、兄が償うべきだとはねつけられた。

 なんと驚いたことに、男が嫁いでも支障はないらしい。古老いわく、数代前、病に倒れた姉妹の代わりに男が嫁いだ先例があるのだとか。

 だから、月藍ユェランが花嫁でも、龍玄ロンシェンは問題なく受け入れる。

 観念して嫁げと言う族長や古老を前に、月藍ユェランはあっけなく敗北したのだった。


(嫁ぎたく、ないなあ)


 胸を潰すような憂鬱ゆううつを、また月藍ユェランは盛大に吐き出す。

 重い御簾みすを少し避けて、外を覗いてみる。高い灰色と黒の岩壁に挟まれた狭い空が見えた。こんな険峻な山の中で逃げても、すぐ捕まるか野垂れ死ぬだろう。今からでも、と考えたが諦めざるを得ない。

 街から送り出されてもう五日。今日の夕刻には、龍玄ロンシェンの一族が住む街へ着く予定だ。

 着いたら最後、どんな目に遭うかはわからない。

 せめて相手側が、怒らないでくれますように。

 怒らせてしまうにしても、痛い目には遭わされませんように。

 首元を飾る首環くびかざりの玉を一つ撫でて、月藍ユェランはそんなことを祈った。

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