第12話



 もし、世界でもう一度お前と会えるチャンスがあるなら。



 タバコの煙が白く膨らんで、涼しい風が、サッとどこかからやって来る。

 

 彼は遠い視線のまま、静かに海の向こうを見てた。


 いつもの彼らしくなかった。


 冗談しか言わない彼が、嘘みたいに真剣な表情を浮かべていた。




 私と、もう一度。




 そう強く噛み締めた言葉の先で、こっちを見る。


 まるで別人みたいだった。


 真剣なその眼差しも、言葉の端々に揺蕩う、らしくない声色も。




 「俺はお前に近づけとるかな?こうして隣に立ってる時しか、お前を近くに感じられない」



 …近くに?


 彼が何を言おうとしているのか、わからなかった。


 黙って聞いていることしかできなかった。


 言葉の意味も、中身も、——その全部が、まるで違う世界から来たみたいだった。



 「どこに行っても、どれだけのスピードで走っても、俺は“あの日”の自分を追い越せない。やり直したいって、思ったんや。ずっと前にな?せやけど…」


 「…けど?」


 「どう頑張っても無理やった。もう、一生たどり着けんってわかった。例え走り続けとったとしても」



 こんなになにかに怯えている彼は初めてだった。


 いつも勝ち気な笑顔で、はっきり物を言う。


 誰にでも優しく、どんな時も前向きで、明るく振る舞っている。


 そんな陽気な様子を絵に書いたような人が、嘘みたいに弱々しく見えて、嘘みたいに声に力がなくて…



 「諦めたくはないんや」


 「諦めるって、…何を?」


 「お前に、もう一度会えるって」


 「何言うとん…?こうして目の前におるやん」


 「まあな」


 「気でも狂った?…まさか、お酒でも飲んだ?」


 「おいおい、勘弁してくれ。酒飲んでお前を乗せるわけないやろ」


 「でも、なんかおかしいで?」


 「どっから言えばええんやろな?」




 困ってるのはこっちだった。


 何を言いたいのか知らないけど、そんな困ったような顔をされても困る。


 そう言うと、そっと手を差し伸べてきた。


 ちょっとだけでいいから、握っててくれないか?って。



 差し伸べられた左手に、私の指が触れる。


 近くに感じる。


 私は、あんたの近くにいるよ?



 それを伝えたくても、言葉はうまく出てこなかった。


 静かな水の音と、静かな海の色と。


 月が白い雲に隠れている。


 空のいちばん向こうに、鮮やかな星空が広がっている。


 なにもかもが静寂の淵に沈みながら、その向こうで、ゆっくりと、雲が流れて——




 「あの日俺は誓ったんや。無理だってわかっとっても、走ろうって」



 この日、一番静かな海。


 その横で、亮平は言った。



 「これから先、どんなことがあっても、必ずお前を探し出す。約束する」



 あの日見た夜の景色を、私は鮮明に覚えてる。


 夏の終わりの夜にしては少しだけ蒸し暑く、きれいな夜空が世界の真ん中に寄り添っていて。


 初めて来た小さな街の、小さな防波堤の一番下では、海が小さく揺れていた。


 まるでいつまでも平和なひとときが、続いていくかのように。




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