鬼籍を、入れる。
dede
花嫁人形
姉がぽっくり逝った。
脳卒中だったと昼間病院から連絡があった。私より10も年上だがまだ50代である。定年前でまだ若いのにという気持ちもあったが、正直介護の心配がなくなって安堵する気持ちも強かった。両親も既に他界し家族以外は唯一の肉親。二人っきりの血のつながった姉妹。だったというのに薄情だと思われるかもしれないが、それが正直な感想だ。まあ、姉も「頭がハッキリしてるウチに苦しまずに逝きたいかな」と冗談めかして生前言っていたので思いのほか早かったという点以外は不満はなかったのではなかろうか。"思いのほか早かった"というのは目を
しかし死人に口なし。ここでどれだけ想像してみたところで実際姉がどう思ったかは知れないし実際死んでしまったものは覆せない。けして仲良しではなかった。かといって不仲だった訳でもない。姉とは歳が離れていたので一緒に暮らしてた記憶は余りないし、共通の話題には乏しいし、ライフスタイルも異なるので親しみこそ少ないが、年に2回は会っていたし、会えばそれなりに世間話や今後の生活の話をしてたし、娘は案外懐いていた。だから不仲だったわけじゃない。だから、せいぜい冥福を祈る事と喪主を遂行する事、そして遺言を忠実に実行することで実妹の私は義理を果たしたいと思う。
そう。遺言。姉は私に遺言を残していた。生前に渡されていた封筒には姉の家の鍵と金庫の鍵の二つが入っている。もし。
「もし、私が死ぬことがあったなら、葬儀の前に部屋にあがって金庫の中身を確認して頂戴ね?」
そう、この封筒を手渡された時にお願いされた。だから私は連絡を受けると姉の運ばれた病院に向かう前に姉のマンションに向かった。そして私は今、その鍵の一つを使って姉の部屋に上がり込み、そして二つ目の鍵を手に持つと、これから金庫を開けようとしているのである。正直不謹慎だと思いながら少し高揚していた。あの姉が死後に私に頼む事と言ったらなんだろうか?結局つまらない財産や家財の後始末といった面白みのない事だろうと分かっていつつも、期待は止めようもなかった。しかし、である。
私は姉の部屋を改めて一望する。姉はいつも私の家に遊びにきたので、姉のマンションにあがるのは今回初である。圧倒的に家財の類が少ない。一人暮らしとはいえ、敷きっ放しの布団があるだけでテレビもない。冷蔵庫もない。洗濯機もない。皿もないし、衣装ケースもない。服は数着畳んで床に置かれてる。食事や洗濯など日々どうしてたのだろうか。姉があまりモノをたくさん持っている印象はなかったが、いやはや想像を遥かに超えていた。そんな中、鎮座する金庫。本来生活には不要な代物。大きくはない。丁度腰かけるには良さげなサイズだ。そういえばこの部屋には椅子もない。案外椅子代わりに使っていたかもしれない。それともテーブル代わりか。この部屋で、唯一主張している物体。金庫。この中に何が秘されているのだろうか。興味が尽きない。どうせこの部屋同様、最小限の貴重品だろうと頭では分かっていても、もしかしてという期待するぐらいは許して欲しい。
鍵を、差し込む。捻る。ガコッと、ロックが外れる音がする。取っ手を、捻る。捻ると特に力も必要とせず扉は手前に押し出された。隙間から中が見える。入っていたのは予想通り……
「は?」
足。細い足だ。何かの見間違いかと思った。私ははいつくばって正面から金庫の中を覗き込む。
金庫の
この姉がご執心だったらしいこのキャラクターは何者だろうかと、むんずとつかみ取ると白日の下に晒してつぶさに観察する。とても精巧に作り込まれている。しかしこの俯き加減に目を
何度も繰り返しフィギュアの少女を観察する。横から見ても下から見ても上から見ても……登場する作品は知らない。知らない、けれどこの顔には私は見覚えがあった。なんて事はない、姉だった。若かりし頃の姉によく似ていると思った。それは、キャラクターとして色々デフォルメされたり強調されたりしていたが、姉の儚げな美しさがよく表れている人形だった。しかしまあ、姉をモデルとしたキャラクターが存在するとも思えない。単純に身内の欲目で既存のキャラクターに私が勝手に似ていると思ってるに違いない。案外私もセンチメンタルになっているのかもしれない。これはひとまず放置する。あとで娘にでも聞けばいい。まずは遺言状だ。フィギュアにばかり目が行ってしまったがその足元には封筒が置かれていた。姉の達筆な字で『遺言状』の文字と私の名前が描き込まれていた。封筒から中身を取り出す。2枚入っていた。一枚は私へ当てた手紙。もう一枚は……また、私の悩ませるものだ。
婚姻届。
なぜ独身50代の姉がこんなものを持っているのかと頭を抱えた。相手がいたとは聞いていない。提出されていないという事は未遂という事なのだろうけど、そんな浮いた話の一つも聞いた事がないだけに寝耳に水だった。相手の名前に見覚えはない。しかし気になる点はある。証人の欄だ。婚姻届けには2名、妻と夫の他にこの婚姻を保証する人として2名分署名が必要だ。1人は、相手方と同じ苗字なのできっと親族の誰かなのだろう。しかし、もう一人。名前が『江戸前☆キツツキ』となっている。ご丁寧に星が入ってる。いや、役所に提出するつもりがなかったのなら問題ないのだろうけど。
しかし書類は以上だ。よく見ると金庫の奥に紙の小箱があるのに気がついたが、ひとまず私宛の手紙の内容を確認する。書かれていた私へのお願い事は三つ。
ひとつ。死後の後始末を私に頼むという内容。残った資産・家財は好きにしてよいとの事だった。まあ、他に身寄りがないので当然の内容と言えよう。残りは私的な内容だ。
ふたつ。この婚姻届けを彼女と一緒に燃やす事。
みっつ。このフィギュアを婚姻届けに書かれている証人に届ける事。
まずは電話を掛けてみるかと思ったが、そういえばまだ金庫の中に箱が入っていることを思い出した。箱を取り出して開けてみる。白無垢衣装だった。フィギュアを調べてみたら継ぎ目があった。継ぎ目に爪を引掛けると、簡単に外れた。……。
綺麗だった、10歳離れた私の姉は結局生涯独身だった。私が20代前半で今の旦那を確保してた頃、姉も自治体のお見合いコンパに参加するようになった。大人しい性格だった姉がその手のイベントに参加した事が意外だったし、モテなかったハズもないだろうにとも私は思ったが、なぜか姉はそんな行動を起こした。そして結局気の合う相手が見つからなかったのか、そのうちお見合いコンパの話題を聞かなくなった。
親しい友人の話も聞いた事がなかった。普段の姉の生活はどのようなモノだったのか、私にはなかなか想像することが難しかった。
「すごくイイ出来だね」
「やっぱりそうなの?それで心当たりは?」
「ないよ。こんなキャラ知らない」
娘が簡潔に答えた。葬儀場で、興味深げに例のフィギュアを触っている。学校から帰ってきてお風呂にも入ったというのに高校の制服のままだ。
「でも『江戸前☆キツツキ』さんは分かったよ。フィギュアの原型師だった」
彼女はスマホを私に手渡して、検索結果を報告する。結構その界隈で有名な人だったらしく結構な数の記事がヒットしていた。彼の作ったというフィギュアは素人目に見ても、確かに良く出来ていた。裸同然の女の子たちばかり並んでるので理解には苦しんだが。きっと彼がこのフィギュアを作ったんだろう。しかし、証人にもなっている。姉とどういった関係だったのか。この人も謎だ。
「気になるんだったら、連絡とってみたら?」
娘が画面を指差す。そこには彼の連絡先が記載されていた。
証人の、夫欄の人物と同じ苗字の方は夫の父親だった。
あの後、姉の部屋から電話を掛けたのだが私が「妹です」と名乗るとすぐに「亡くなられたのですね」と理解された。
「失礼ですが、姉とはどのようなご関係だったのでしょう?」
「ご存じないのですか?」
先方は大層驚かれていた。
「昔近所に住んでいたのですよ。あなたとも何度かお会いした事があります」
今度は私が驚かされる番だった。ちっとも覚えがなかった。
「あなたのお姉さんと私の息子は小中高と同じ学校に通っていました。私たちの息子が亡くなるまでは。その後私たち夫婦は引っ越したのです。幼かったあなたは覚えていなくても仕方のない事です」
「そうでしたか。しかし、その後つながりがあったようにも思えないのですが」
「10年ほど前でしょうか。突然いらしたのです。そして頭を下げて『息子さんと結婚させてください』と」
「姉が、ですか」
「ええ、私どもも始め断っていたのですが、『私が亡くなった後で良いから』『形ばかりで良いのでお願いします』と何度もお願いされまして。それならばと最後には受け入れました。正直私どもも息子が一人でいるよりは良いことのように思えたのです」
「そうでしたか」
「それで、没後人形を託すのでそれを息子の仏前に添えて欲しいと聞いているのですが、お持ちですか?」
「あ、はい。あります。いつ頃お届けすればよいでしょうか」
「いえ、それには及びません。葬儀に参列するときに受け取りますよ」
「それが、家族葬を予定していまして」
「なら、尚更でしょう。形ばかりとはいえ親族になるのです。義理を果たすため可能なら参列させては貰えないでしょうか?」
これは、葬儀であると同時に婚礼でもあるのですから。
「しかし伯母さん、結構一途で情熱的だったんだね。意外だった」
「え、なんで?」
「だって、高校で亡くなった幼馴染をずっと忘れられず想い続けて、最期死後とはいえ結婚に漕ぎつけたんでしょ?ロマンチックで激アツだよ。んーそんな恋、憧れちゃうな」
「バカね。これはそんな良い話じゃないわよ?」
「え?どういうこと?」
能天気な娘の感想に思わず口から零れてしまった。案の定、娘が釣れてしまう。私の見解を聞きたがる娘のおねだりに私は屈してしまった。
「あのね、これは次善策なの。本当に欲しいものがどうしても手に入らなくて、こんな手段を取らざるえなかったワケ。本当だったら、姉さんだって普通にお付き合いして、普通に結婚して、普通に子育てして老後の心配とかしたかった筈よ?
変な事に憧れないで、あんたは普通に生きてる相手を見つけなさい」
「えー?まあ、すすんで悲劇したいわけじゃないけどさー」
と、娘は不服そうに手元の姉のフィギュアをまたいじり始めた。
ふぅ。危ない危ない。つい口から零れてしまった。子供だからと軽んじる気はないけど、高校生にすすんで話すような内容でもない。何とか誤魔化せてよかった。
娘が口にしたのは、最も分かり易くて綺麗な可能性である。でもあくまで、可能性。可能性、なら他にもありえる。私は、姉と姉の夫になる人がお付き合いしてたとは、まだ聞いていないのだ。夫となる人は、姉の事を想っていたのか、そして、姉は夫となる人を想っていたのか。この二つの要因次第で随分様相が変わってくる。死んだ人の事を悪く言う気はない。ただ、色々話せるのは生者の特権である。そもそも今回の件が知る事ができて私は気分がいい。正直私は姉の事を少々軽んじていたような気がする。それが今回の事で見直す事になった。「やるじゃん、姉さん!」が嘘偽りない感想だ。なんだか偉そうだなと我ながら思うけど。
とはいえ、それを母親の私から娘に教えるつもりはない。いやはや、女とは奥深いものなのだよ?自分で気がついたなら、その時は私たちの仲間入りを認めてあげよう、娘よ?
私は姉の婚姻届の届出日に今日の日付をボールペンでササっと書き込んだ。しばらく考えた後、おまけで証人の欄の付近に私の名前もササっと書き込んだ。
後日、『江戸前☆キツツキ』さんにも連絡を取った。
「へい、こちら江戸前☆キツツキになりやすっ!どういったご用件でっ!!」
……えー、こんなテンションの人なの?こんな人と姉は会話できたの?想像できない。というか女性だったの?しかも結構若そうだった。
私が名乗ると
「ああ、妹さん!じゃ、亡くなっちゃったんだ。残念」
こちらも理解が早い。
「姉の事、覚えていらしたんですか?」
「もちろん。花嫁人形の依頼の件でしょ?珍しい依頼だったし。友達だったからね!何度もディスカッションを重ねたよ!いやー楽しかったなぁ」
「何度も?姉が?あなたと?楽しく?」
「うふふ。疑問は分かるよ?でも馬が合ったというか、結構仲良しだったんだよ私たち。あーあ、懐かしいな。花嫁人形の造詣決めるのにたくさん話したんだけど。すっごい楽しそうに話すものだから私も釣られて楽しくなっちゃって。その後もたまに合ってたんだ。で、私の自慢の娘はちゃんと夫さんの元に届けて貰えた?」
あの姉が。このテンションの若い女性と。楽しくお喋り。本当に想像がつかない。
「はい。それを確認されるという事は、どういう用途かご存知なのですね」
「依頼の時に全部聞かされたよ。『花嫁人形』だって」
「その、『花嫁人形』というのは?」
「おやご存じない?私も依頼受けてから調べて知ったんだけどね。元々青森にあった風習で戦後広まったんだけど。未婚で亡くなった人物に遺族が花嫁姿をした人形を供える事があったんだよ。本来は架空人物の人形だから今回はイレギュラーなんだけど。どちらかというと『冥婚』の方が今回近いのかな?いやー、普段は生活に潤いをと思って作ってたけど、その人の人生の大事な場面で私の生んだコが使われるなんて光栄じゃん?気合い入っちゃったなぁ。楽しい人だったし」
終始姉と同じ人について話しているのか疑問を覚えたが、彼女にとって姉はそういう人物だったらしい。結局私は姉の一面しか観る事が出来なかったのだろう。もっと色々彼女と話しておけば良かったなと、ようやく私は姉の死を残念に思うのだった。女は奥深い。私もまだまだだったようだ。
鬼籍を、入れる。 dede @dede2
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