# 010 シルエッツ
「なぁ、角丸さんっていつもどこで降りるの?」
「……」
三回だよ、三回。 俺ね、バスが発進してから三回も聞いたんだ。どこで降りるのかってさ。
それで当の角丸さんはというとね、ヘッドホンで音楽か何かを聴きながら物憂げに頬杖なんか突いて、窓の景色を眺めていてさ。うんともすんとも言わないんだよ。
本人はまだ聞こえないつもりなんだろうけどさ。本当は聞こえてるんだってこっちは知ってるんだよ、さっきからね。
とにかく、こっちが話しかけても口を聞くどころか目も向けやしないんだな。
そんなわけだからさ、ヘッドホンを毟り取ってブッ飛ばしてやろうか、と頭をよぎることがあったんだ。ずっと無視って、中々な扱いだよ。
でもさ、暴力っていけないじゃない? 犯罪じゃん。女の子に手を上げるなんざ、カスのすることさ。
でもまぁ、そんなくだらない考えもすぐに失せちゃったんだよ。
というのもね、夕日に染まった横顔が無駄に綺麗だったんだよ。なんていうかね、妙に様になってたんだな。瞑想に耽るみたいに物憂げな表情がさ。
ただね、様になるって言っても『似合ってる』じゃないんだ。どうも『慣れてる』って感じなんだよ。『生まれてこの方、一日も欠かしたことはありません』って感じでさ。
カッカしたり、泣きそうになったりっていう感情の昂ぶりはいくつも見たけどさ、萎れるのは初めて見たんだよ。
ただ、十数分も表情が変わらないと飽きるというか、嫌気が差してさ。そんな表情はしないでくれっていう気持ちが強くなったんだ。
人が落ち込んでるのを見るのって、あんまり気分のいいものじゃないんだよ。まぁ、嫌いな奴ならさておきね。
「あのですね、角丸さん。聞こえてるのは分かってるから、無視しないでくれると嬉しいんだけど」
とにかく、俺は何か話さなきゃなって気分になったんだよ。
「……はぁ」
ため息を吐いて、角丸さんはようやくヘッドホンを外したんだ。
「あのね、佐上くん。関わるなって私、言ったわよね?」
やれやれって感じの口調なんだ。まるで話を聞かない子供に言い聞かせるみたいにね。
「あぁ、それが?」
「なら、どうして話しかけてくるの?」
『どうして』……ねぇ? どうしてなんだろうね、もはや自分でも分からないのさ。
昨日までは成績のためだったけどさ。今日なんてその目的を忘れて話しかけることがしょっちゅうあったからさ、多分成績ってだけじゃないんだろうね。
変な気分だね、自分のことが自分でも分からないなんてさ。
俺は心理学とか深層心理とか、そういうのって大嫌いなんだ。
赤の他人に偉そうに『知らないだろうけど、本当の君はこう思っている』なんて説教されたくないじゃない? そんなこと言われた日には、顔に唾を吐きかけて、ソイツを二階の窓から放り投げると思うよ。
でも、これに関しては認めざるを得ないね。学者さんのご意見を頂いてみたい気分だ。
「さぁ?」
「昨日もそうだけど、『さぁ?』って何よ?」
「言われはしたけどさ、聞いた覚えはないね」
こんな問答を俺達は何度繰り返しただろうね? 多分百回はやった気がするよ。いい加減、角丸さんは飽き飽きしたらいいんだけど。
「いい? 私と関わったって、あなたに良いことなんてないのよ。 関わったって佐上くんが嫌な思いをするだけよ」
諦念って感じの深刻な表情で角丸さんは言ったんだ。憂鬱だったり、諦めたり、強気な角丸さんが随分と卑屈なことを言うもんだよ。
「だから私に話しかけないで」
「どうだっていいよ、そんなこと」
「どうしてそんな無責任なこと――」
掴みかからんばかりの勢いで、角丸さんは迫ってきたんだ。
それでね――
「角丸さんには暗い顔をして欲しくないんだよ」
――俺は出まかせを言っちゃったんだな。正しくは勢いまかせって感じだけどね。
まぁつまりは、また嘘を吐いてしまったんだよ。
でも、不思議なもんでさ。心にも無い嘘を吐いたときの胸糞悪さが無かったんだよ。半分は本心だからかな?
「なッ!?」
角丸さんは顔を真っ赤にしたんだ。びっくらこいちゃったみたいでさ。
そんな反応で気づいたんだけどさ。俺はだいぶ臭いセリフを吐いてたんだね。時間を巻き戻せるなら、絶対言い換えるね。
「それで俺は……」
ただ、言ったことは取り返しがつかないんだよ。それだから、俺はとにかく喋ろうとしたんだ。
それで言いたいことは山ほどあったんだけど、それを表現する言葉が俺には無かったんだ。でも、とにかく喋ろうって口が動くんだ。とにかく喋ることに飢えてたんだな。
「……あぁ、クソ。 とにかくさ、俺は関わりたいんだよ。嫌な思いなんて、それに比べたらチャチな問題だよ」
まったく、何言ってんだかね? 後悔したはずの臭いセリフに臭いセリフを塗り重ねてんだからさ。
「……」
俺が言い終えると、角丸さんは黙り込んだんだ。何というか、心の中で色々揺れてるって感じでね。
「……勝手にすれば」
やれやれってため息を吐くとそっぽを向いて、角丸さんはそう言ったんだ。
『勝手にすれば』だってさ。こっちは足りない頭から言葉を頑張って絞り出したのに、随分と雑な答えだよ。
でもね――
「あぁ、そうさせてもらうよ」
――なんというかさ。その言葉だけで、俺は満足だったんだよ。
まぁ、本人には死んでも教える気はないけどね。
◇
「それで、結局角丸さんはどこで降りるんだよ?」
さっきから質問してたんだけどさ、果たしてこれで何度目だろうね?
角丸さんは窓の景色を見続けているとはいえ、もうヘッドホンを着けていない。だから、今度こそは答えてくれるだろうね。
「……風早邸前」
「うっそ、近所じゃん。 俺、欅ヶ丘」
風早邸前っていうのは、ここら一帯の地主さんが住んでるお屋敷があるとこだよ。
それで、風早邸前は俺が降りる欅ヶ丘の一つ先なんだよ。大体バスで三分くらいの距離でね、気まぐれに歩いて行けるくらいの距離なんだ。まぁ、風早邸前の周りって塗料が剥げて錆びのむき出しになった遊具しかない閑散とした公園と、四六時中顔が赤い飲んだくれが店番をやってる酒屋くらいしかないから、この世から娯楽が無くなりでもしない限りは行かないんだけどね。
あ、あと霊園もあったね。風早霊園っていってさ、バス停から歩いてすぐの所にあるんだ。この町にある施設の中でも一番広いんじゃないかな。
「……へぇ」
「もうちょっと関心を持ってもいいと思うんだけどな」
角丸さんはというと、興味ありませんって感じだよ。 普通ぶったまげるでしょ、それこそバスの天井を突き破るくらいさ。
……まぁ、突き破るっていうのは冗談だけどさ。
「近いだけでしょ、それの何が凄いのよ?」
「あのさぁ、もうちょっと会話を楽しめよ」
「事実でしょ? 全く……」
こいつ、絶対テーマパークとかで楽しめないタイプだよ。仮に遊園地に行ったとして、メリーゴーランドとか観覧車を『回るだけの何が楽しいのよ?』とか言いそうじゃない? 理屈じゃないじゃん、そういうのはさ。
……まぁ、よく考えたら俺も楽しめないだろうね。多分酔っちゃうからさ。
「ケッ! 頭が固すぎだね」
「ちゃんと勉強の成果が詰まっているからかしらね?」
『フッ』って鼻で笑いやがったよ。 多分、真顔で言ったんじゃないかな? ふざけやがって。
減らず口ばかり叩く俺もあれだけどさ、中々角丸さんも言うもんだね。まるで俺がアホみたいな物言いだよ。ちょっと酷すぎるんじゃないかな?
まぁ、してないのは事実だけどさ。
まぁ、そんなこんなでくだらない会話を一方的に続けているうちに次のバス停は欅ヶ丘になったんだ。
角丸さんはというと、鼻で笑ってすぐにヘッドホンを付けだしたから話せず仕舞いさ。そんなわけだからさ、友達へ近づいてるんだか足踏みしてるんだか、イマイチ分からないね。
まぁ、それでも住んでる所は聞けたんだし一歩前進と思いたいね。
「それじゃ、またな」
「……」
バスの降り口へ向かいながら、俺は一瞬振り返ったんだ。ちょっと気になってさ。
表情は分からなかった。というのも角丸さんは相変わらずそっぽを、つまり窓の景色を見つめていたんだな。そんなわけだからさ、『別れの言葉は無しか?』とでも言ってやろうと思ったんだけどさ。
けどね、手を振っていたんだよ。小さくではあったけど、確かに振られていたんだ。
それから、俺はバスを降りてからもしばらくバス停で突っ立っていたんだ。特に理由は無かったんだけどさ。
ただ、何となく真っすぐ帰る気にはならなくてね。走り去っていくバスの背をボーっと眺めていたんだ。赤みの失せた青い夕暮れの彼方に消えていくんだ。
どうってことない景色なんだけど、今日は不思議とエモーショナルなんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます