# 005 tell me why

 俺が学校を出たころには、外はもう夜を迎えていた。運動場の月は明るいけど、星はまだ見えないからそこまで遅くはなってないと思う。


 校門を抜けてふと振り返る。二階の職員室と、三階の一年B組の教室だけが明かりをつけていた。教室に目を凝らすと、見覚えのある黒い影がチラチラと動いている。


 今更後悔したって遅いんだからな。自分で選んだいばらの道なんだ、せいぜい無駄に傷つきながら一人で歩けばいい。


 いっそ、お残りの記念撮影でもして笑ってやろうかな……なんて思ってたんだけど、怒りっていうのは案外長続きしないものなんだね。それと、俺の性格の問題もあるかもしれない。何事も長続きしないんだよ。


 とにかく、夜風に吹かれて頭が冷えてくるとそんなことはどうでもよくなって、今度は罪悪感が湧いてきたんだよ。


 そりゃあ、角丸さんや先に帰った輩には今も腹が立つさ。でも、このまま俺まで同じことをする気にはなれないんだよ。

 けど、俺は角丸さんに捨て台詞を吐いてしまった、ただ(口は悪いけど)真っすぐなだけの角丸さんに。それを今更『手伝うよ』なんて、どの面下げて言えばいいんだ。


 なんだか、自分が嫌になってくるよ。もはや笑えて来るね。


 何というかさ、俺はいつだって善人にも悪人にもなり切れないんだよ。


 いかにも角丸さんを助けなきゃいけないって状況なのに、俺は暴言を吐いてしまった。米田の件だって、いっそ悪態でもつけば良かっただろうに、ビビッて思いとどまってしまう始末だよ。


 本当は違う人間でありたかったよ。 もうちょっと、ガッツのある人間にさ。


 ……帰ろう、ゲームをしなきゃいけない。

 ズボンの左ポケットに手を突っ込んでスマホを出そうとしたら、何の感触も無かった。


 家に忘れた、なんてあり得ない。行きのバスで弄ってたからね、何なら昼休みもゲームしてたし。

 となると――


「教室かよ……」


 明日取ればいいや、なんて訳にはいかない。依存症を舐めちゃいけない。

……今日は一日中気が重くなっていくばかりだよ、全く。



 教室へ向かう傍らで俺は自販機に立ち寄った。それから財布に入ってた小銭でパックのオレンジジュースを買った。考え事をし過ぎると喉が渇くからさ。


 それで、教室までの道で飲もうと思ったんだけど何だか気が乗らないんだ。


 そうして教室に着くと、ヒソヒソと声が聞こえてきた。話し相手なんて残ってるはずないのに変だ。


「うん。 うん。 あのね、委員会が遅くなりそうだから、おばあちゃんは先にご飯食べてて。 うん、ごめんね」


 ドアの隙間から覗いてみると、角丸さんが電話をしていた。口は何とか笑えてるけど口角が震えているし、目の端には涙が浮かんでいて、それを零れないように拭っていた。


 委員会なんて嘘吐いちゃって。『嘘吐きは嫌い』とか言ってたけど、噓吐きは君もじゃないか。


「ん? あぁ、大丈夫。 友達も……うん、手伝ってくれてるからさ。 心配しないで、おばあちゃん。 もうすぐ帰るから、それじゃあ……切るね」


 そう言ってスマホをしまうと、角丸さんは左手で目を覆った。抑えてるみたいだけど体は震えているし、すすり泣く声は隠しきれていない。

 いつも真面目な彼女とは思えないくらいに、どうしようもなくボロボロだった。


「まだ掃除やってんのか……」

「ひゃっ……!?」


 ビクッと、お化けでも見たんじゃないかってくらいの驚き様。

 角丸さんは怯えた小鹿みたいに震えて、弱々しくうっすら腫らした目で俺を睨んだ。


「やっぱり手伝うよ、というか帰れ」


 本当はスマホを取ったら帰ろうと思ってたけど、こんなの見せられたら、こう言うしかないじゃん。


「……同情なんてされる覚えは――」

「うるさいな! ばあちゃんっ子なんだよ俺は!」


 目元を真っ赤にした角丸さんは吠えた。よくもまぁ、強がれるもんだね。

 言い返されるとは思ってなかったのか、豆鉄砲でも食らった鳩みたいに彼女はキョトンとした。

 ……それはそれとして、何だよ『ばあちゃんっ子』って。理由になってないじゃん。


「だから、ばあちゃんを心配させるな。ばあちゃんを大切にしろ。 でも、じいちゃんならどうでもいいぞ」

「……どうして、どうしてあなたは私に……」


 なんとか言いくるめようと試みても、彼女は訝しげに俺に目を向けていた。

 でも、さっきよりはマシな目だ。というのも、宿っているのが怒りとか軽蔑じゃなくて、不安って感じなんだ。


「気にする必要はないから、早く帰りなよ。 何となく、代ろうと思っただけだよ」

「……」


 勢いで喋っていたら、なんだか俺一人で掃除をする雰囲気になってしまったよ。本当は俺だって早く帰ってゲームしたいってのに。やっぱり、口は禍の元だね。

 自分の発言に頭を抱える中、角丸さんは何を言うでもなく、ただ突っ立っていた。


「勝手に盗み聞きして悪いけどさ、立ってるだけなら邪魔だから、早く帰ってばあちゃんと夕飯を食べなよ。掃除はやっとくからさ」


 そう言って俺は角丸さんの持っていた箒をひったくった。


「……あなたはどうするの、あなただって帰りが遅くなるじゃない」

「あぁ、心配しないでよ。門限なんてないし、誰も心配しちゃいないよ」


 俺が言ったことに何か引っかかったようだけど、頭を振ると角丸さんはようやく決心がついたみたいで、申し訳なさそうに鞄を机の横から取った。


「ほら、早く帰った帰った。 あと、オレンジジュースも持って帰れ。頑張ったんだからな」


 そうして彼女はドアの方へ向かっていった。本当は手伝ってほしいし、ジュースも俺が飲みたかったんだけど、もう取り返しがつかないから諦めよう。勢い任せにものを言うのは俺の悪い癖だね。


「……がと」


 去り際に角丸さんは一瞬立ち止まって、こっちに何かを言い残してから走り去っていった。本当に小さい声だったから何を言ってるかは聞き取れなかったけど。


 そうして、教室には俺一人だけとなった。俺一人で掃除とかプリント配りをしなきゃいけなくなった。これは帰りがエライことになるな。まぁ、引き受けてしまったものは仕方がないね。



「やるんじゃなかった、クソッタレ」

 やっぱり、サボった四人は紛れもないクソゴミだ。一人に押し付けていいもんじゃないよ、マジで。これは角丸さんでも泣くよ。


 プリント配りと床掃除は途中までやってあったから楽だったけど、黒板掃除は黒板消しが汚いからろくに落ちないし、窓拭きは地獄だね。バケツに水を汲んで、あとは雑巾を持って窓とバケツの間を行き来するんだよ。


 窓の縁には水垢がこれどもかってくらい付いていて、これを見た時には流石の京介君も思わず大きな声を上げそうになったよ。とにかく、水垢って全然落ちないんだよ。それが溜まってるんだよ、頭に来たね。俺の気分次第であの窓をブチ割ることもできたけど、流石にやめた。


 それから帰りの準備をして、教室を出るときに電気を消した。思わず目を瞠ったよ。誰もいない教室っていう特別な空間も相まって、窓の外のグラウンドのライトの無機質で強烈な白い光と夜空の黒との見事なコントラストが非現実的って雰囲気だった。


 俺はしばらくその景色に見とれていた。けどそう長くは続かないもので、ふと壁の時計を見上げる。時刻は八時半だった。


「ははっ、終わった……」


 思わず乾いた笑いが出たよ。というのもさ――



 ――俺がいつも乗るバスはね、八時から本数が一気に減るんだよ。



 やっぱり、ガラじゃないことはやるもんじゃないね。


 そんなわけで、途中で夕飯のラーメン屋に寄ったり、コンビニへアイスを買う寄り道をした。寄り道は校則で禁止されてるとはいえ、まぁいいでしょ。体も心もクタクタなんだから。


 そうして踏んだり蹴ったりな一日が終わってみるとね、意外にも最後に残ったのは悪い気分って訳でもないんだよ。後悔はあるけど、心地良い体の疲れと達成感を感じるんだ。


 そしてなにより、大袈裟に言うと一人のクラスメイトの女の子を助けることができた。そう思うといい気分になるんだよ。まるでラノベとかマンガの主人公になったみたいでさ。


 なんだか、今日は良い夢が見れそうだからね。

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2024年10月14日 11:00
2024年10月14日 20:15

隣のクソ真面目には友達が必要なんだと思う。 じゃんけんで銃を出すタイプの人 @cest-la-faute-de-lamour

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