# 004 クロコダイル

 散々だった二限を乗り越え、三、四、五、六限と過ぎて今は放課後。


 一日を通して角丸さんとその周辺を観察してみて、分かったことがある。


 一つは、ビックリするくらいの真面目な優等生だということだ。授業中にふざける奴を睨んだり、注意するのは知っていた。それはまぁ、よくあることだと思うんだよ。漫画でもそういうキャラっているじゃない?

 けど授業が終わった後、次の授業の予習を始めていたのを見た時はビックリしたね。


 二つ目は、休み時間には誰とも話さないこと。授業終わりは言わずもがな、昼休みは弁当を食べ終わると残り時間はひたすら勉強をしている。ただ、時々気が散るのか教室の隅に集まってる女子とか男子グループをボーっと見ていることがある。


 そして、そんな角丸さんにみんなは興味津々みたいだ。ただ、向けられているのは尊敬とか恋愛感情といったものじゃなく、嫌悪や敵意な気がする。いつもニコニコしている王子でさえ、角丸さんを見るとそういった表情になる。何で嫌われるのかはイマイチ分からないけど。これが三つ目。


 まとめると、角丸さんという人間は『人と関わる気がない、嫌われ者のクソ真面目』ってことになる……俺とタイプが全然違うじゃん。好かれる気がしないよ、仲良くなれる未来が見えない。



 長ったらしい考え事もほどほどに、現在の時刻は午後六時。よい子のみんなはお家に帰っている時刻だ。俺はというと六限が終わってから少し昼寝をしていて、今さっき起きたところだよ。寝る子は育つからね。


 そんなわけで当然教室には俺だけしかいないはずなのだけれど、どういう運の巡り合わせなんだかね。優等生の角丸さんが教室に残っていた。


 夕陽に染まった教室、机にプリントの山、黒板には大きな落書き。彼女はただ一人箒を握っていた。


 教室の掃除って、本来は五人くらいでするはずの作業だよ。それを角丸さんは一人で片付けている。いかにも掃除を押し付けられてますって感じだ。


 そんな中でも、角丸さんは教室の端から端までを箒で掃いて、ちりとりで丁寧にゴミを集めている。この調子だと、仕事を全部片付け終わる頃には夕日も沈んで、星が綺麗に見えるんじゃないかな。残酷な話だよ。


 心なしか、角丸さんは顔に辛い色を湛えている。


 そりゃあそうさ。バカみたいな仕事量だもの。それに、サボった奴の分だけ頑張って掃除をしても明日になれば『五人でやった』ってことになるんだ。つまりさ、丁寧にやっても五人揃って褒められるんだよ。何もしていないカスと手柄を折半ってわけ。

 サボった奴は棚からぼたもち、角丸さんは骨折り損のくたびれ儲けだよ。


 いっそサボってしまえば全員道連れにできるのに、それでも掃除をするなんてさ。何とも胸の痛む光景だね。


 きっと鬼塚も同じ気持ちだったんだろう。だから『友達になれ』なんて言うんだろうね。


 そんなことを考えていると同情と、なんか分からないけど胸糞悪さが湧いてきたんだよ。真面目な角丸さんは、クラスではこうも適当に扱われているなんてさ。それにクラスの奴らは全員目を背けているんだから、我慢ならない。


……角丸さんと友達になる<留年回避の>ための道は、掃除の手伝いをすることから始めるのが良さそうだ。


「手伝うよ、角丸さん」


 俺は出来る限りにこやかに言った。にこやかなんて正直ガラじゃないけど、他に言い方を知らないんだよ。


「……」


 一方の角丸さんからは何も返事が無い。


 ただのしかばねのようだ……なんて冗談はほどほどに、角丸さんは聞こえないくらい集中しているみたいだ。そりゃそうだ、集中しなきゃ終わらないしね。ただ、こういう時の無言は肯定と見なすものなんだ。ラノベとか漫画だとお約束だよ。


 そうと決まれば、俺は積まれたプリントの束を手に取ってパラパラと流し見る。中身は一枚一枚宛先が違う、配るのが面倒なやつだ。しかも、出席番号通りに並んでいない。これを用意した奴はとんだクソッタレだね。


 角丸さんが一生懸命箒とちりとりを駆使する横で、俺はプリントの順番を出席番号通りに整理することにした。というのも、今のクラスの席順は出席番号通りだ。だから整理し終えたら、あとは何も考えず機械的に配るだけでよくなるわけ。


……なんて考えていたのも束の間。並び替える途中で一つ、変なことに気づいた。


 というのも、乱れているはずのプリントの並びなんだけれど、中途半端に番号が揃っているんだよ。


 つまり何が言いたいかっていうとさ、『もともとは番号順で揃っていたけど、ムカつくからテキトーに並べ替えてやりました』って感じなんだよ。


 やる意味が分からないって訳ではないよ。嫌がらせとしては正解なんだからね。人としては……言うまでもないよね。


 いよいよ嫌われ具合が笑えなくなってくるよ。これは友達も必要なわけだよ。それも、一緒に戦ってくれる心強いヤツが。


 ……もちろん、俺は無理だけどね。そんな大層な人間じゃないし。


 そしてかくかくしかじか、並び替えは思ったより時間が掛からなかった。あとは配るだけ、という時だった。


 一言も話さなかった角丸さんが俺をじっと見て、初めて口を開いた。


「やめて」


 ただ、労いや感謝の言葉なんかじゃなかった。そんなわけだから――


「……は?」


 ――思わず言っちゃったよ。なんせ、凄い頭に来てるみたいな表情をしてるんだから。


「いやいや、二人で残りの仕事を片付けたほうがいいでしょ? 早く帰れるのに」

「いいから、やめて」


 撤回するよ、『みたい』じゃなくて彼女は頭に来ていたんだ。山のような仕事量を前に、優等生の角丸さんでもストレスは溜まるんだろうね。


「一人で全部やったら何時になると思ってんだよ?」


 ただね、本当に七時とかじゃ済まない作業量だったんだよ。これを一人で片付けるなんて、悲惨と言うほかないくらいに。鬼塚の一件が無かったとしても、気付いたら手伝ったと思う。

 そんな俺の心境を意にも介さず、角丸さんは静かにわなわな震えていた。


「大したこと無いから、一緒に――」

「いいから! 荷物を持って早く帰りなさいよ!」


 角丸さんは、ついに大声を上げた。あまりの仕事の量に、彼女は耐えられなかったんだろうね。頭に来るのも仕方のないことだよ。

 ただ、こんな断られ方をしたら少しは頭に来るわけだよ。仕方はないけどさ。

 でも、今は抑えないとね。スマイルだ、笑みを絶やさずにいれば何とかなるさ、第一印象は大事だからね。


「なんでそこまで? 人の親切は素直に受け取りなよ」

「結構よ。私、あなたみたいな人が嫌いなの」


 そういった彼女の表情は、まるで俺を憐れんでいるみたいだった。


「嫌われたくなくて人に取り繕ったり、心にも無いことを言ったり……私はあなたみたいな嘘吐きに同情されるまで落ちた覚えはないわよ!」


 角丸さんはそう強く言い放った。けれど、その声は少し震えていた。

 俺に『同情されるまで落ちた』……か。随分な言いようだね。

 口元の笑みを絶やさないようには努めてるんだけれど、いよいよ限界が近づいてきたよ。


「おべっかを使うのは当然だろ、誰でも都合っていうのがあるんだから。俺だけの問題って訳じゃないだろ」

「えぇ、そうね。でも、あなたを嫌いなことには変わりないわ。」


 角丸さんは一つ息を吸うと、強張った嘲笑を浮かべた。


「あなたって人を『笑わせてる』つもりなんでしょうけどね。『笑われてる』と区別がつかないなんて、本当に可哀そうね!」

「……おぉう」


 『取り付く島もない』とはこのことか。本当にどうしようもない。


「分かったら、早くカバンを持って帰ってくれる?」


 もう限界だ。ここまで悪態を突かれてやってられるか。


「……分かったよ」


 俺は机の中の教科書とノートをカバンに叩き込んで、ジッパーを力任せに締めて、カバンを取って乱暴にドアを開けた。


「では、ごゆっくり! せいぜい先に帰ったカス共の尻拭いを楽しんで!」


 俺はそう吐き捨てて教室を出た。もう、俺の知ったことじゃない。


 今月末までに? 冗談じゃない、永遠に無理だ。

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