第3話 日常

 時間が過ぎるのなんて早いものだ。

 今日は二千二百二十四年、八月十五日。僕が四条救済教会に入ってから二年が経過していた。あれから二年、僕はすっかりここでの生活に慣れ、居心地の良ささえ感じていた。

 ここでは、エリア3rdのような不規律で物騒な毎日ではなく、規則正しく平和な時間を過ごせる。朝は七時に起き、朝食を宿舎のみんなで食べ、昼間は畑や田んぼで働き、十七時には宿舎に帰って来てお風呂と夕食をとる。宿舎には十五歳以下の男女十八人が住んでいて、僕を含めた男子が八人なので、若干女子の方が多い。

 宿舎は古びた木造建築で、壁にはところどころひびが入っている。教会の周りには広い畑が広がり、季節ごとに色とりどりの作物が育っていた。

 今日もいつもと同じように畑仕事を終え、僕たちは宿舎に帰ってきた。宿舎の中に入った途端、エントランスのソファに身を投げる黒髪の女の子がいた。


「あぁーつっかれたー!」

「そういうのは部屋に戻ってからにしなよ、マツリ」


 マツリと呼ばれた黒髪の女の子が、コルルに忠言される。

 マツリ。コルルと同時に教会に入ったうちの一人で、僕とコルルと同い年。身長は平均よりも少し小さいくらい。艶やかな黒髪と、右耳の上あたりでまとめたサイドテールが特徴的。かなりの美形で、白い肌に純黒の瞳が輝く。顔は可愛いが、性格は可愛くない。人を虐めるのを快感に感じるドがつくほどのサディストで、同時にサイコパスでもある。にも関わらず、普段は明るく女の子的な内面を見せている。言ってしまうと、それが一番怖い。いつも持ち歩いている自前の日本刀があり、剣技を得意とする。


「そんなコルルだって、今日はずっと帰って寝たいって言ってたじゃん!」

「コルルも案外トワと同じで体力バカだからなぁ……」


 コルルの背後から、青髪の男の子が現れる。ヴォルニー。こいつもマツリと同様、コルルと同時期に入ったやつだ。青髪で短髪、こいつが髪を伸ばしているのを見たことがない。身長は僕より高いし、何より戦闘能力がずば抜けて高い。僕は異能人だし、それなりに強いと自負していたのだが、こいつの強さは本物だ。斧でも灘でも軽々振り回しやがる。どう考えても一般人の域をはるかに超えている。


「ヴォルニーにだけは言われたくないよ。その言葉は」


 ヴォルニーの横でコルルはジトーっとした目をしている。


「今日の夕食はカレーかぁ。あ、そうだ! 今夜は見てほしいものだって拾ってきたんだから」


 食堂から漂ってくるカレーの匂いを確認したマツリは、共用スペースである洗面所へと足を向ける。この宿舎は三階建てで、二階部分が男子部屋、三階部分が女子部屋になっている。一階はほとんど共用スペースで、洗面所やお風呂(入る時間はもちろん男女別)、食堂などがある。

 この教会は十六歳になると、出ていかなければならないので、実質十五歳である僕ら四人がこの教会の子どもたちをまとめなくてはならない。唯一の大人は宿舎管理人のダニエルさんのみだが、宿舎にいることはほとんどなく、三ヶ月に一回ほどみんなの顔を見に帰ってくる。出ている間はどこで何をしているのかは全く分からない。基本ご飯や掃除、洗濯は子どもたちの当番制で、毎日全員が何らかの当番に当たっている。


「何だよ、見せたいものって……」


 マツリの言葉を気にかけながら、ヴォルニーも洗面所へ向かう。


「僕たちも行くよ。コルル」

「うん」


 立ち上がったコルルと共に、僕も洗面所へと歩き始めた。



「ねぇ、今から時間ある?」


 夕食を食べ終え、自分の部屋に戻ろうとした僕に、マツリが声をかけてくる。


「大丈夫だけど、なにかあるのか?」

「言ってたでしょ、見せたいものがあるって。もうみんな集まってるから」

「分かった」


 僕はマツリの後ろについていく。マツリは三階まで来ると、廊下の一番奥の部屋に入った。中ではコルルとヴォルニーが座って待っていた。


「マツリ遅いよ」

「ごめんごめん。ほら、これ。マツリが今日ゴミ捨て場で拾ってきたの」


 そう言ってマツリは一冊の本を差し出した。その本の表紙には『国語』と書かれている。


「なにこれ?」

「これが教科書ってやつらしいよ。スカイシティの子どもたちは学校に行って、この教科書で文字を習うんだって」


 マツリは教科書を開いてみせた。中には文章が書かれている。

 基本的に地上にいる人間のほとんどは文字が読めない。文字の読み書きはスカイシティ以外では教えてはならないという決まりがあるからだ。地上で生まれた人は死ぬまで読み書きどころか、文字という存在すら知らされない。

 ちなみに地上にいる人間は約五億人と言われているが、その識字率はだいたい九パーセントくらい。その九パーセントのほとんどは、僕がいたようなエリアの人間である。


「すごいものなのは分かったけど、これを俺たちに見せてどうするんだ?」


 ヴァルニーがもっともな質問を返す。


「これを使って、マツリたちが子どもたちに文字を教えるんだよ」


 この教会には、十八人の子どもがいるが、文字の読み書きができるのは、最年長の僕ら四人だけだ。と言っても、僕はエリア育ちだし、他の三人も僕と似たような幼少期を過ごしてきたらしいから、誰一人学校という場所に行って習ったというわけではない。


「マツリたちは来年の四月になったら、この教会を出ていかなければいけないでしょ? だから、それまでに子どもたちに文字を教えてあげなくちゃって思って」

「なるほどなぁ」

「それに、教科書だけじゃなくて、ほら。これが漫画でしょ、こっちが雑誌に写真集。これが辞書、これは携帯ゲーム機だね」


 マツリは傍にあった袋から、いろいろなものを取り出して並べていく。


「……こんなの、どこで拾ってきたの?」


 漫画のページをペラペラとめくるコルルは、マツリに疑問を呈する。


「確かに。ゴミ捨て場って言ってたけど、ここの近くのゴミ捨て場は大体ここのゴミしかないだろ?」

「甘いよトワ。マツリの能力を見誤るんじゃあない」


 コルルの意見に賛同した僕に、マツリは人差し指を振って説明し始める。


「今日も仕事サボろうとしていつもの森に行ったんだけど、そこに小さな抜け道を見つけて。そこを辿って行ったらね、でっかいゴミの山があったの」

「そこから持ってきたのか?」

「そう。マツリも最初は無視したんだけど、明らかにここで出ないゴミが目に止まって……」

「なるほどなぁ。確かにスカイシティででた廃棄物は処理されずにそのまま地上に落とすから、各地にそういうゴミ溜まりができるのは稀じゃない」


 ヴォルニーが顎に手を当てて頷く。


「というか、そこからこんなに運んできたの?」


 コルルがあり得ないような目をしてマツリの方を向く。


「うん。何度もここと、ゴミ捨て場を行き来して運んだよ」

「だからお前、今日は宿舎に帰ってきたときやたら疲れたような感じだったのか」


 ヴォルニーは納得したような表情を見せたが、次の瞬間マツリに食ってかかった。


「ってことは今日もサボってたのかよお前! いつもいつも仕事抜け出しやがって!」

「それに関してはごめんって毎日言ってるからいいじゃーん」

「毎日サボってるからな。毎日謝るのは当たり前だろ!」


 ヴォルニーがマツリの後頭部をコツンと叩く。


「まあまあ。マツリのおかげでこんなに娯楽が手に入ったと思えば、畑仕事の一つや二つサボったって大丈夫だよね?」


 マツリがペロっと舌をだして僕に問いかけてくる。


「知らねーよ。なんで僕に聞くんだ」

「ねぇねぇマツリ。ゴミの山があったってことは、まだいっぱい何かがあるってことだよね?」

「……そうだけど?」

「明日、コルたち全員で宿舎に運ばない?」

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