捨てた孤独と完璧

道化美言-dokebigen

捨てた孤独と完璧

 私はこの国で、人間として「天才」でいなければならない。

 魔族と人間との争いが激化する中、人の国に住む者たちを安心させるため。人類最強の魔法使いというレッテルを貼られた道具で在らなければならない。

 手にしたのは上背と同じくらい大きな魔法の杖。国境沿いのひらけた荒野に立ち、上空を飛ぶひとりの魔族……かつて同胞であった奴を撃ち落とす。

「……私は、父上たちの期待に応えようとしただろう?」

「フィンレー! 待て、話をしよう! 友達だったろ? なぁ!」

 翼が折れ落下したのは、かつて私を見下しながら、家柄だけ見て媚を売ってきた男。聞き覚えのある声音が騒ぐ中、ただ、無慈悲に杖を振りかざす。

「僕……私を捨てたのはそちらのほうだ。それならば、私が人間の味方をしたっていいだろう?」

 私を捨てた父曰く、私は高貴な魔族ではないらしい。

 確かに、その通りだ。以前の私は、目の前で泣き叫ぶ魔族に模擬戦ですら手も足も出せなかった。しかし、今はどうだ。人間の魔法を使う私に手も足も出ない。

 私は人間の国の王子に拾われて、利用されているとはいえ、やっと少しはマシな生活を手に入れたんだ。

 その生活を壊されて堪るものか。もう、弱者へと成り下がるのは嫌だ。

「……だから、私はもっと強くならなければいけないのに」

 杖に纏わせたのは、剣を模した鮮やかな青い火。

 剣を振れば僅かに肉を焼く音がして。次の瞬間、地に転がった男を見下ろす。

「魔族も人間も関係ない。私の邪魔をするものは、あの王子が嫌うものは、私が全て排除する」

 夕日と死体に包まれた空間で、ふと強風が吹きつける。ぼんやりと、気を抜いているときだった。

 目深に被っていたフードが外れて肝が冷え、背筋が凍る。

 慌ててフードを被り直して隠したのは、左耳の上。少し伸びた金髪をかき分けて生えた、魔族の証である黒いツノ。

「……チッ」

 周囲に人がいなかったことを確認し息を吐く。

 杖を持ち直せば、何年も前に折った翼の付け根が痛んだ気がした。

 人間らしく歩いて向かう先は、まだ若いくせに腹黒い、唯一の味方で、恩人である王子が待つ城。

 今日も私は、魔法の天才である人間の青年を装えただろうか。



 日頃訓練に使用している小さな丘へ佇み、目の前に立つ人間を睨む。

 久しぶりに大量の魔族を狩った翌日。朝日が昇り、突然王子に呼び出された。

 かと思えば、部屋に入るなり一人の人間を差し出し「魔法の才能があるから鍛えてやれ」と言ってのけるではないか。

『フィンレーさん、よろしくお願いします!』

 などとつい先ほど言ってきたのは、三十代程度に見える、暑苦しそうながたいの良い黒髪の男。

 へらへらして、不真面目そうで。それどころか魔法は一度も使ったことないだのとほざいたのだ! 失笑すら浮かべられない。

 剣士を目指しているが、剣のほうはからっきし。痺れを切らした王子に魔法職に移せと言われたらしいが……。

 まあいい。ぽっと出の、それも人間に魔族である私が魔法で負ける訳がない。

 適当にあしらって、追い出してしまえば良いだけだ。

 などと考えていれば、男——アシェルと呼べとせがまれたが口が慣れない——に対して説明しながら見せていた魔法が宙に消える。

「分かったか? 初歩中の初歩だ。殿下に『才能がある』と言わせたのだから、これくらい今日中にできてもらわないとな」

「やってみます!」

 最初に手本を見せたのは火の魔法。初めて使うなら魔法は使い手がイメージしやすいものが良い。暑苦しい奴には適当だろう。

 とはいえ人間にとって魔法は簡単に扱えるものではない。さっさと諦めてくれたらそちらのほうが——。

「おっ! これ、できてますよね⁈」

「なっ⁈」

 アシェルは褐色肌の指先に顔の大きさほどある橙色の炎を発現させた。

「……お前に魔法が向いているかもしれない、ということは分かった。本格的なことは明日からだ。準備しておけ」

「ほ、本当ですか⁈ やった〜! ありがとうございます!」

「フ、フン! 実力があればの話だ! 思い上がるなよ」

 まだ日は高いが、足早にその場を立ち去る。

 そのまま自室へ直行し、扉を閉めればようやく落ち着くことができた。

「くそっ、なんなんだあいつは……」

 ちょうど私が伸び悩んでいるときに、魔法について何も知らない素人があんな……!

 脳裏によぎるのは、夕日と混じり輝いた炎。

 いや、認めるしかない。殿下の目は確かだ。彼が選んだ男というならば、その才は確かなのだろう。

「チッ。まあ、どうせ私には敵わないさ」



「上出来だ。今日はもう終わりでいい。帰って休むんだな。雑魚アシェル」

「はい! ありがとうございました、フィンレーさん」

 数ヶ月経ってすっかり呼ばれ慣れたのか、雑魚とつけてもアシェルは何も言い返してこなくなっていた。

「フン、これくらいで満足するなよ」

 アシェルは天才だ。

 認めざるを得ない。たった一週間でこいつは初級、中級、上級と区別されている魔法の「中級」までを扱えるようになった。今では上級の魔法に手を出している。

 私でさえ、一ヶ月はかかったのに。

 アシェルを強引に私の稽古場、クレーターの増えた小さな丘から追い出す。走り去っていく鍛えられた体の黒髪頭が見えなくなって、ずるずるとその場に座り込んだ。

「く、そ。こんなのでは、本当にあいつに追いつかれるんじゃないか……? そうしたら、僕は……」

 息が詰まり、軽く嘔吐く。

 大きく息を吸ったとき、鼻腔を通り抜ける草の香りが不快だった。

 十年前。

 弱く地を這いつくばるばかりの魔族であった私は、気づけば人間の奴隷へと成り下がっていた。そんな私に居場所を与えてくれたのが今の主人。あの王子には恩がある。

 彼のため、そして私自身のため。私は天才の皮を被らなければならない。

 その地位が揺らごうとしている。

 あのアシェルとかいう能天気で、ぼやぼやと頼りないおっさんのせいで。

「あんなやつ、僕の前に現れなければ……!」

 のろりと体を起こし、杖を構えて上級の魔法を地に打ち込む。

 アシェルは、魔物に襲われたところを剣士に助けられたことから剣士を志したらしい。しかし、剣の才はなく。

 魔法の道は何度も進められたが、剣士になりたいからと断ってきたという。

「それなら! なぜ今さらこちらの世界に足を踏み入れた!」

 火を、氷を、雷を。

 行き場のない感情のままに放ち、一気に体内から抜けていった魔力に膝をつく。乱れた呼吸は中々整わず、一向に上達しない魔法の技術に視界が水の膜で歪んだ。

「フィンレーさん! 大丈夫ですか⁈」

「なっ! バカ! どうしてまだここにいる!」

「す、すみません! タオルを忘れてしまって。すぐ帰ろうとしたんですけど、その、すごく負担がかかるやり方で魔法を使うフィンレーさんが見えたので……」

 気に食わない。ぽっと出の人間なんかに私の居場所を奪われてたまるか! 負担がかかるだと? 何を分かった気で!

「天才には、必死に天才の皮を被ろうとしている凡人の気持ちなど、分からないだろ」

「え?」

「どこにも居場所がなく、自分のいたい場所も選べない。夢などみる時間すらなかった。僕のやり方に口を出すな!」

 ここ数ヶ月、溜まりに溜まった鬱憤が漏れ出て。一度吐き出してしまえば止まることを知らず濁流のように溢れ出した。

 力が抜け、崩れ落ちた体に一層腹が立つ!

「っ〜! お前に、何がわかる! 僕はっ、天才なんかじゃないのに! やり方なんて何もわからなくて、知らないまま、いつ捨てられるか分からない恐怖に苛まれる気持ちがわかるか⁈」

「フィ、フィンレーさん、一旦落ち着いてください!」

「僕に触るな! 雑魚アシェルの分際で!」

 差し伸べられた手を払いのけると、手入れできず伸びた爪がアシェルの手の甲に一筋。赤い線を作り出した。

「ぁ……」

「フィンレーさん手ボロボロじゃないですか! フィンレーさん?」

 俯いた顔を上げられなかった。

 僕はこいつに何をした? 自分の正気を保つために雑魚と呼んで、八つ当たりで傷をつけた。

 こいつは紛れもない選ばれし天才なのに。それを、認めたくなくて。

 自分の小ささに溢れた涙で視界が歪んだ。

「すま、な……ぃ」

「ちょ、フィンレーさん⁈ あー、これ全然痛くないですよ! 大丈夫ですって!」

 慌ててうろうろと両手を彷徨わせるアシェルは僕を怒鳴りも、殴りもしなかった。

「完璧でいられなくて、傷つけて、ごめんっ、なさ……」

「フィンレーさん! あなたは俺の、俺たちの憧れです。だから、そんなに思い詰めないでください」

 癖でがりがりと引っ掻き、皮膚を抉っていた両手を掬い上げられた。

「俺、以前剣士になりたかったって言ったでしょう」

「……」

「剣士に助けられたと思っていたんですけど、あれ、あなただったみたいです。この国に金髪で、青い隻眼、黒いローブを身につけた男性はあなたしかいないと王子に教えられまして」

 確かに、私は剣も使うが。

 からからと笑ったアシェルを見上げれば、ぽん、と頭に手を置かれた。

「?」

 撫でられていると思い当たり、咄嗟に手を払いのける。

「子供扱いするな! 僕はもう二十だ!」

「若っか! 俺なんて一回りは年上ですよ……。とにかく! 俺はフィンレーさんみたいな、かっこいい戦士になりたいんです!」

 項垂れ、すぐに胸を張ったアシェルは先ほどの優しげな顔と違い、いつも通りどこか情けない雰囲気が漂っていた。

「ところでフィンレーさん。もしかしてあの魔法って独学ですか?」

「そうだが?」

「魔法書は読みませんでした? 俺、強制的に読まされたんですけど。フィンレーさんの詰まってるとこは初歩的なやつに見えますし」

「チッ。……い」

「え?」

「お前お得意の座学は嫌いだ! それに、だから……私は……字が読めない」

「マジですか」

 目を見開いてどこか嬉しそうな顔をし、私の両肩に手を置いたアシェルを睨みつける。

「なに笑ってる」

「なんか、フィンレーさんにも苦手なことがあって安心しました。魔法書には効率的な魔法の使い方がたくさん載っていましたよ! 俺が読むので、一緒に勉強しましょう!」



「おい雑魚アシェル」

 先に訓練場へ来ていたアシェルの背から声をかける。

「なんっですか⁈ 今めっちゃ集中してるんですけど!」

「……殿下に褒められた。お前のお陰だ。感謝する」

 ぶっきらぼうに言い放ち、沈黙が訪れた。

「今フィンレーさん俺が役に立ったって言いました?」

「そうとは言ってな……! っ、ああ! そう言った! お前が魔法書の内容を教えてくれるようになって、その。助かった」

 照れくさくて尖りそうになる言葉を飲み込む。目を向ければ、アシェルは子犬のようにうるうる、きらきらと目を輝かせていた。

「なんだ気色の悪い……」

「ちょ、酷! 珍しいフィンレーさんのデレを見て感動してたのに!」

 真剣でいればそれなりに様になっている残念な巨体を魔法で押し返し、取り戻した誇りとともに、しっかりと杖を握り直した。

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