第29話 感じる変化②
「お前はこれから人生が様変わりしていくじゃろう。そうする中で、お前は肉体的にも精神的にもより強くなっていくことになる。それはお前が望まなくてもな」
珍宝院は重々しく言うのだった。
「でも、俺がそんな風になっていくなんて、ちょっと信じられないですけど」
俺の正直な気持ちだった。
確かに珍宝院のおかげで俺は強くなれた。しかし、だからと言って本当にそんな風に人生が変わっていくというのは、想像が難しかった。
理屈はわかるが、実感として得られない感じだ。
「信じられないのは無理もない。いまはまだそんなに大きな変化はないからの。しかし、いま言ったようにお前が望むとかは関係なく変わっていくんじゃ。だから、いまから心の準備はしておくんじゃぞ」
「は、はぁ、一応わかりました」
俺としてはそう答えるしかなかった。
「あまりわかっていないようじゃが仕方がない。おいおいわかってくる。それじゃあ、わしは帰るから」
そう言うと、珍宝院は一人、俺とは反対方向に歩いて消えた。
それから何日か過ぎた時だった。
バイト先での昼休みに、同僚同士が話している会話がなんとなく耳に入ってきた。
「うちの母親がひったくりに遭ってさ」
「ひったくり? 最近このあたりで流行っているみたいだな」
「そうなのか? そんなの知らなかったよ」
「俺も噂を聞いただけだけど、ひったくりをしているグループがあるって話だよ」
「へえ、物騒だな」
と何気ない二人の会話だ。
「そんなグループがあるの?」
俺は普段なら興味を持たないような内容の話だが、なんとなくその二人の会話に加わった。
「あるらしいよ。俺も聞いただけだから、実際にそういうのがあるのかは知らないけどさ」
一人が答えた。
「ふーん。それで、ひったくりってどういう風にやるの?」
俺はひったくりというのがどういう犯罪かはなんとなくは知っていたが、詳しくは知らなかった。
「バイクに二人乗りをして、歩いている人とか自転車の人の後ろから近づくだろう。それで後ろに乗っている奴がカバンとかを奪って、そのまま一気に逃げるって感じだよ」
母親がひったくりに遭ったという方が答えた。
「へえ、そんな感じなんだ。でも、それって危なくないの? ひったくられる方って」
「そりゃ危ないよ。うちの母親はカバンを取られただけで済んだけど、場合によってはカバンがうまく取れずに引きずられて大怪我ってこともあるらしいよ」
「怖いなぁ」
「怖いよ。ホント迷惑な話だよ」
俺はそんなこともあるんだなぁと思いながら、会話から抜けた。
そして夕方になりバイトが終わった。
俺が家に帰ると、母親が血相を変えて玄関まで出てきた。
「ちょっとタカシ!」
様子がいつもと完全に違った。
「どうしたの? なんかあった?」
俺はその様子になにか大きな問題があったのかと驚いた。
「ひったくりよ!」
母親が大きな声で言った。
「ええっ! ひったくりに遭ったの?」
俺は昼間聞いた話が、まさか自分の身内に降りかかるとは思ってもみなかった。
「いや、違うの」
「え? 違うって?」
「ひったくりに遭ったのは母さんじゃなくて、隣の奥さん」
「なに? 隣の奥さんの話?」
「そうなのよ。隣の奥さんが今日の夕方、買い物の帰りに歩いてたら、突然バッてカバンを取られたんだって。中には財布とかスマホとか入っているから大変だって言ってたわ」
「そうなんだ」
隣の奥さんの話かよ。
俺はそれがわかってホッとしたような、意外に身近にあることに驚いたような複雑な気分だ。
「それで、犯人て二人組?」
俺が訊いた。
「そうなのよ。あら、どうしてわかったの?」
「昼間そういう話を聞いたからだよ」
「あんた、もしかして母さんに隠れて悪いことをしてるんじゃないでしょうね?」
「アホらし。俺がそんなことするわけないだろう」
母親というのは、自分の息子のことをまったく理解をしていないのだ。
俺にそんなことができる度胸があると思っているのか?
「それならいいんだけどね」
母親はひとしきり話をして気持ちがすっきりしたようだ。
それから夕食を食べて、俺は桐山の家に行った。
「お前、ひったくりが流行ってるって話、知ってるか?」
俺は桐山に訊いた。
俺と桐山はいつもの安い缶チューハイを飲んでいた。
「ああ、知ってるぞ。だいたい狙われるのは中年以上の女らしいよ」
桐山はそう言うと、一口チューハイを飲んだ。
「なんでなんだ?」
「たぶん、奪いやすいからじゃないの」
「そうなのか?」
「そりゃ、男よりも簡単だろうし、若い人よりも反射神経も鈍ってるだろうしな」
「それはそうだな。それでグループでやってるらしいじゃないか」
「らしいな。なんかSNSとかで実行犯を募集してたりもあるらしいぞ」
「へえ、それにしても儲かるのかな? ひったくりって」
「数をこなしたらそれなりになるんじゃないのか。やることは簡単と言えば簡単だから、次々やるんじゃないの」
「なるほど」
俺は状況がわかってきたら、被害には遭っていないが腹立たしい気分になって来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます