第5話 謎の老人③

 一週間が過ぎた。

 あの爺さんからもらったビンは机の上に置いている。もちろんまだ飲んでいない。

 俺は金満寺に行った翌日から、普通に生活をしていた。アルバイトも休んでいない。

 そして、そんな風に過ごしていると、もらったビンのことなどは、ほとんど忘れていた。

 そんな日々の中、今日もアルバイトが終わり家に向かって帰っていると、前にカツアゲされた半グレの三人組に出くわした。

 ヤバい。

 俺は知らん顔をして立ち去ろうとしたが、三人組のほうが話しかけてきた。

「あれ、この前の奴じゃねえ?」

「あ、ホントだ」

「おい、またちょっとツラ貸せよ」

 俺は聞こえないふりをしようとしたが、男どもはしつこく俺の後ろをついてくる。

「おい、無視すんなよ」

 うるさい。こういうのは無視していると飽きてどこかに行くはずだ。

 俺はとにかく自分の行く方へと脚を進めた。

 人通りもそれなりにある道だ。殴ったり乱暴なことはしないだろうという計算もあった。

「待てよ。待てって言ってるだろうが!」

 一人が俺の上腕をつかんで引っ張った。

 俺は立ち止まるしかなかった。

「おい、無視するとはどういうつもりだ?」

「生意気なんだよ」

「ちょっとこっちに来な」

 俺は腕を振り払って逃げようかと思ったが、そんなことをすると余計に酷い目に遭わされるのではと頭によぎった。

「こっちだ」

 男が引っ張る。 

 俺は情けないことに引っ張られるがままについていくことになった。抵抗する勇気がないのだ。

 また人気のない路地に連れ込まれた。

「財布を出せ」

 前のことがあるので、今回は素直に出すべきか? それとも勇気を出して歯向かうべきか?

 俺は考えたが、すでに手はポケットに入れた財布に触れていた。

 情けない。

 俺はお金を渡してさっさと逃がしてもらおうと思った。

「これこれ、若者よ」

 三人組の背後から声がした。

「なんだ?」

 三人が振り返った。

 するとそこには金満寺で会った爺さんがいた。

「え?」

 俺はどうしてここにあの爺さんがいるんだ、とボーッと眺めた。

 状況が理解できなかったのだ。

「なんだ、ジジイ」

 一人が息巻いて、爺さんの顔に自分の顔を近づけた。

 すると、爺さんはなんと男の鼻にガブッと素早く噛みついた。

「ギャアアアア」

 鼻を噛みつかれた男は、激しい悲鳴を上げた。

「い、痛てー!!! は、離せ、この野郎!」

 爺さんはそれでも離すどころか、そのまま男の鼻を嚙みちぎってしまった。

「グワァァァァ!!!!」

 鼻を噛みちぎられた男は、だらだらと血を流しながら、喚き散らした。

 他の二人は呆然とその様子を見ている。

 あまりのことになにが起こったのか理解できないようだ。

 まあ、俺もまったく理解ができないのだが。

 男の鼻を噛みちぎった爺さんは、その噛みちぎったものを、モグモグと咀嚼して食べてしまった。そして、袂から爪楊枝を取り出して、歯の掃除をする始末だ。

「あんまりうまくないのう」

 シーシーと爪楊枝を使いながら、息子の嫁の作った料理を食べる舅のように言うのだった。

「ジ、ジジイ!」

 鼻を噛まれていない二人が我に返り、爺さんに向かっていった。

 ああ、やられる!

 そう思った瞬間、爺さんはさらりと身をかわし、一人の男の顔面を殴った。

 殴られた男は、五メートルほど飛ばされて倒れた。殴られた顔は陥没して血まみれだ。

 し、死んだんじゃ……。

 そして、間髪入れず残りの一人の股間を蹴り上げた。

 その蹴りもかなりの威力で、男は二メートルぐらい宙に浮いて落下してきた。

 急所を蹴られた男は泡を吹いて白目をむいている。

 こ、こいつも死んだんじゃ……。

 鼻を噛みちぎられた男は、その様子を見てガタガタと震えて地面にへたり込んでいる。股の間はすっかりお漏らしで濡れていた。

「まだやるかいの?」

 爺さんが言った。

「ヒ、ヒィィィ!!」

 鼻を噛みちぎられた男は鼻から出る血を手で抑えながら、あたふたと逃げて行った。

「おーい、仲間を置いていくのか?」

 爺さんが言ったが、男は振り返ることもなくいなくなった。

「若者よ。あの薬は飲んだか?」

 爺さんはやさしい口調で俺に訊いてきた。

「え、あ、いや、まだ」

「なんじゃ、早よ飲まんか。飲んでいたらこんな連中、屁でもないのに」

 爺さんはあきれた様子だ。

 俺はそれどころではなかった。この残った二人は死んでいるように見える。いや、死んでいるはずだ。

 一人の男は顔が完全に陥没しているし、一人の男は泡に白目だ。おまけに二人ともあれからピクリとも動かない。

 俺が青い顔をして、倒れている男を見ていると、

「あ、この二人か? 気にするな。これも運命じゃて」

「運命?」

「そうじゃ。わしにかかって来たからの。なにもせずにやり過ごしておけば、こんな目に遭わずに済んだ」

「は、はあ」

「ライオンの強さを知らずにかかっていくやつがいたらどう思かのう?」

「それは、自殺行為かと」

「それと一緒じゃよ」

 だから運命ということにはならないじゃないか?

 なんだかよくわからないが、とにかくこの爺さんがただ者でないことはよくわかった。

「い、いや、そういうことじゃなくて、こんなことしたら警察に捕まりますよ」

「ハハハ、まあ、それはないじゃろう。わし、普通の人間じゃないから」

「とにかく、早く移動しましょう。誰かが来たら厄介だし」

 俺はとりあえずこの場にいてはまずいと思い、急いで立ち去ることにした。

「そうか。わかった」

 爺さんはそういうがまったく急いでいる様子がない。

 本当に警察に捕まることがないと思っているのか?

 よくわからない爺さんである。


 俺は路地から抜けて、急ぎ足でありながら、慌てている様子が周りの人に気づかれないように、いそいそと移動した。そして、そのまま自宅の方へと向かった。

 しばらく歩き気持ちが落ち着いてくると、周りの視線が気になりだした。なにせ爺さんは汚い着物姿である。おまけに下駄を履いているのでカランカランと音がして、周りの人は嫌でもこちらを見ている。

 白髪や髭は長く、赤ら顔だ。汚い恰好のわりには不思議と臭いはしないが、見た目はかなり異常である。

「ところで、どうしてここにいるんですか?」

 疑問を爺さんに訊いた。

「あんたが酷い目に遭いそうだと思ったから、様子を見に来たんじゃよ」

「え? それってどういう意味ですか? どうしてそんなことがわかったんです? いや、そもそもどうして俺の居所がわかるんです?」

「あれこれ、そう慌てて訊きなさんな。わしは普通の人間ではないと言っておるだろうが。それぐらいわかるわい」

 答えになっていない。

 爺さんが普通の人間でないことはよくわかる。しかし、だとしたらどういう人間なんだ?

「あの、つまりそれって、お爺さんは仙人かなにかということですか?」

「まあ、そういう風に思ってもらっててええよ。説明が面倒だし」

「は、はあ」

 俺はそれ以上は訊くことができなかった。

 家の前まで来ると、

「ここが俺の家です」

 と爺さんに言うと、そこには爺さんの姿がなかった。

「あれ、お爺さん?」

 俺は周りを見渡したが、爺さんの姿はなかった。

「あれ、おかしいな。さっきまで後ろを歩いていたと思ったのに」

 なにかお礼でもと思ったけど、まあ、いいか。

 あんな爺さんにいったいなにをお礼したらいいかのわからないしな。

 俺は自宅へ入り自分の部屋に入った。

 それにしても、あまりの出来事に俺は理解が追い付いていなかった。頭の整理には時間がかりそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る