第4話 謎の老人②

 境内は落ち葉などが積もっていて、住職などはいないようだ。管理されている様子がない。

 敷地は狭い。

 本堂らしきものがあるだけで、それ以外にはなにもない。

 俺は本堂に近づいた。そこには一応賽銭箱が置かれている。

 中を見ると何枚かの小銭が入っていた。しかし、それもかなり以前に入れられたもののようだ。小銭の上に埃が被っている。

 ま、賽銭だけ入れて帰るか。

 こんなところ来るんじゃなかった。

 俺は財布から五円玉を取り出し、それを賽銭箱に入れた。コロンと音がする。

 手を合わせた。

 特になにをお祈りするということでもないが、喧嘩が強くなりたいと、フッと頭に浮かんだ。

 しかし、お寺でそんなことをお祈りすのもなあ。

 俺は自分の考えがなんだかおかしくてククッと笑った。

「帰ろ。あぁあ、アホらし。わざわざこんなところまで来てこれかよ」

 すぐに駅に戻ろうかと思ったが、脚がかなりくたびれている。またあの道のりを考えると、すぐに動く気にならなかった。

 俺は賽銭箱の横に腰を降ろした。

 ああ、ジュースかなにか飲み物を買ってきた方が良かったな。

 そんなことを思いながら、スマホを取りだし、SNSを見た。

「おい、若者よ」

「ひやああぁぁぁぁぁ!!!」

 突然話しかけられて、俺は誰もいないと思っていたから、思わずスマホを落としそうになるほど驚いた。

「えっ、あ、はい」

 俺は慌てて立ち上がり、声のした方を見た。

 そこには、小柄な和服姿の爺さんが立っていた。

「あ、すみません。誰もいないと思って……」

 俺はなんとか言い訳をしようと思った。

「ハハハ、別に謝ることはない。なにも悪いことをしていないんじゃから」

 爺さんはそう言いながら、俺に近づいてきた。

 爺さんはよく見ると、赤ら顔で、白髪は長く肩にかかるぐらいある。髭も白く長い。パッと見は完全に仙人である。

 着ている服はかなりボロボロの着物だ。あちこち小さく破れたりほつれたりしている。茶色に見えるが、それはひょっとしたら汚れているだけなのかもしれない。

「ところで、ここになにしに来たんじゃ?」

 爺さんが訊いてくる。

「いやあ、なんと言うか、まあ、観光、ですね」

「ほう、観光! そうかいそうかい。まあ、ゆっくりしていきなさい」

 爺さんは嬉しそうだった。

「あのう、ここのお寺のお坊さんですか?」

「わし? いや、わしはここの寺には住んでるが、坊さんじゃない。この寺はもう何十年も住職はおらんよ。空き家にしておくのももったいないから、わしが住んどるんじゃ」

 ということは、つまりホームレス?

 頭にはそんなことが浮かんだが、それは言葉にしなかった。

 爺さんは俺のそばに来て座った。

「まあ、座りなさい」

 爺さんに言われて俺は爺さんの横に座った。

 なんで知らん爺さんと横並びで座らないといけないんだ。

「ところで、あんたは喧嘩が強くなりたいのかな?」

 爺さんが言った。

「え? あ、まあ、そう、ですね」

 あれ? なんで俺がさっき頭に浮かんだことがわかるの?

 俺は不思議に思ったが、偶然だろうとすぐに思い直した。

「なんで喧嘩に強くなりたいんだね?」

「それは……、なんと言うか、自分でもよくわからないんですが……」

 改めて訊かれると理由が思い浮かばなかった。

 嫌な奴を殴り倒したいとか、そういうことが理由なんだとは思うのだが、さらに考えると、もっと違う理由があるような気もした。

「ほう、理由がわからないかね? まあ、人間なんてそんなもんだ。金持ちになりたいなんて思いながらも、金持ちになってどうしたいとなると、急に答えに困る人も多い。ワハハハ」

 爺さんは愉快そうに笑った。

「あのう、俺が喧嘩が強くなりたいってどうしてわかったんですか? たまたまですか?」

 俺はやっぱり気になったので質問した。

「それは、わしは普通の人間じゃないからのう」

「普通の人間じゃない? というとこのお寺の神様とか?」

 俺は爺さんが冗談でも言っているのかと思い、それに合わせて冗談ぽく言ってみた。

「ワハハハ、寺は仏教の施設じゃよ。神様は神社じゃ。そんなことも知らんのか」

 俺はバカにされたと思ってムッとした。

「まあ、そう怒るな。いいのもあげるから、ほらこれ」

 爺さんは小さなビンを取り出した。栄養ドリンクぐらいのサイズだ。透き通ったビンの中には、緑色の液体が入っている。

「そ、それは?」

「君の願いをかなえる薬じゃ」

「願いをかなえる?」

 いかにも怪しい。

「ほれ、これを飲め」

 爺さんはビンを俺の方へ突き出した。

「い、いや、そういうのは、ちょっと……」

「なんじゃ、いらんのか?」

「いや、いらないとかそういうことじゃなくて……」

「遠慮はいらん。飲んだら喧嘩に強くなれるぞ」

「は、はあ」

 こんな気味の悪いもの飲めるかよ。

 だいたいこんな怪しい爺さんの出したものなんて、得体のはっきりわかったものでも飲みたくないよ。それなのにこんななんだかわからない液体を飲むなんて、とてもじゃないができるはずがない。

 願いをかなえる?

 喧嘩が強くなる?

 バカバカしい。

「さあ、いますぐ飲みなさい。ほらほら」

 爺さんはやけにグイグイ勧めてくる。

「あ、ああ、ありがとうございます。いまはまったく喉が渇いていないんで、あ、後で飲んどきます」

 俺はビンを受け取り、立ち上がった。

「じゃ、じゃあ、すみません。俺、帰らないとまずいんで」

 俺はとにかくこの場をさっさと去ろうとした。

「そうか。まあ、後でもいいよ。全部飲むんじゃぞ」

「はい、わかりました。ありがとうございました。それでは、失礼します」

 俺はいそいそと寺から出て行った。

 なんなんだ、あの爺さんは?

 気持悪い。

 俺はもらったビンをポケットに入れて、来た道を戻っていった。脚の疲労のことは、あの爺さんのことで忘れていた。

 駅に着くと、来た電車にすぐに乗った。

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