第9話 復縁

「まず、一つだけ。これから話す話の中で、俺は一切嘘はつかないし、訊かれたことにも正直に答える。……咲希にとっては信じられないかもしれないけど、それでもこれだけは絶対に反故にしないと約束するよ」

「……そう」


 『私』に名前で呼ばれた事に対する嫌悪感か、無遠慮な言葉遣いへの不快感か、私の言葉への不信感か……或いはそのいずれもか。

 微笑が崩れて一瞬無表情になったのをすぐに取り繕って手短に返事を返した咲希に、冷や汗が背筋を伝うのを感じながら、静かに瞑目して――


 自分自身の意識に対する認識を切り替える。

 紫宮樹季という前世の記憶を持つから、柴崎藤香として転生したへと。


 ……切り替えると言っても、人格が分かれている訳ではないから本質的には何も変わらない。

 格好つけて言うなら心理学で言うペルソナを付け替えるような感覚だろうか。身も蓋もない事を言えばただの気の持ちようだ。

 

 そうする理由の一つは、これまでの経緯を説明するのなら、赤の他人である私の視点で話すよりも俺を主体として語った方が咲希にとっては受け入れやすいだろうという……安易な思考。

 逆効果で却って神経を逆撫でしてしまう、という可能性もあるし……そもそも、こうしてすぐネガティブな懸念が浮かぶ時点で、元々の俺とは精神性が乖離しているのは自分でも理解している。


 それでも。咲希と面と向かって会話をするのなら、俺の記憶を持つ別人としてでは無く咲希の兄である俺自身として話したい、と。

 そんな考えはのエゴだと、心の奥から聞こえてくる責める声と全身を針で刺すような感覚を無視して、咲希としっかり目を合わせてそのまま言葉を続けた。

 

「……今更長々と語ってもアレだし、単刀直入に言うよ。俺は、この身体として生きてきた人生とは別の記憶が――紫宮樹季としての人生の記憶があるんだ」

「――っ……」


 ……いきなり核心、しかも荒唐無稽な話に触れたと言うのに、咲希は微かに目を見開いて無表情になっただけで予想していた程驚いた様子を見せず、ただ静かに俺と目を合わせ続けていた。


「漠然とした記憶は生まれた頃から持ってたんだけど、つい最近……今年の元日に全部思い出して。俺がイラストレーターをしてること、咲希は知らないと思ってたし、葡萄乃樹として誰かと顔を合わせたことも無かったから……今の俺が活動を再開しても、支障は少ないと思ってたんだ」

「…………」


 咲希は、僅かに目を逸らす。


「それで葡萄乃樹のDMを確認してみたら、姫竹かぐやさんから記念配信に出て欲しいって依頼が来てたのに気が付いて……それまでのメッセージとか依頼には反応も出来てなかったから、それには応じないと、って」


 出来る限り手短に、今日に至るまでの経緯を語る。

 ……話している内に咲希は視線を下げきり、表情はもう殆ど伺えなくなってしまった。


「……そう簡単に信じられる様な話じゃないっていうのは分かってる。……でも、本当なんだ。証明できるなら何だってする! だから」


「――そんな出鱈目を言うために態々呼び出したの?」


 椅子から立ち上がる程の勢いで捲し立て――冷たい声でそう切り捨てられた。

 俯き加減で詳しくは分からないものの、表情を歪めているのも僅かに伺える。


「くだらない……言い訳にしても最低だよ、そんなの」

「……っ」

「お兄ちゃんはあなたみたいな性格じゃない。あなたとは似ても似つかない。……あなたは、私のお兄ちゃんじゃない……」


 そう弱々しく言い捨て、一度無造作に手の甲で目元を拭ったかと思うと、徐ろに椅子から立ち上がって振り返り、店の入口の方へ歩き出した。


「――」


 泣いていた。咲希が。

 俺のせいで。私が、咲希と前世のような関係に戻りたいだなんて高望みして、兄の死という咲希の心の傷をこじ開けたから。


 どうすれば良かったの。俺の望みには蓋をして、他人の人気を使ってでも承認欲求を得たかったからアカウントを乗っ取ったクソ野郎なんだと、咲希に嘘をついて誤魔化せば……それでどうなる? 心の傷をこじ開けていることに変わりはない。

 それなら、そもそも葡萄乃樹として活動再開なんてしなければ。……前世の記憶なんて、思い出さなかったら良かったのに。


 ……そんなのも所詮後悔でしかない。今更どうしようもない。もう俺が何を言っても、逆効果にしかならない。


「待ってっ……」

 

 ぐるぐると思考が反芻して自責の念に駆られる中なんとか立ち上がり、兄としてこんな状態の咲希を放っておけないと、無我夢中でその背中に制止の声を投げかけた。

 そんな状態に追い込んだのは、当の私だと言うのに。


 咲希は俺の声に立ち止まり、而して振り返ることもせず、ただ呟くように静かに言った。


「……葡萄乃樹はお兄ちゃんのアカウントだから、あなたの好きにして。……姫竹さん達の事もあるし、むしろこれからも活動は続けた方が良いよ」

「え……?」


 そんな投げやりとも取れる言葉に、暫く思考が止まる。


 ……私はてっきり、葡萄乃樹として活動するのは辞めろと言われると思っていた。

 私が咲希の立場でもそうするだろうし、そもそも私がかぐやさんの記念配信に出た後、咲希は絶対に許さないとまで言う程怒っていたから。


 ……俺の自惚れだったのかな。咲希にとって、俺はそこまで気にするような存在じゃなかったのか。

 ――でも、だったらなんであの時あれだけ怒って……それにさっき泣いていたのはどういう理由で……


「……私のことは、もう、忘れて」


 考え込んでいる内に、咲希は辛うじて聞き取れるような弱々しい声でそう呟き、入口に向かって足早に歩みを進め、ドアハンドルに手を掛ける。


 今度は何も言う事が出来ず、私はただその背中を見送ることしか――




「――咲希さん」


 それまで静かに様子を伺っていたマスターさんが、ドアを開ける寸前の咲希に諭すような口調で声を掛けた。


「貴女が何を考えているのかは想像できます」

「っ……」

「ですが。それではお二人共に不幸な結果を残すだけではありませんか」


 ……何、を。

 どういうこと。私には理解できない。


「貴女は昔から、色々と抱え込んだ挙句全て自分一人で事を収めようとしてしまう。……それも最近は落ち着いてきたと思っていましたが、矢張り変わっていませんね。……貴方もそう思うでしょう――樹季君」

「――」


 緩慢な動作で目線だけをマスターさんの方へ向けると、彼は、前世で色々と相談していた時と同じ優しめな表情で俺を見ていた。


「私達は貴方の話を嘘だとは思っていません。……むしろ咲希さんは、私にこの件を話してくれた時から、貴女が樹季君の生まれ変わりなんじゃないかと疑念を抱いてさえいました」

「――えっ……じゃ、じゃあ何で……!」


 咲希が力なくドアハンドルを握ったまま俯いているのを一瞥し、自分から何かを言うつもりも此処から出ていく気もないのを見て、マスターさんは言葉を続けた。


「新たな人生を歩んでいる樹季君を、『もう既に終わったこと前世』に縛り付けたく無かったから。貴方が樹季君の生まれ変わりだとは気付いていない振りをして、ああして拒絶の言葉ばかり口にした。……違いますか?」

「……あはは、やっぱり、マスターさんには敵わないなぁ。マスターさんに相談なんてしなきゃ良かった」


 咲希は涙声でそう零しながらゆっくりと振り向き、うつ向き加減の顔から泣き笑いの表情を覗かせながら、マスターさんの言葉を継ぐように話し始めた。


「…………最初にDMを送った時は、今のお兄ちゃんがお兄ちゃんだなんて少しも考えてなかった。だからあんなDMを送って……それから今のお兄ちゃんが描いた絵を見たり、その後のコラボでの口調とか話してた内容から、もしかしたらお兄ちゃんなんじゃないか、って……都合の良い妄想が浮かんだの」

「その時はそんな考えは少しだけで、殆ど乗っ取りだとしか考えていなかった。……けど、それから段々と疑念が膨らんできた。それでもし、本当に貴女がお兄ちゃんだったら、って考えて……すごく嬉しいと思った。もう二度と会えないと思ってたお兄ちゃんに会えるなんて、って」

「……でもこの一週間で、こうも考えた。もしそうだったら、お兄ちゃんはもう新しい人生を歩んでたのに、私があんなDMを送ったせいで前世に縛り付けちゃったんじゃないか、って」


 咲希は諦観と後悔、そして僅かに肩の荷が下りたような解放感を滲ませながら、今度はしっかりと俺の目を見て続ける。


「もう一度お兄ちゃんと話したい、家族として接したいなんて……そんなの私のエゴでしかないから。これ以上お兄ちゃんの迷惑にならないように、って……」


 目尻から一筋涙を流しながら、消え入りそうな声で零す。


「思ってたんだけどなぁ……」

「咲希……っ」


 それに俺も泣きそうになりながら思わず駆け出し、その勢いのまま咲希を強く抱きしめた。

 

「ばか……ばかっ……! 俺だって同じだよ! こうして記憶を思い出して……咲希や、母さんと父さんともう一度だけでも話したいって真っ先に考えた!」

「……そう、なの?」

「当たり前だろ……! そもそも、あんな死に方で前世は前世だなんて簡単に割り切れる訳無いよ……だけどこんな姿じゃどうやっても信じて貰えないって諦めようとして……でも、咲希があのDMを送ってきてくれたから、話をしないとって思って、全部打ち明ける覚悟を決められたんだ」


「……だから、ありがとう。あの時DMをくれて……それと、そんなに抱え込ませちゃって、ごめんね、咲希」

「……うぐっ……ひぐっ……」


 少し息が苦しくなるほど強く俺を抱きしめ、肩口に顔を押し当てて嗚咽を漏らす咲希の背中を、幼い頃のようにポンポンと軽く叩いて宥める。


「……ねぇ、咲希。こんな俺でも、まだ兄って呼んでくれる……?」

「うん……! うんっ……!」


 咲希は腕を解いて涙を拭った後、最初の冷たい微笑ではなく見慣れた明るい笑みを浮かべ、俺に笑いかける。


「――おかえり、お兄ちゃん」

「……うん。ただいま」


 二年越しに、またこの場所で兄妹として再会できた。

 その奇跡を改めて噛み締めて、俺も自然と笑みを零しながら咲希の言葉に応えた。

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TS転生した元社畜絵師とVTuber達の話 二幕ナミク @namik

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