第10話 話し合い

「ずず……うん、やっぱりマスターさんの珈琲は美味しいね」


 咲希の手を引いて席に戻ると、それからすぐマスターさんが二杯のカフェオレを淹れて持ってきてくれたので、今は二人でそれを頂いていた。

 咲希は先程までの話と外の寒さから身体が冷え切っていたから良いとして、私は既に頼んだ物があるからと遠慮しようとしたんだけど、来た時に貰ったカフェオレも既に冷めてしまっていたからと言われて結局ご厚意に甘えさせて貰った。

 その際マスターさんは何も言っていなかったけど、勿論その分の料金は払うつもりだ。


「珈琲って……これ、カフェオレでしょ」

「私にとってはこれが珈琲だから良いの。っていうか、そう言うお兄ちゃんだって飲んでるのカフェオレじゃん」

「それはそうだけど……俺も今朝気づいたんだけど、転生してから味覚が変わっちゃってて、苦い物が受け付けなくなっちゃったんだ」

「……そっか、そうだよね。分かってたつもりだったけど、本当に今のお兄ちゃんって女の子なんだ」

「……うん」


「だったらさ、今度一緒にスイーツでも食べに行かない? お兄ちゃん、前は特に甘い物が好きって訳でもなかったけど、今なら一緒に楽しめるんじゃない?」

「――あ、ありがとう……」



 咲希の物よりも気持ちぬくめで、猫舌の私でも飲める絶妙な温度のカフェオレを嗜みながら、先程までとは違って和やかな雰囲気で言葉を交わす。


 幼い頃の思い出話に花咲かせたり、お互いの近況を話したり。

 その度に前世との差異が浮き彫りになったりもしたけど、咲希はそれも気にせず接してくれて……私も、初めて『紫宮樹季』でも『柴崎藤香』でも無いありのままの自分を誰かに受け入れてもらえて、上手く言えないけどなんだか胸が軽くなったような気がした。



 ――因みに、雑談の流れで何で葡萄乃樹が俺だと知っていたのか訊いてみた所、どうやら以前友人から推しとしてかぐやさんを布教され、その絵柄が明らかに俺のものだったことから、もしかしてと思ったらしい。

 そこから辿ってそのモデルを描いたイラストレーター――葡萄乃樹のアカウントに行き着き、他に投稿されていたイラストの絵柄の特徴や、最終更新の日付と俺が死んだ時期が重なっていたことから確信に至ったのだそう。


 そして咲希はそれを母さん達も含めて誰にも話していないらしく、咲希が知る限りは自分以外は誰も俺が葡萄乃樹として活動していたことは知らないはず、とのこと。

 ……とは言っても、遺品整理で俺が住んでいた賃貸に液タブとかのデジタル画材があったことも知っているから、少なくとも就職後も絵を描いていたことは知っているらしい。ネット上で活動していたことまで察しているのかは流石に分からないけど……と困り顔で言っていた。



 ――閑話休題。 


 咲希と仲直りも出来たし、私はもう今日分の精神力を使い切ったから後は延々と駄弁って終わり……と行ければ良かったんだけど、当然ながらそういう訳にも行かず。

 咲希の次は母さん達に転生したことを打ち明けないと、と暫く雑談してから覚悟を決めて、俺が死んだ後の母さん達の様子を訊くことにした。


「ママ達、ね……そりゃ、すっごく悲しんでたよ。特にママなんて、お兄ちゃんが過労死したのは自分のせいだってずっと気に病んでた」

「……そう、だよね」

「私も、お兄ちゃんのお陰で今こうして大学に通えてるのは本当にありがたいって思ってる。でも、お兄ちゃんが死んでまで通わせて欲しいだなんて思って無かったよ」


 先程までの泣き腫らしていた目がまだ治まっていないのもあって、口角を上げて微かに笑ってはいるものの、悲痛さが心を刺すように伝わってくる。

 原因が俺だからこそ、それも尚更。


 ……就職が決まった後も、母さんからはよく『無理はしないでね』とかの連絡が来たり手作りのおかずを冷凍で送って貰ったりしていたから、心配されていたのは身に沁みて分かっていた……つもりだった。

 これくらいなら大丈夫だと自分の体力を過信していた訳では無い。けど、あれだけ心配されていても、俺の中では俺の身体よりも咲希達の方が優先順位が重いというのに変わりなかった。

 ……流石に死んでも良いとまでは考えていなかったけど。例え体を壊してでも、少しくらい無理するのは仕方ないと思っていて……その結末は知っての通り。


「……ごめん」

「……まぁでも、今こうして帰ってきてくれた訳だし」


 ――二度と私より先に死んだりしないって約束してくれるなら許してあげる、と冗談交じりに笑う咲希の言葉を、しっかりと胸に刻み込んだ。





「こほん……話は戻るけど、ママ達にお兄ちゃんが生まれ変わってるってことを打ち明けるのって、今日これから行くつもりだったりする?」


 先程の発言が恥ずかしくなってきたのか、咲希は照れくさそうに頬を少し赤く染めて視線を少し逸らしながら、気を取り直すように小さく咳払いをしてそう訊いてくる。

 その様子は気にしないようにしつつ、私の考えを口に出した。


「ううん。出来るだけ早く打ち明けたいのは山々だけど、無策で行っても上手く行かないのは分かってるから。……また今度にしようって思ってる」

「……うん、私もそれが良いと思う。生まれ変わってたなんて突然言われても普通は信じられないし、いざ打ち明けた時に『本当かもしれない』って思われるくらいの下準備は必要かなって。自分で言うのもなんだけど、私みたいにね……それに」


 咲希は僅かに考えてから小さく頷き、苦笑しながら私の目を見て続ける。

 

「お兄ちゃん、と違って今は結構メンタル弱いでしょ。もう精神力使い切ってこれ以上はキャパオーバー、って顔してたよ」

「え゙っ……そ、そう?」

「そんな状態で考え込んでも気が滅入るだけだし、ママ達にどうやって打ち明けるのかはこれから一緒に考えるとして、今日はゆっくり過ごさない?」

「……そう、だね」


 小首を傾げてそう提案してくる咲希に、私も少し悩んだ末に了承を返す。

 私のメンタルが前世より弱いというのは否定出来ないし……もう既にカフェオレの甘みと温かさで頭がとろけ気味だったのもあるから、私もその提案に異存は無かった。これ以上難しいことが考えられなかったとも言う。


 ……ともかく。先送りと言ってしまえばそれまでだけど、今日くらいは兄妹二人で穏やかに過ごしてもバチは当たらないだろう、と。


 どちらからともなくまた雑談を再開し、賑やかに談笑している私達を、マスターさんもカウンターの奥で道具の手入れをしながら静かに見守ってくれていた。



 ◇ ◇ ◇



 その日は結局昼頃に二人でオムライスを頂いたり、カフェオレを追加で何杯か貰いながら延々と駄弁り続け、マスターさんにも迷惑と心労を掛けたお詫びと諸々に対してのお礼を伝えてから、日が暮れ始めた午後五時頃に喫茶店を後にした。

 出た瞬間外の凛冽な空気に二人同時に身震いし、そんなタイミングの良さにお互い吹き出して笑い合ったりしつつ、それぞれ帰路に着き……




 ――それから、早くも一週間が経とうとしていた。


 再び兄妹としての関係に戻れたと言っても、私も咲希もそれぞれ高校と大学で忙しかった為に、就寝前の様な時間がある時に通話するようになった程度で生活に特段変化は無く。

 母さん達にどう打ち明けるかも目下相談中ではあるけれど、ネット上で活動していたことから伝えようにも、そのアカウントを現在私が使ってしまっているから説明のしようがなく……正直、殆ど進捗は無い。



 そんな状況でも時間は過ぎていくもので、現在は月末を4日後に控えた木曜日の午後9時頃。

 思えば記憶を思い出してからもう一ヶ月も経つんだな、と何だか感慨深さを感じながら適当な野菜と肉で作った甘辛炒めを少し遅めの晩飯に食べていると、突然スマホから通知音が鳴り響いた。

 一旦箸を置いて画面を覗き込んでみると、そこに映っていたのは、かぐやさんからの連絡を示すThiscordアプリからの通知。

 どうかしたのかと気になって開いてみたら『今、電話しても大丈夫ですか?』と来ていたので、口の中の物を飲み込みながら『大丈夫です』と返すと、直後かぐやさんからの着信が表示された。

 急いで残りを飲み込みながら応答ボタンを押してスマホを耳元に運べば、通話先からは聞き慣れた明るい声が聞こえてくる。

 

『あっ、葡萄ママ! 今って時間大丈夫ですか?』

「んくっ……だ、大丈夫ですよ。どうかしましたか?」

『えっとですね、これまで葡萄ママには二回配信に出て貰ったじゃないですか。両方とも声だけの出演でしたけど』

「そうですね。どちらもとても楽しかったです」

『え、えへへ……ありがとうございます――って、そうじゃなくて……それでですね、いつまでも葡萄ママだけ声だけというのも寂しいので、葡萄ママの立ち絵を作るのはどうかな、と思いまして』

「立ち絵、ですか」


 これまでの二回とも本当に楽しかったから、私からしても嬉しいんだけど、ナチュラルに今後も配信に出ることになってるし……なんだか、いよいよもってレギュラーゲストのような扱いになってきた気がする。


 とは言え、立ち絵か。言われてみれば、『葡萄乃樹』が今後も度々配信に顔を出すのだとしたら、視聴者さん達にも一目で分かる視覚的なイメージ……というよりキャラクターがあった方が良いのも確か。

 オリキャラ自体は今まで何度も描いたことはあるし、この際自分の分身となるキャラクターを作ってみても良いかもしれないな、と思いながらキャラデザの案を思い浮かべていると、かぐやさんから思わぬ提案が飛び込んできた。


『で、もし良ければなんですけど……週末の日曜日、葡萄ママの立ち絵作成も兼ねて――お絵かきコラボをしませんか?』


「……はい?」

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