第2話 コラボ依頼

「……あ、届いてる」


 前世の記憶を思い出してから早数日。

 そろそろ冷蔵庫の中身と日用品の在庫が心許なくなってきたから近所のスーパーに買いに出かけて帰ってきたら、玄関先に宅配物が届いていた。


 ……そうだ。言い忘れてたけど、今私が住んでいるのは世間一般以上には位置するランクの分譲マンションの一室。これは凛花さんは関係なく、血縁上の父親が私の母に買い与えて手切れ金代わりにそのまま残していった物だ。


 私一人で住むには広すぎるし、税金とか費用も嵩むから一時はここを売ってもっと安い賃貸に住んだ方が良いのかなと考えたりもしたけど、凛花さんから『よっぽど家賃が安い所じゃないとこのままここに住んでいた方が安いですし、そんな所に貴女を住まわせる訳にはいきません』と止められたから住み続けている。

 凛花さんはああ言ってたけど、それでも馬鹿にならない出費であることに変わりはないだろうし……本当に恩は溜まっていくばかり。いつか全部返せる時は来るのかな。

 


 ――さて。話を戻すと、宅配物の段ボールの中に入っているのは液タブ。あの日のあの後に注文した物なんだけど……これが私の人生で一番高い買い物だった。しかもこれ私じゃなくて凛花さんが稼いだお金で買ってるし……いよいよ罪悪感で胃に穴が空きそう。


 ひとまず先に買い物を仕舞ってから玄関先に戻って、おっかなびっくり宅配物を抱えて中に入り、リビングの一角にあるパソコン用のデスクに置く。

 ……そう言えばこのパソコン、貰った日に少し試してからずっと触ってなかったな。私には何が何だかちんぷんかんぷんだったからすぐ諦めちゃったし。


 今にして思えば、これパソコン関係に詳しいネッ友がおすすめって言ってた奴と同じつよつよスペックのパソコンなんだよね。プロゲーマーも使ってるとか聞いたけど……なんでそんなの私にくれたの凛花さん。


「絶対こんなの使いこなせないって……」


 私に何も趣味が無いのを気にしてくれたんだとは思うけど、それにしてもここまで高いのにしなくても良かったんじゃないかな。口にするのも憚られるような値段だった気がするんだけど。


「いや、ありがたいことに変わりはないんだけどさ……とりあえず、パソコンの初期設定からやっていこうかな」




 間に昼食を挟んで午後。設定を済ませて各種ソフトを入れて、前世使ってた色んなアカウントの中でもログイン出来るものにはログインしたりと色々作業して。

 それと早速液タブを使ってラクガキもしてみたんだけど、思ってたよりも腕が落ちてなかったから少し安心した。

 ……正直、私だと前世ほど上手く描けないんじゃないかって不安だったんだよね。記憶はあっても身体の勝手は全然違うわけだし。

 最初はソフトの操作方法とかを忘れててちょっと手間取ったりしたけど、描いてる内に段々と身体に記憶が馴染んできて……

 社畜時代描けなかった分まで描いてる間に時間を忘れて没頭してしまい、気づけば作業を始めた時から数時間が経ってしまっていた。


 ……立ち上がった時、社畜時代の癖で背筋と首を伸ばして腰を鳴らそうとしても一切音が鳴らなくて、思わず戦慄したのは……考えないようにしておこう。いずれ来る未来が怖い。




「……ふぅ」


 ……さて。振り返りという名の現実逃避はそろそろ辞めにして、目の前の現実を直視しないと。


 お茶のペットボトル片手にデスクチェアに腰掛けている私の前のディスプレイに表示されているのは、イラストレーターとして活動していた頃のSNSアカウント『葡萄乃樹』のDM画面。――そして、そのDMの送信者のアカウント名は『姫竹かぐや』。


 勿論偽物じゃないことは何度も確認したし、以前やり取りをしていた頃と文章の雰囲気が同じだったから乗っ取りでもないだろうと判断した。


 内容を端的に纏めると、来週の登録者30万人記念配信に出演してほしいという旨の依頼……というよりお願いで、このDMの送信日は2週間ほど前の日付となっていた。……そう、この件は。


 上にスクロールしていけば、1周年記念配信、20万人記念配信、10万人、1万人と……これまでに行われていた記念配信全てに合わせて今回のようなDMが送られてきていて、しかもそれだけでなく、俺の身を案じる内容のものからVTuberとして配信してきて楽しかったことや嬉しかったこと、そして彼女のモデルを描いた俺への感謝が綴られたものなんかも間々に幾つもあった。

 ……返信どころか、一度も既読がついていないのに。


「……心が、心が痛む……」


 自分が死んだ結果こうやって浅からぬ縁にある人が痛ましいことになってるのを見ると、改めて罪悪感と後悔が胸に刺さる。

 モデルを描いてた頃の少ないやり取りだけでも、彼女が良い子だとは良く分かっているのが尚更辛い。



 当然すぐにでも返信することは大前提として。この依頼、受けるか受けないかどちらの方が良いだろうか。

 本意では無かったとは言えこれまで無下にし続けてしまった彼女の望みだし、受けられるのなら受けたいのだけれど……それにも色々と問題がある訳で。


 葡萄乃樹として活動してきたSNSでの投稿の文面には流石に男っぽさが出てただろうし、そんな中私が出てきたら『女だったの!?』みたいなコメントでチャット欄が荒れてしまうかも……っていうのは流石に自惚れすぎか。

 ……まぁでも、それを置いておいたとしても、そもそも私ヘッドセットも持ってないから音声通話が出来ないんだよね。大前提の問題すぎる。液タブ買ったばっかなのにまた出費が嵩む……




「……よし。受けよう」


 他にも色々と悩んだり考えたりしたけど、やっぱり思いは変わらなかった。

 こんなことで贖罪になるとは思わないし、2週間も経ってるから既に諦められてるかもしれないけど。

 だとしても、せめてこれまでの謝罪はしないといけないから。


「……えっと、『長い間返信できず誠に申し訳ありません――



 ◇  ◇  ◇



「『――環境の急変により慌ただしくしておりSNS及びDMの確認が出来ない状況にあり、これまで幾度も姫竹かぐや様の記念配信への出演依頼を頂いていたことも先程知った次第です。その事情も一段落つきましたのでこうして返信させていただきました。今回のご依頼の件ですが、是非ともお受けしたいと思います』――だって!!」

「はいはい、分かりました。一息で言うほど喜んでいるのも分かりましたから落ち着いてください」

「やった、ついにやったよマネさん! 私以外の三人は! それぞれ『ママ』とコラボ配信してるのに、私だけ! 私だけまだだったんだよ!? 色々事情もあったみたいだから仕方ないけどさぁ! 相変わらず堅っ苦しいし!」

「そうですね。私も、事務所の方針を気にして渋っていた上層部と何度も掛け合って許可をもぎ取った二年前の苦労が漸く報われるので嬉しいです。今となっては無駄な徒労でしたけどね」

「……あ、あはは……無理言ってごめんね?」


 ――都内のオフィス街にあるビル、その数フロアを占める『AsterLive』のオフィス内にある会議室の中で、20歳頃の明るい女性と社畜感が漂う30代頃の女性が雑談していた。


 若い方……姫竹かぐやの、所謂『中の人』である翠簾納みすの心春こはるは苦笑いを浮かべながら、テーブルを挟んで対面の席に座っている、三期生全員のマネージャーを担う表情筋が職務放棄している女性に手を合わせて謝った。


「しかし……この二年弱、一体何があったんでしょうか」

「ね、あの時はすっごい丁寧で、連絡にも一日経つ前には返信してくれてたのに……ここまで忙しくなる理由って一体何なんだろう」


 ……疑問に思っていないのか、無意識に考えないようにしているのか。

 『葡萄乃樹』からようやっと返信が来たことを純粋に喜びつつ、彼の多忙を気にして小さく首を傾げている心春を見て、マネージャーの女性は小さく呟いた。


「……本当に生きていたのだったら、良いのですが」


「ん? マネさん何か言った?」

「……いいえ。ほら、早く打ち合わせ終わらせますよ。当日まであまり時間も無いですから」

「はいはーい。でもその前に返信だけしていい? ちょっと、ちょっとだけだから!」

「……はぁ。分かりました」


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