別れの言葉
「派手な登場は無駄だったな。殴られて損したぞ」
「やはりお前の品の悪さは、姫も織り込み済みだったのだろう。あの程度のいざこざでは姫の考えは変わらなかったな」
大きな円柱が建ち並ぶホールを歩きながら、ライアンたちは視線を合わせずに話をする。
「おかげで、奥の手を使っちまったな」
「仕方あるまい。ああしてお前の功績を引き取らなければ、あの場は収まらなかった。その為には多少の誇張も必要だ」
ライアンが話したように、一連の騒動はルドルフの導き無しでは解決には至らなかった。
だが、全てがルドルフの指示という部分は、二人の事前の口裏あわせによる嘘だった。
「でも良いのか? 協力するとか言っていたけど、また泣きつかれても知らないぞ」
「それも仕方あるまい。姫が困るということは国が困るということだ。国が困っているのは見過ごせぬ」
ライアンはにやりと笑った。
「何が可笑しい?」
「いや、何だったら、師匠がもう一回騎士団長をやればいいんじゃないか?」
ルドルフは「バカ言え」と言いながら目を逸らしたが、ライアンの目にはまんざらでも無いように映った。
「ライアン」
ルドルフが冷厳に名を呼んだ。
「なんだ」
「いつ、発つのだ」
「今夜だ」
「場所は? 街を離れるのか?」
「いいや、せめてこの街で死にたい。だから、街の北にある墓地にしようと思っている。あそこなら運ぶ手間が省けるだろ?」
まるでガラクタでも捨てにいくような軽さでライアンは言った。
「……そうか、リリアはどうするのだ」
「そのまま街を出るさ。もうこの街には用が無いからな」
その言葉を最期に二人の会話は途切れた。
死地に赴く者と、それを見送る者の会話にしては淡々としていたが、ライアンはこんなものだろうと思っていた。
この世界に存在する命は、全てが祝福されて生まれてきた訳では無いと知っている。
そして、自分は祝福されていない側だということも。
世界へ来たときに歓迎されていないのだから、去るときに惜しまれる道理は無い。
むしろ、いつ野垂れ死んでもおかしくなかった自分が、英雄扱いされた上に、不相応な地位に求められもした。
悪魔の力があったとはいえ上出来だ。俺はこれ以上無いほどに己を使い切ったのだ。
これが生まれ落ちたときに準備されていた命の筋書きの中で、最高の道を歩んだという確信があった。
ライアンはさっき殴られた顎を撫でながら隣のルドルフを見やった。
彼に仕えていた従騎士時代を思い出す。しょっちゅう殴られてばかりだったが、思えばあれほど人と濃密に関わったのは彼以外には思いつかない。
最後の日にまで殴られるとは思わなかったが、あれが惜別の言葉代わりなんだろう。
しんみりされるより、こっちの方が自分たちらしくていいと思った。
城の出口へ通じる廊下に差し掛かったところでルドルフと別れた。
師匠からは最後まで別れの言葉は無かった。
**********************
稜線に姿を消した夕陽の残照が街並みを赤く染めていた。
エディンオルの街の中でも小高い場所に位置する北の墓地からは、暗くなっていく街並みがよく見晴らせた。
ライアンはその墓地の大木の下に一人で座っていた。
街が闇に包まれる時に落ち合おう――それがリリアと交わした約束だった。
街並みにはちらほらと明かりが灯り始めていた。
その景色を眺めながら、あの明かりにはどれだけ手を伸ばしても辿り着けないのだろうな、とライアンは思った。
何故今更こんな気持ちになるのだろうと不思議に思ったが理由は判らなかった。
背後に人の気配を感じた。
ゆっくりとこちらへ歩いて来る足音が聞こえる。足音はすぐ後ろで止まった。
「早かったな」
ライアンは振り返らずに、背後に話しかけた。だが返事は無かった。
「リリア?」
ライアンは振り返った。
そこに居たのは、グレーのローブに身を包み、残照で顔を紅く染めるシェリーだった。
「悪かったわね。リリアちゃんじゃなくて」
ライアンは言葉も出せずにただ驚く。
「リリアちゃんならしばらく来ないわよ。今頃はメイドたちとお別れ会をしているわ」
シェリーは告げた。その声音は怖いくらいに静かだった。
「なんで、お前が……」
「ルドルフを問い詰めたら、全部教えてくれたわ。迂闊だったわね、城の中であんな話をするのだったら、周りに誰か潜んでいないかを確認しておくべきよ」
ライアンの脳裏に城内での会話が思い出された。
「逃げたらいいじゃない」
体温を感じない声音でシェリーが言った。
「え?」
「逃げたらいいって言ったのよ。魂なんて払わずに逃げなさいよ。アンタ、食い逃げなんてしょっちゅうやっていたじゃない」
ライアンは押し黙った。
空にわずかに残っていた残照も消えかかり、辺りは闇に包まれようとしていた。
「駄目だ。そんなことは騎士のすることじゃない」
「騎士だったら、私の言うこと聞きなさいよ! この私が逃げろって言っているのよ!」
シェリーは美しい顔に悲憤を吹き出して叫ぶ。
先程までとは打って変わって、激情に駆られた声が響いた。彼女はライアンの胸ぐらを掴みながら、尚も言葉を続ける。
「何でよ! 何をいまさら格好つけているのよ! いっつも、騎士なんて面倒臭いなんて言っていたくせに!」
涙混じりの声がライアンの胸に刺さる。胸ぐらを掴む手は小さく震えている。
「格好をつけている訳じゃない」
「じゃあ、どうしてよ!」
「リリアは可哀想なんだ。アイツは馬鹿みたいに優しいから、本当は人の魂なんて取りたくないんだよ。
だからずっと人間になれなくて、一人ぼっちだったんだ。アイツ、すげえ要領悪いからさ、俺みたいな奴が居ないと永遠にあのままなんだよ。
それにこれは自分の為でもあるんだ」
「自分の為?」
「あぁそうだ。正直、俺は今でも騎士の誇りとかは解らないんだ。
国の為に自分を捧げろって言われていたけど、いまいちピンとこなくてさ。何をしていいのか分からなかったんだ。
でも、リリアに会ってそれがハッキリしたんだ。国に――この街に自分を捧げるのは今なんだって思ったんだ。
俺みたいな半端者にきっちりと命を使い切る機会を与えてもらえたと思った。
だから、俺が誓った俺自身の誇りの為に、この魂は捧げないといけないんだ。
これは俺が生まれる時に背負ってきた役目なんだよ」
毅然と語るライアンの言葉に、揺るぎない決意をシェリーは感じた。
そして同時に、彼がもう自分の声が届かないところへ行ってしまったのだと感じた。
「何それ。何を言っているのか、全然分からないわ」
悄然として言うシェリーに、ライアンは困った顔をする。
そこへ、慎ましく草を踏み分ける足音がした。
その方へライアンが目を向けると、リリアの姿があった。
「すいません。お邪魔でしたか……」
申し訳無さそうな声だった。
シェリーがリリアの方に向き直った。
「おい、シェリー」
「何もしないわよ。じゃあね、ライアン」
シェリーは振り返らずに歩き出した。
そして、リリアの横で立ち止まった。
リリアは隣を見ることができなかった。
シェリーも隣の少女の方は見ない。
「全てが終わったら、この街から出て行って。それから…………二度と来ないで」
それだけ言い残すと、シェリーは振り返りもせずに立ち去った。
リリアは震える唇を動かして、消え入るような声で呟く。
「はい」
日は完全に落ちて辺りは暗くなっていて、辺りは闇に包まれている。
ライアンとリリアの約束の時間が訪れていた。
~~第三章[完]~~
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