貴賓室での攻防

 エディンオル城内の貴賓室にて、ラッセル卿は腕組みをして瞑目していた。

 その顔は努めて平静を装っていたが、彼の足は小刻みに貧乏ゆすりをしていて苛立ちを隠し切れていなかった。

 

 上座の席ではシェリーが鬱陶しそうな顔で貧乏ゆすりの貴族を睨んでいる。


「ラッセル卿。少し落ち着いて下さい」

 後ろで控えていたトリシアが気を利かせて言った。


 ラッセル卿はピタリと動きを止めた。


「私は充分に落ち着いている。これから会うのは救国の英雄なれど、一介の騎士に過ぎぬ。私が気を揉む必要など有るはずがない」

 ラッセル卿は自らに言い聞かせるように力強く言った。

 この部屋では、ルドルフを交えてライアンとの話し合いが行われることになっていた。

 だが、予定の時刻を過ぎても彼らは姿を見せず、シェリーたちは待ちぼうけをくらっていた。


「それにしても意外だわ。ラッセル卿、貴方が賛成してくれるなんて」

 耳障りな貧乏ゆすりが止んで、気が晴れたシェリーが気品あふれる声音で言った。


「な、何を仰いますか、殿下。私は如何なる時でも国の平安を願っております。

 確かに今までは騎士ライアンに少しばかり厳しい言葉をかけておりましたが、それもこれも、国を想ってのこと。

 騎士ライアンがこの国に相応しい騎士になること、それがひいてはこの国の益となると考えていた次第です。

 そして私のその想いが通じたのか、騎士ライアンは立派にこの国を救ってみせました。

 ならば、それ相応の名誉を与えねばなりますまい。彼が貧民街の出自などはどうでも良いことです。

 出自の貴賎を問わず、優れた者には平等に機会を与えることが、これもまた国の為に繋がるのです――」


 どの口が言うかと、シェリーは心の中で呟いた。


 なおもラッセル卿の熱弁は続いている。シェリーは皇女である立場から、国への篤い想いを語る貴族を邪険にすることもできずに、作り笑いを浮かべながら黙って聞いている。

 これなら貧乏ゆすりを続けさせておいた方がマシだった、と彼女は心の中で舌打ちした。


「――やはり、民あってこその国。我々のように神に選ばれた者は、平民たちが平安に暮らせるような国造りというものを――」


 突如、貴賓室の扉が激しい衝撃音と共に吹き飛んだ。

 吹き飛んだ扉は部屋の中を転げ回っていて、よく見ると人も一緒に転がっている。


「な、何事だ!!」

 ラッセル卿は立ち上がった。

 扉ごと部屋に飛び込んできた闖入者が、のそりとその身を起した。

 殴打でもされたのか、口元を押さえながら部屋の入り口を睨みつけている。


「「「ライアン!」」」


 部屋の三人は揃って男の名を叫ぶ。

 ライアンは部屋の中を一瞥すると、再び入り口に視線を戻した。

 扉が無くなって風通しが良くなった入り口から、ルドルフが現れた。


「痛ぇだろうがっ。クソジジイ!」

「言うことを聞かぬからだ。クソガキが」


 悪罵を応酬させる二人は、睨み合って今にも取っ組み合いを始めそうな雰囲気だった。


「お止めなさい!! ここを何処だと思っているのですか!」

 見かねたトリシアが激しく叫んだ。


 その怒号でルドルフはようやく部屋の中へと視線を移した。

 そして、眉間にしわを寄せてこめかみに手を当てているシェリーを見ると、恭しく頭を下げた。


「ご無沙汰しております。アンジェリカ様。仰せの通り、騎士ライアンを連れて参りました」


「……元気そうでなによりよ。ルドルフ・オブライエン前騎士団長」


「一体何の騒ぎだ、ルドルフ! 説明をせよ!」

 顔を紅潮させたラッセル卿が問い質した。


「これは、これは、ラッセル卿も息災でなによりのこと」

「挨拶はよい! 説明をしろと申しておる!」


「説明、と言われましても。見ての通り、騎士ライアンを連れてきたまでで、少し手荒な方法を取りましたが」

「少し手荒だと? これのどこが少しなんだよ!」


 ライアンが喚いた。それにルドルフが反応して、またしても二人の間には殺気立った空気が満ちる。

 トリシアが手の平を机に激しく叩きつけた。机は割れんばかりに震える。


「殿下の御前です」

 声にはいつもの冷たさは無く、煮えたぎる怒気を無理矢理に押さえ込んでいるかのような鬼気迫る声だった。

 ひりついた空気を緩めるように、シェリーがひとつ咳払いをした。


「ルドルフ、ライアン、良く来てくれました。さぁ、そんなところに立っていないで、こっちに来てお掛けなさい」

 澄んだ声でシェリーが言う。


 彼女は目の前で起きた乱闘まがいの出来事には一切触れるつもりは無いらしい。

 何事も無かったかのように話し合いを始めようとしていた。


 ライアンはちらりとルドルフの方を見て、微かな頷きを確認した。


「畏れながら、アンジェリカ様。私にはその席に座る資格などありません」

 ライアンは視線を落とし、シェリーの顔を見ずに告げた。


「資格があるかどうかは私が決めること。貴方が決めることではないわ」


「しかし、私はじきに騎士ではなくなる身です」


「それも貴方が決めることでは無いわ。いいから座りなさい」


 ライアンの抵抗は、シェリーの前ではまるで歯が立たなかった。ライアンは再びルドルフを見るが、彼はすたすたと歩いて椅子に座ってしまった。ライアンは舌打ちして、不承不承ながら椅子に腰を降ろした。

 その様子を確認して、シェリーは話を切り出す。


「今日、あなた達を呼んだのは他でもないわ。未だ空位となっているラウンド騎士団の次期団長を決めましょう。……ところで、ラッセル卿。貴方が先程話していたことを、もう一度聞かせてもらえるかしら?」


 突然、水を向けられてラッセル卿はたじろいだ。


「あら、お忘れなのかしら? 仕方が無いわ、私が代弁するわね。貴方はこう言った、『出自の貴賎を問わずに優れた者には平等に名誉と機会を与える』と、立派な言葉よ。そして、この言葉には私も同感。では、件のラウンド騎士団次期団長について、誰か思い当たる人物はいるかしら?」


 不意を突かれたラッセル卿は、頭の整理が追いつかない。すると彼をじっと見つめていたシェリーの碧眼がすっと視線を流した。その視線の先には――。


「き、騎士ライアン……?」

 視線の先の人物の名を思わず呟いていた。


「そうね、私もその名を思い浮かべていたわ。彼は国史に冠絶した功績を挙げた誉れ高き騎士よ。

 もちろん、団長となれば剣の腕前や功績だけではなくて、人としての品性も大事。

 騎士ライアンには品性が足りていないという声があるかもしれない。

 でもね、人の品性とはこの世界に生まれ落ちた時から変わらないのかしら? ううん、私は違うと思う、人は変われるはずよ。

 人が高めることができるのは、腕力や知力だけでは無いと思う。

 現にラッセル卿、貴方が騎士ライアンを厳しく指導したお陰で、彼は立派な功績を挙げた。

 貴方や他の貴族のように品性を持った方々が周りにいれば、彼の品性もきっと磨かれていくと、私は考えるわ」


 シェリーの淀みない弁舌に、よくもこんなに舌が回るものだ、とライアンは素直に感心していた。ひねたライアンには響かなかったが、自らの名を引き合いに出されたラッセル卿には効果てきめんだったらしい。


「た、確かに、人は人を見て育つもの。いかな粗野な者であっても、我らのような貴人に囲まれれば、その者の品性は否が応でも磨かれるでしょうな。いやはや、殿下の慧眼には感服致しました」


 ラッセル卿はいたくご満悦の様子だった。その得意絶頂の貴族の視界の外で、シェリーはほくそ笑んでいた。


「じゃ、そういうことだから」

 さっぱりとした口調でシェリーが言った。


 しかし、話を終わらせようとするシェリーを遮るように、ルドルフが口を開いた。

「ふむ。しかし、本人の意志というものも必要でしょう」


 その反駁とも言える言葉に、シェリーは少し怪訝な顔をする。


「ルドルフ、貴方の言う通り、意志ももちろん大事よ。けれど、人は置かれた立場によって変わるわ。立場が変われば、そこから見える景色が  変わる。違った景色を見ることによって、気持ちにも変化が起きると思うのだけど、どうかしら?」


 シェリーは滑らかに受け応えた。ルドルフは納得するように頷いた。


「さて、どうする、ライアン。品性も意志も、今は無くても良いらしいぞ?」


 ルドルフはにやりと笑いながら言った。ライアンも同じような笑みを浮かべる。


「下品でやる気が無くてもいいなら、誰でもいいじゃねえか」


 けろりとライアンが言った。

 その言葉にシェリーの顔が険しくなった。


「誰でもいいわけでは無いわ。騎士としての実力と、誰もが納得するような功績が無くては駄目よ。そうでなくては民も納得しないわ」

 先程よりも張りのある声でシェリーは言った。


 それを受けて、ライアンは居住まいを正して、ひとつ咳払いをした。

「アンジェリカ殿下。そこが一番の問題なのです。私にはその実力と功績が無いのです」


「何を言っているのかしら、騎士ライアン。この国の脅威を打ち払った貴方ほどの実力を持った騎士をわたしは知らないわ。謙遜するにしても度が過ぎているわ」


「脅威を打ち払ったのは私の力では無いのです」 


「……どういうこと?」


「クロムウェル卿が錬金術師のジルドを使って、魔獣たちを凶暴化させる薬を造ったことは御存知ですね?」

 その問いにシェリーは首肯で返す。


「魔獣を凶暴化させる薬の存在も、その薬の製造にジルドが関わっていたことも、そのジルドさえもクロムウェル卿の手先だったことも、全ては、ある者の才力が導き出したことなのです。私はその者の指示に従っただけのこと。私は単なる駒に過ぎないのです」


「だ、誰だ。その、ある者とは」

 身を乗り出すようにしてラッセル卿が問うた。

 ライアンは不敵な笑みを浮かべる。


「先程から、ずっと眼の前に座っていますよ。ラッセル卿」

 シェリー達の視線は、ライアンの隣の席に集まる。

「ルドルフ、今の話は本当なのか?」


「いや、まぁ、その……そうなりますかな」

 歯切れは悪いものの肯定する言葉に、シェリーは驚嘆の色を隠せない。


「私が騎士団を引き受けるのを拒むのには明確な理由があります。その理由とは単純に実力が足りていないからです。一線から退いたルドルフ前団長にさえも私の力は届いていない。これは謙遜でもなく、純然たる事実です」


 ここぞとばかりにライアンは畳み掛けた。

 シェリーが騎士団長にライアンを推す最大の武器は彼の挙げた功績だったのだが、彼自身の言葉でそれが霞んでしまった。


「アンジェリカ様。結論を急がずとも良いのではありませんか?」


 険しい表情のシェリーに、優しく語りかけたのはルドルフだった。


「ラウンド騎士団の団長ほどの大役ならば、その任命は慎重を期すに越したことはありません。焦らずゆっくりと進めましょう。必要とあれば、この老骨も微力ながら尽力いたします故」 


 その言葉にほぐされるように、シェリーの肩の力が緩む。


「……解ったわ、ルドルフ。あなたの言う通りね。国の脅威が去ったのだから、急ぐ必要なんて無かったわ。この件は一旦先送りにするわ」


「賢明かと存じます」


 皇女のさっぱりとした態度に、ルドルフは慇懃に応えた。話が終息に向かう気配にライアンも肩の力を抜いた。

 そこへシェリーの凛とした声が響いた。


「騎士ライアン」


 完全に油断していたライアンはびくりと硬直した。


「貴方が先ほど言っていた、騎士を辞めるという話、それも先送りとします。今辞めることはこの私が許しません」

 シェリーは獲物を前にした狩人のような視線で言った。


「え、いや、俺はもう」


「許しません」


 後ろではトリシアも同じように怖い視線を浴びせてきている。

 これ以上の抵抗は危険が伴うと判断したライアンは小さく「はい」と返事した。


 にこりとシェリーが笑った。それがこの会合の終わりを告げていた。

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