メイドたちのお茶会
リリアは額に浮かぶ汗を袖で拭った。
ふっと息を吐き、自分が整えたベッドを眺めた。
最初は不慣れだった家事もそれなりにこなせるようになった。
リリアは仕事の出来栄えを見て、満足気な表情を浮かべた。
ライアンとリリアがこの屋敷に来て二日が経った。
二日前のシェリーたちとの話で、晩餐会までの間、二人は引き続きそれぞれの役目を演じることとなった。
ライアンは親衛隊の稽古役を嫌々ながらも続け、リリアは家事の手伝いに従事していた。
扉をノックする音がした。
音の方を向くと、一人のメイドがにこやかな笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
「お疲れさま、リリアちゃん。だいぶ上手になってきたわね」
「あ、有り難うございます。テレザさんに教えて頂いたお陰です」
はにかみながら応えるリリアに、テレザと呼ばれたメイドは目を細める。
「あ、あの、ここはもう終わりました。次は何をしましょうか?」
リリアの問いにテレザは微笑みで返す。
「お茶にしましょう。リリアちゃん」
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テレザに連れてこられたのは、芝生の緑が眩しい庭の一角だった。
芝生の上には純白のクロスを引いたテーブルがいくつもが並んでいる。
そしてクロスの上には――。
「これは……」
瑞々しい果物たちと、焼き菓子のガレットやフルーツが色鮮やかなタルト、ふわふわとした白い綿のようなものが乗ったパウンドケーキもある。
所狭しと並べられた色とりどりの果物と洋菓子を前にして、リリアの黒い双眸はきらきらと輝いている。
「見ての通りおやつよ。さぁ、座って」
リリアが椅子に腰を降ろすと、甘い香りがふわりと鼻腔を通り抜けた。
ライアンと出会う前なら何も感じなかったかもしれない。
しかし、彼との生活の中で刺激された感覚は、この場で鋭敏に反応している。
ごくりとリリアは唾を飲んだ。その横でテレザがぷっと吹き出した。
「ふふっ。我慢しなくていいのよ。いっぱい食べて頂戴」
「え? で、でも、これは、シェ、アンジェリカ様が召し上がるものでは?」
テレザはゆるゆるとかぶりを振った。
「そのアンジェリカ様が、私たちメイドに振舞って下さったものよ」
リリアは驚いた。
眼の前には、貴族でももてなすかのように豪勢に菓子が並んでいる。とても家人であるメイドたちに振舞われたものに見えなかった。
「あの御方はそういう方なの。さぁ、私たちも頂きましょう」
周りを見ると、他のメイドたちはめいめいに菓子や果物を自らの皿に取り分けていた。
薦められるままにリリアも菓子に手を伸ばす。
そして本当に良いのかを確認するかのように横を見るが、テレザは微笑んで鷹揚に頷くだけだった。
リリアは手の中のものを口に頬張った。
綿のようなクリームにつつまれたそれは期待を裏切らず、敏感になっていた味覚と嗅覚を甘くとろけさせた。
ふわふわと空に浮いてしまうような感覚がリリアの全身を包んだ。
うっとりとした面持ちで空を見上げるリリアは、自分を見つめるテレザの視線に気づいた。
嬉しそうに目を細める彼女の表情は、酒場でのライアンの顔と重なった。
彼も食事のときは決まって同じような顔をする。
なぜ微笑んでいるのかを一度聞いてみたのだが、彼もなぜだか判らないと言っていた。
何もしていないのに微笑んでもらえるのが不思議で、それにその微笑みを見るたびに、自分の胸の奥がほのかに暖かくなるのも不思議だった。
けれど、私みたいな悪魔が――そう思って、リリアはライアンの時と同じように、テレザの微笑みからも顔を背けるのだった。
その時、一人の剣士が庭の植え込みを飛び越えて現れた。
次いでその剣士を追いかけるように、更に三人の剣士が同じように植え込みを飛び越えてきた。
最初に現れたのはライアンだった。
次に現れた三人は、揃いの甲冑を着込んだ親衛隊の女剣士。
親衛隊の剣士たちは素早くライアンを取り囲み、武器を構えた。
ライアンは一瞬だけメイドたちのお茶会を見やった後、取り囲む親衛隊の剣士たちに視線を戻した。
どうやらリリアには気づかなかった様子だ。
親衛隊の一人が鋭く踏み込んだ。それを合図に残りの二人も武器を振り上げた。
木剣同士がぶつかる鈍い音がした。
ほぼ同時に繰り出された三方向からの攻撃を、ライアンは全て打ち払っていた。
そして、攻撃を繰り出した剣士たちは皆体勢を崩している。
その隙を見逃さず、ライアンは目にも止まらない速さで剣を振るう。
ライアンの剣撃は剣士たちの武器を握る手を的確に捉えた。
小さな悲鳴の後、親衛隊たちの武器は全て芝生の上に転がった。
右手の甲を押さえてうずくまる一人の剣士に、ライアンは無言で剣先を向けた。
その顔は斬り合いなど無かったかのような冷淡な表情だった。
「ま、参りました……」
搾り出すように親衛隊の剣士が呟いた。
緊張を緩めたライアンがふっと息を吐いたのも束の間、第二陣の剣士たちが植え込みを飛び込んできた。
今度は五人。その中にはトリシアの姿もあった。
「チッ」
ライアンは短く舌打ちして、全速力で逃げ出した。
「逃がすな!」
トリシアの怒号が飛んだ。
五人の剣士たちもライアンを追って全速力で走り去ってしまった。突風のような出来事をリリアはぽかんと見つめていた。
「流石ね、ライアン様は」
微笑みながらテレザが言った。
「え? あ、は、はい。そ、そうですね……」
「ねぇ、リリアちゃん。失礼なことを聞いていいかしら?」
テレザが少しかしこまった口調で言う。
「は、はい。なんでしょう」
「リリアちゃん。あなたもライアン様と同じく貧民街の出身なのかしら?」
貧民街――皇女付きのメイドの口から、そんな言葉が出てくるとは思っていなかったリリアは少し困惑する。
「い、いえ、違います。私はこの街の生まれでは無くて、他の国から来ました」
やはりここでも貧民街の出身というのは疎まれるのだろうか、そう考えるリリアにテレザは意外な言葉を言う。
「そう。残念ね」
ぴくりとリリアは顔上げた。テレザは言葉を続ける。
「私、実は貧民街の出身なの。ライアン様の御付のあなたなら同じなのかなって思ったのだけど。ごめんなさいね、失礼なこと聞いて」
たおやかに謝るテレザに、リリアはぶんぶんと首を振った。
「い、いえ、そんな、謝って頂く必要はありません」
「そう。ありがと、リリアちゃん」
「それにしても、意外です。テレザさんが……その、貧民街の出身なんて……」
「私だけじゃないわ。ここに居るメイドの中の何人かは貧民街の出身よ。そして皆、アンジェリカ様が直々にお声を掛けて、ここで働かせて貰っているのよ」
貧民街の人間を城内のメイドとして雇い入れる、この事がどれだけの軋轢を産むかはリリアでも容易に想像できた。
そして、それを実行したシェリーの豪胆さにリリアは感心するばかりだった。
「ここは恵まれているの。なんてたってアンジェリカ様のお膝元だから。あの御方は貴族であろうが貧民街出身であろうが、等しくリアンダール国の民であることに違いは無いと、つねづね仰られているの。だからこの屋敷の中では貧民街の出身の者も、そうで無い者も分け隔てなく扱われているの」
リリアは静かに頷いた。
その様子を見てテレザは続ける。
「でもね、ライアン様は違っていた。貴族の子弟が大半を占める騎士団において、あの方は唯一の貧民街の出身だった。そして気位が高い貴族たちはそれが許せなかった。ライアン様への理不尽な扱いは相当なものだったと聞いているわ。もちろん、アンジェリカ様は不当な扱いをどうにかしようと尽力なさっていたみたいだけれど。やっぱり騎士団の内部への干渉は限界があったみたい」
リリアは常々不思議に思っていた。脅威を打ち払う目的はあるにせよ、ライアンはどうして自分のような存在にいつも気をかけてくれるのか。ライアンの優しさの裏側にあるものを見た気がした。
テレザはリリアの方を向き、瞳を真っ直ぐ見つめた。
「リリアちゃん。ライアン様をこれからも宜しくね。騎士団が無くなってしまっても、あの方には立派な騎士であって欲しい。あの方ならばこの国を良くしてくれるはずだから」
テレザの眼差しはリリアの心に深々と突き刺さった。
ライアンがこれからも立派な騎士であって欲しい――その願いは、リリアにとって残酷なものだった。
「リリアちゃん? どうしたの?」
「ご、ごめんなさい、テレザさん。私は……」
周りのメイドたちもリリアの異変に気付いて視線を向けてきた。
メイドたちの視線が酷く痛く感じる。何人もの視線が集まることで、リリアの顔はいっそう青くなった。
「ご、ごめんなさい。少し、休ませてください……」
リリアは逃げるようにその場を後にした。
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