それぞれの役目
「で? なんだこれは?」
不機嫌そうにライアンは、隣のトリシアの顔も見ずに問いかけた。
「見ての通りだ。メイドだ」
問われたトリシアは冷ややかな声で、隣のライアンの顔を見ずに応えた。
二人の前にはメイド服を着たリリアが立っている。
白いフリルをふんだんにあしらった足首丈の黒いワンピースに純白エプロンと付け袖、頭の上の白いヘッドギアは彼女の幼い顔に似合っていて、さながら人形のような可愛らしさであった。
当のリリアは顔を真っ赤に紅潮させて俯いている。
「俺が聞いているのは、なんでリリアにこんな格好をさせているのかってことだ」
「アンジェリカ様の御指示だ。言っていただろう、ここではリリアはお前の従者ということになっている。従者らしい格好を用意しなさい、とのことだ」
伝えられた皇女様の言葉にライアンは納得せざるを得なかった。
リリアの格好は派手ではないが、この屋敷においては逆に目立ってしまう。
彼女の存在を怪しまれないようにするならば、この格好ほど適したものは無かった。
しげしげと見ていると上目遣いのリリアと眼が合ったが、すぐに眼を逸らされてしまう。
「恥ずかしがっているぞ。いやらしい目つきで見るな」
「そんな目つきしてねぇよ!」
そんな言い合いをしていると、そこへ一人のメイドが近づいてきた。
「パトリシア様。そろそろ宜しいでしょうか」
「あぁ、大丈夫だ。騎士ライアン殿もご満足の様子だ。後は頼む」
メイドは慇懃に頭を下げた後、リリアをどこかへ連れて行った。
「リリアをどうするつもりだ」
「どうもしないさ。メイドらしく家事仕事をしてもらう。その方が自然だ」
おそらくはこれもシェリーの考えなのだろう、皇女の配慮を感じたライアンは黙って見送るだけだった。
「じゃ、俺はその辺の見回りでもするかな」
「待て。お前にも役目がある」
「あん? 俺は囮らしくその辺をぶらぶらしていればいいんだろ?」
「それでは不自然だ。表向きには別の役目を用意している」
「…………なんだ、それは」
あからさまに訝るライアンに向かって、トリシアは唇の端を上げて薄く微笑んだ。
そして、おもむろに指先を鳴らした。
突如、どこに潜んでいたのか、甲冑に身を包んだ親衛隊の隊員たちがぞろぞろと現れた。
隊員達は輪になりライアンを取り囲む。
それぞれの手には武器が握られている。
「隊長、本当に良いのですか?」
取り囲む隊員の中の一人がトリシアに聞いた。
「問題無い。アンジェリカ様の許可は得ている。相手は一人といえども、ラウンド騎士団随一の腕と謳われた騎士ライアン殿だ。遠慮なく胸を貸してもらうがいい」
親衛隊隊長の言葉に隊員たちの双眸が漲った。
あの女が笑みを浮かべた時に逃げていれば良かったと、ライアンは心底後悔した。
「おい、何の真似だ」
「目の前に武器をぶらさげられているというのに、悠長な質問だな。騎士ライアン殿」
切り捨てるように言うトリシア。
「お前は……」
トリシアを睨みつけ、握りこぶしをぶるぶると震わせながら、声を絞り出すライアン。怒りの爆発は目前といった形相だった。
「絶対、あとで泣かしてやるからなぁぁっ!」
その台詞だけ叫んで、ライアンは脱兎の如く逃げ出した。
********************
「…………さん。…………ライアン、さん……」
現実から途切れていたライアンの意識を、遠慮がちな声が呼び戻した。
朦朧とした意識で眼を開けると、そこには心配そうな表情をしたリリアの顔があった。
「だ、大丈夫ですか……?」
その問いかけでライアンは、自分が芝生の上に横たわっていることに気づいた。
そして、身体のあちこちに残る痛みによって、意識が途絶える前のことを思い出した。
トリシア以下、親衛隊の一斉攻撃を受ける寸前の光景が脳裏に浮かぶ。
「大丈夫だ、リリア。まだ死んじゃいない……」
ライアンとしては軽い冗談を言ったつもりだったが、苦悶の表情で言ったそれはリリアの心配をさらに掻きたてたのか、彼女の憂慮の色がいっそう濃くなった。
「だ、大丈夫だ。ほんとに」
無理に笑顔を作って、ライアンは言葉を繰り返した。
「それにしても、どうしてここに? 家事の手伝いをしているんじゃなかったのか?」
「トリシアさんにここへ行くようにと。介抱を頼むと言われまして……」
その名前を聞いて脳裏にあの嗜虐的な笑顔が浮かぶ。
しかし、リリアの無垢な瞳に見つめられているお陰か、怒りの感情は暴走せずに済んだ。
リリアはライアンの身体をしげしげと見ている。芝や土にまみれた手足に怪我が無いかを確認しているようだった。
「本当に大丈夫だ。訓練ならこの程度は日常茶飯事だ。命の危険は無いよ。リリアとの契約には支障はないさ」
再びリリアの顔に憂いの色が浮かんだ。
ライアンは何かまずいことでも言ったのかと考えたが、自分の言葉におかしなところは見当たらなかった。
「どうかしたか? リリア?」
「そ、その、確かに契約は大事なのですが……やっぱり、変でしょうか? 悪魔の私が、傷を負っている方の心配をするのは、変でしょうか?」
ライアンは思わず眼を逸らしてしまった。
リリアは契約の為だけに自分の身を案じてくれているのでは無いことに、ようやく気づいた。
この気の弱い悪魔の少女とは、できるかぎり普通の人間と同じように接しようとしていたライアンだったが、無意識の内に出た己の言葉の冷たさにぞっとした。
それ以上、リリアは何も言わず、ライアンも何も答えることが出来なかった。
苦しい沈黙から二人を救ったのは、遠くから聞こえてきた人の喚き声だった。離れたところで誰かが叫んでいる。
「なんだ?」
ライアンが声の方を向く。次いでリリアもその声がする方角を見やった。
「どなたか判りませんが、男の人の声でしたね」
「とりあえず、行ってみよう」
そう言いながら、ライアンは身体の痛みを気づかれないように、軽やかに立ち上がった。
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