黒の錬金術師②

 館は間近で見ると、窓や扉はところどころ破れていて、遠目で見た以上に傷んでいるのが判った。


 それは廃墟と呼ぶにふさわしい有様だった。

 半開きとなっている玄関の扉が風で揺れている。そのさまは近づく人間を手招きしているようにも見えた。


 ライアンは扉の隙間から中の様子を窺った。


 館の中は薄暗くて良く見えない。

 耳で気配を探ろうとするも、どこかで建てつけの悪い窓が風で音を立てていて、人の気配は感知できなかった。

 しかし、館の中から流れ出る空気に、微かな獣臭が混じっているのを感じた。


 神経をもう一段階研ぎ澄まして、扉の隙間からするりと館の中に入った。


 入ったそこは大きな玄関ホールだった。吹き抜けは天井に達していると思われ、吹き抜けを囲むように部屋の扉が一階と二階に並んでいた。

 ホールの奥の両脇には階段があり、どうやら二階へ行くにはその階段を使うらしい。


 暫くの間、ライアンは入り口付近で気配を探った。


 しかし、侵入者に対する歓迎は無かった。手で合図してリリアを中に招き入れた。


「人の気配がしない。リリア、どこにいるか分かるか?」

 リリアは眼を閉じたが、すぐに何かに驚いた様子で顔を上げた。


 その瞬間だった――。

 玄関の扉がひとりでに動いて、音を立てて閉じてしまった。

 ライアンは駆け寄ってこじ開けようとしたが、扉は壁と一体となったかのようにびくともしない。


「ラ、ライアンさん」

 リリアの声に振り返ると、彼女の視線は二階に向けられていた。


 その視線の先、ホール正面の二階の扉が、音も無く開いた。


 何かを引き摺るような音と共に、現れたのはくたびれた黒いローブに身を包んだ、痩せこけた老人だった。

 足を引き摺るように歩き、皺だらけの顔は醜悪な笑みを浮かべている。


「お客さんとは珍しい。道にでも迷ったかな?」

 老人は慇懃な素振りを繕っているのだろうが、その声音には品の無い嗤いが滲み出ている。

 リリアに袖をぎゅっと握られた。彼女の瞳を見ずとも分かった。

 目の前の男が黒の錬金術師であり、悪魔のような薬を造りだした脅威であると。


「ジルド・ニヴェルだな」


 ライアンの発した言葉に、老人は眼光だけ鋭くなった。

 その鋭い目つきのまま、ライアンを舐るように睨み付けている。やがて、何か思いついたのか醜く口角を上げた。


「どこかで見た顔かと思えば、貧民街の英雄騎士じゃないか。騎士ともあろう御方がこんな所で逢引かね?」


「俺のことは関係ない。ジルド、お前はここで何をやっている? ここで何をした?」

 ライアンは汚いものでも見るような視線を向けながら言った。

 その態度が気に喰わなかったのか、老人はいっそう顔を歪めた。


「はっ、貧民街の野良犬が、国の飼い犬になったくらいで随分と偉そうなものだ。首輪がついたくらいで自分が偉くなったつもりか。惨めなものだな、貴様の帰る場所などとうに無くなっているというのに」


「どういう意味だ」


「知っておるぞ、ラウンド騎士団は壊滅したのだろう? 魔獣の群に成す術無く蹂躙されてな。生き残って帰って来たのは犬一匹だった、自らを騎士と勘違いしている犬がな」


 ライアンはすらりと剣を抜いた。

 より明確な殺意を込めた視線を老人に向ける。


「聞かれたことだけ答えろ。さもなくば斬るぞ」


「ふん、馬鹿な奴だ。大人しく野良犬に戻れば良かったものを」


 挑発に乗ってこない相手に興が冷めた老人は、顔から笑みを消して右手を掲げた。


 同時に、ホールの奥から金属の音が響いた。そして扉が開くような音が後に続いた。

 開いた扉から湧き出た獣の匂いがホールを満たしていく。

 そして、まとわりつくような獣臭とともに現れたのは漆黒の狼の魔獣だった。


 姿かたちこそは狼だったが、大人でさえもひと呑みにしてしまいそうな巨躯は、ライアンが今まで見た魔獣の中でも圧倒的だった。


 魔獣はすぐに襲ってこなかった。ライアンたちを視界に納めたまま、用心深くホールの壁沿いを床を軋ませながら歩いている。


「そいつは特別でな。この間のただ突っ込むことしか能の無い連中とは違う。せいぜい抗ってみるがいい」


 この間の――その言葉が充分すぎる証拠だった。


「やっぱりあの薬を造ったのはテメエか!」

 ライアンの咆哮がホールに響いた。

 だがジルドは嬉しそうに口元を歪める。


「ほう、あの薬に辿り着いたのか。ただの野良犬では無かったようだな。だが、馬鹿には変わりないがな! 策も弄せず、のこのこと儂の館に入ってくるとは! この国の騎士はつくづく馬鹿ばかりだ。そうだ、お前達の前の団長もそう…………ッ!」

 

 口汚く喚くジルドの言葉が不自然に途切れた。


「馬鹿は、お互い様だ」


 ジルドは口から血を吐き、総身をがたがたと震わせている。彼の背中には白銀の刃が突きたてられていた。


「お、お前は……」


「策も弄せず、ただ正面からやって来ると思ったか?」


 ジルドを貫いた剣の主はルドルフだった。

 ルドルフは剣を引き抜き、ジルドの身体を蹴り飛ばした。


 二階から突き落とされた老躯が、鈍い音を立ててホールに叩きつけられた。


 思わずライアンの視線がそちらへ流れた時。


 その瞬間、弾かれたように狼の魔獣が動いた。


 床板を踏み割りながら跳躍した魔獣は、瞬く間に壁を駆け上がったかと思うと、空中で身体を捻りながらライアンめがけて落ちてきた。

 ライアンは床を転がり間一髪攻撃を避けた。しかし体勢を立て直す間もなく、魔獣からの追撃が迫る。魔獣の爪が甲冑を掠めた。


 鎧袖一触とばかりに吹き飛ばされて、ライアンの身体は床の上を激しく転がった。

 回る視界の中で見た狼の魔獣は、止めを刺すべく既に身構えている。


 迫る死の予感に、ライアンの背筋に冷たいものが走った。


 しかし、魔獣は一瞬たじろいだ。

 

 狼の魔獣は自らを睨みつける蒼い瞳の女に、本能的な恐怖を感じ取ったのだ。

 その一瞬の隙をライアンは見逃さない。


「うぉぉぉらっ!」


 地を這うような低い姿勢で突っ込んだライアンは、魔獣の腹を下段から斬り上げた。

 腹を深々と斬り割かれた魔獣は、夥しい血を撒き散らしながら床を転がった。


 そして、ひとしきり悶えた後に、そのまま動かなくなった。

 ホールには再び静けさが訪れた。静寂の中、階段をゆっくりと降りてくる足音が響く。ルドルフが満足気な表情で二階から降りてきた。


「見事だ、ライアン」 

 その言葉にライアンは緊張を解いて、剣を収めた。


「師匠、やっぱりアイツが」

 床の上でぴくりとも動かない老躯を見ながら、ライアンは呟いた。


「ああ、先程の奴の台詞からして、間違いないだろう」

 ルドルフも動かない錬金術師に視線を向ける。


「ライアンさんっ!!!」


 悲鳴にも似たリリアの叫び声がホールを切り裂いた。即座にライアンは異変に気付いた。


 絶命したと思っていた狼の魔獣が起き上がっているのだ。


 魔獣が最期の力で床を蹴る寸前――轟然と青い火柱が出現した。

 炎に飲み込まれた狼の魔獣は一瞬で灰となり崩れ去った。


 ライアンはリリアを見やった。

 予想通り、右手を前に差し出した彼女の姿があった。その姿は悪魔の力を発動させたことを物語っていた。


「な、なんだ? 今のは」

 ルドルフが瞠若して呟いた。その老騎士の顔を見てライアンの口からため息が漏れた。


*****************


「――にわかには信じられない話だ。実在するのか、悪魔という存在が」

 階段に腰掛けたルドルフが、眉間に皺を寄せて呟いた。


 悪魔の力を目撃したルドルフに問い質されて、ライアンは全てを話した。

 目の前の少女は悪魔であり、おとぎ話よろしく人の魂と引き換えに願いを叶える存在であるということ。


 そして、現在の契約者はライアンであり、その契約はもう終わりを迎えるであろうことを。

 話を聞き終えたルドルフは、じろりとリリアを見た。

 その視線に耐えかねたリリアはその身をライアンの背に隠した。


 人がリリアを悪魔だと理解した時、大半は恐怖をあらわにする。

 しかし、腕に覚えがある者は、稀に好奇交じりの殺意を出してくる。ルドルフはその後者のようだった。


「さっきも言ったが、悪魔といっても、今は俺の願いによって脅威から国を守る、いわば救世主なんだ」


「しかし、人の魂を――人の命を狩る存在なのであろう?」


「国を守る為の必要な対価なんだ。考えても見てくれ、俺みたいな半端な騎士の命ひとつで国を脅威から守れたんだ。安すぎるくらいだろ? だから頼む、リリアを黙って見逃してやってくれ」


 老騎士は髭をさすりながら考え込む。その仕草からリリアに向けられていた殺気は幾分やわらいだように感じられた。

「契約がもう終わると言ったな」


「そ、そうだ。元凶のジルドが倒れた今、もうあの薬が造られることも無い。だから俺の役目ももう終わりなんだ」


「本当に終わったと思うか?」

「え? それはどういう、意味だ……?」

「この一件、全てジルドが一人でやったと思うか? 錬金術師とは名ばかりの三流の薬師が、全ての元凶と言い切れるのか?」


 ライアンの頭の中は掻き混ぜられた。

 今はもう動かない老躯を見やり、仕草や言葉を思い出すが何も引っかからない。


「わからぬかライアン。こやつは三流の薬師で、街中から疎まれている存在だ。そんな奴が、薬の製法と金をどうやって用意した? 森に運ばせる人間をどうやって用意した? 薬の製法自体は奴の狂気と長い年月があれば、偶然にも編み出すことは可能かもしれん。だが、薬を造る為には莫大な資金が必要だと聞く、その金を奴が自分で用意できたとは到底考えられん」


 ルドルフは立ち上がり、傷んでいる館の内部を見渡しながら続ける。


「お前の話と考え合わせるなら、『協力者』が居たはずだ。それも、ただの『協力者』では無いはずだ。儂にはその『協力者』の方が黒幕で、ジルドはただの道具だったと考える方が腑に落ちる。ライアン、お前はどうだ?」


 その整然とした理屈はライアンの頭にするりと染み込んで来た。


「ジルドが単なる道具……」


「話を戻すぞ、ライアン。お前とそこの悪魔の少女との契約は、本当に終わったのか?」


 ライアンはリリアと眼を合わせるが、すぐに二人とも俯いてしまった。


 ルドルフの問いに何も答えなかった。答えることができなかった。


 話声が途切れたホールには、風に煽られた窓が揺れる音だけが響いていた。


 ~~第二章[完]~~


*************************************

ここまで読んで下さって、有難う御座います。

脅威の本当の正体はなんなのか、次章更に深く切り込んでいきます。お楽しみに。

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