黒の錬金術師①

 『自称』黒の錬金術師――ジルド・ニヴェル。


 ルドルフの話によると、その男は十年以上前にふらりとエディンオルに現れたという。

 自らを黒の錬金術師と名乗り、貧民街を中心に自身の力を喧伝してまわっていた。


 だが、多くの錬金術師がそうであるように、その男も貴金属を造り出す技術は持っていなかった。

 しかしその男は、金の代わりに人を超えた力を与えると言っていたという。


「人を超えた力?」

 ライアンは隣を歩くルドルフに聞き返した。

「ああ、そうだ。つまり早い話が人体の強化だ。あの男――ジルドが言うには、自分の術を使えば、屈強な身体と強靭な精神を兼ね備えた最強の戦士になれるとのことだった」

 ライアンは眉を顰める。

 ルドルフはその顔を一瞥して話を続ける。


「儂がまだ騎士団長をしているときに売り込みにきおったが、もちろん断った。その後、ジルドは貧民街に隠れ住んでいる野盗くずれのならず者たちに声を掛けてまわった。そして、何人かが奴の話に乗ったらしい」

「……成功したのか?」

 ルドルフは無言で首を振った。


「やつの術を受けた人間の中には、自分は最強の戦士になったのだ、と豪語する者がいたらしい。だがそれらは全て錯覚だった。自らの力を過信し、腕利きの賞金稼ぎに勝負を挑む者、単騎で魔獣討伐に挑む者、お前達が行った魔獣の森に突っ込んで行く者もいた。だが、いずれの者も悲惨な最期を遂げている。つまるところ、ジルドが言っていた屈強な身体と強靭な精神と言うのは、ただのハッタリだった。奴が与えたのは、己が最強と勘違いする薄っぺらな万能感だけだったのだ」


「その男、ジルドはどうなったんだ?」


「もちろん糾弾された。しかし奴の術に騙された者たちは、街の厄介者ばかりでな。街の中には奴のお陰で厄介払いができたとまで言う輩もおった。それに国や街に甚大な被害を与えた訳では無かったからな、城壁の外へ追放されただけだ」


 話を聞き終わり、ライアンは前方へと顔を向けた。


「そして、今俺たちが向かっている館に住んでいるってことか」

 ライアンは双眸に焔を宿しながら言った。


 しかし、その様子を、ルドルフは冷やかな眼で見ている。

「お前、本当にその娘も連れて行くのか?」


 ライアンの横にぴたりと付いて歩く少女に、ルドルフは視線を向けながら言った。

 自分のことに話が及んだことに気付いて、リリアは申し訳無さそうに肩を窄めた。


「いや、その……俺の家は貧民街だからな。一人で留守番させるのも物騒だと思って」

 しどろもどろのライアンに、ルドルフは呆れ顔になる。


「ジルドがあの邪悪な薬に関わっているならば、奴の館で何が待ち構えているかわかったものじゃない。それこそ、物騒どころの話では無いぞ?」

「そ、それは大丈夫だ! リリアを荒事には巻き込むようなことはしない!」

 額の汗を拭いながらライアンは答えた。


 今向かっている場所に、この国の脅威と呼べる存在があるならば、リリアの力を発揮させることができる。

 そして些末な荒事であれば、自らの剣の腕があれば事足りると考えていた。

 ライアンにしてみれば、ルドルフには錬金術師の居場所を教えてもらうだけのつもりだったのだが、彼が一緒に行くと言い出したことの方が想定外だった。


 道すがらリリアには、土壇場まで悪魔の力は使わないようにと密かに言い含めた。自らの正体をライアン以外には知られたく無いリリアはそれに従った。


「見えたぞ。あれだ」

 エディンオルの城壁からそう離れていない森の中、その館はひっそりと建っていた。

 元々は貴族か富豪かが住んでいたような大きな館だが、手入れや修繕は全く行き届いておらず、ひどくうらぶれた様相を呈していた。


 木の陰に身を隠してルドルフが館の様子を窺う。

 ライアンはそっとリリアの瞳を覗き込んだ。瞳には魔獣の森の時と同じように青い光が滲んでいる。

 リリアは神妙な面持ちで頷いた。ライアンが脅威の存在を確信したと同時に、ルドルフが口を開く。


「儂は裏手からまわろう。ライアン、お前は正面を頼む。くれぐれも慎重にな」

 ルドルフは獲物を見据えた肉食獣のような目つきになっていた。


 そして、足音を立てずに木々の間に消えていった。その軽やかな身のこなしをリリアは感心しながら見送った。


「よし、俺たちも行こう」


 ライアンは小声で囁いて、館の玄関を目指して歩き始めた。

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