薬師ドロシー
夕方、ライアンとリリアの二人は南の森から、エディンオル市街にその姿を移していた。
場所は城壁近くの地域――貧民街の一画の細い通りだった。
まだ暗くなる前だというのに、人通りは無くて閑散としていた。
廃墟のように荒れた家屋が建ち並び、人の気配が殆ど感じられない通りだった。
ライアンがある家の前で立ち止まった。そこは貧民街には珍しい庭付きの家だった。家の横の庭には、植えられたか勝手に生えているのかわからない雑然さで草花が生い茂っていた。
ライアンは乱暴な手つきで家の扉を叩いた。
「おーい、婆さん。いるかー?」
しばらく待っても問いかけに応える声は無かった。
「うーん。ひょっとして、死んだか?」
どこかと同じことを言うライアン。だが今度は家の中から人の足音が聞こえてきた。
ぎぃと扉が不機嫌な音を立てて開き、不機嫌そうな顔をした白髪の老婆が現れた。
「よぉ、婆さん。生きていたか」
「今度はお前か。師弟で同じことを言うんじゃないよ」
「あん? どういうことだ?」
老婆は問いかけには応えず、ふんと鼻を鳴らす。
「入りな」
顎をしゃくりながら老婆は家の中へと招いてくれた。灰色のローブの老婆のあとに続き、ライアンたちは家の中に入る。
そして、ライアンは奥の部屋に入って、老婆の言っていた言葉の意味を理解した。
「師匠」
奥の部屋では一人の銀髪の男――ルドルフが椅子に腰掛けてお茶を啜っていた。
「おう、ライアン。それと……リリア、だったか」
「師匠も婆さんに何か用があって?」
「いや、そういう訳では無い。昨日のお前の話を聞いて、街の様子でも見ようかと思って山を降りてきたのだ。ついでにドロシーが生きているのかも気になってな。まぁ見ての通り、要らぬ心配だったらしい」
ルドルフは薄く笑いながら言う。その笑顔は老婆にじろりと睨まれている。
「ふん、まだまだお前達に心配される歳じゃないさ。少なくともルドルフ、あんたよりは長く生きてみせるさ」
「そりゃあ、頼もしい」
老婆――ドロシーの憎まれ口に、ルドルフは再び笑いながら応えた。
そして、ドロシーはため息をつきながら来客たちを見やった。
「それにしても、ラウンド騎士団は壊滅したって言うのに、前の団長と唯一の生き残りがこんなところに茶を飲みにくるなんざ、この国は大丈夫かね?」
やれやれと首を振りながらも、ドロシーは新たな来客の分のお茶を用意してくれた。
出されたカップに手を伸ばしかけたライアンは、思い出したかのようにはっとする。
「ちっ、違う。俺は茶を飲みに来たんじゃない!」
その緊張を帯びた声にルドルフが反応する。
「どうしたライアン。何かあったのか?」
ライアンはごそごそと服の中を弄って、握りこぶし大の皮袋を取り出した。
「これだ、これをドロシー婆さんに調べて欲しいんだ」
「なんだ? それは?」
「南の平原の先の深い森……魔獣たちが棲む森の奥で見つけたんだ」
ライアンは騎士団襲撃の現場で得た情報と、森の奥の惨状をルドルフたちに説明をした。例のごとく、リリアの悪魔の力については巧妙に省きながら。
「ふむ、麻袋に入った粉か……」
小さな皮袋の中を覗き込みながらルドルフは呟いた。袋の中には森の中で採取した例の薄茶色の粉が入っている。
「ああ、あんな人が寄り付かないところに、人の死体が転がっていて、人手で作ったような麻の袋があるなんておかしいだろう? だから――」
「――その中身も怪しい、と」
「そうだ。ドロシー婆さん頼む。街一番の薬師のあんたなら何か判るだろう?」
ライアンに同意するように、ルドルフは無言で老婆の方へ粉の入った皮袋を向けた。
「まったく、こんな時だけ調子の良いことを……」
ドロシーは毒づきながらも皮袋を受け取った。言葉とは裏腹に嫌がる様子は無い。慣れた手付きで老眼鏡を掛けて、皮袋の中から粉を一つまみ取り出してまじまじと観察をする。
「……何か匂うね」
「匂う? 匂いなんてしないぞ」
「そのままの意味じゃないさ。薬師としての感覚だよ。この粉、魔術か何かを使って精製された感じがするね」
おもむろにドロシーは指先の粉を舐め取った。
「おい、婆さん、危ないぞ!」
周囲の心配の声をよそに、ドロシーは瞑目して口を動かす。彼女はしばらくそうした後、口元に手巾を当てて粉を吐き出した。
「ふん、薬師を舐めてもらっちゃ困るね。たとえ毒だろうがなんだろうが、わたしの身体には効きやしないさ」
老婆は口を拭いながら、にべも無く言った。
「で、どうなんだ? 毒だったのか?」
ルドルフが聞いた。だが、ドロシーは何も応えずに部屋の扉まで歩いて行く。
そして扉の前で振り返って言った。
「説明するより見せた方が早いね。ついて来な」
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案内されたのは日当たりが悪く、じめっとした空気が漂う台所だった。
「ひゃあっ」
リリアが驚いて声を上げた。何気なく見ていた棚に、一匹の灰色の猫が居たのだ。猫は棚の中で丸くなったまま、興味なさげに一同を見ている。
「棚の中は触らないでおくれよ。薬も毒も区別無く置いているからね」
ドロシーのしゃがれた声が飛んできた。彼女は小さな肉片に例の粉を刷り込んでいる。
「さて、こんなもんかね」
そう言うとドロシーは肉片を台所の隅に投げ捨てて、そのまま椅子に座った。
「なんだ。何をしているんだ?」
「黙ってな。すぐに寄ってくる」
その言葉通り、それはすぐに姿を現した。どこからともなくどす黒い鼠が現れた。一同が見守る中、鼠は肉片に飛びついて齧りだした。
異変はすぐに現れた。
鼠は一瞬びくりと身を震わせたかと思うと、突然奇声のようなものを発しながら、ドロシーの方へと突進を始めたのだ。
そして鼠が老婆に飛びかかろうとする瞬間、灰色の影がするりと鼠の前に滑り込んだ。影の正体は棚の中に居た猫だった。
猫は鮮やかに鼠を踏みつけた。しかし、それでも鼠は暴れ続ける。尚も抵抗する獲物に猫は何度も爪を立てた。
しかし、驚くことに鼠は逃げる素振りなど微塵も無く、絶命するまで暴れ続けていたのだ。
「……お疲れさん。おっと、それはこっちへ寄越しな」
ドロシーは灰色猫に労いの声をかけ、鼠の死体を回収した。
「婆さん、い、今のは……」
ライアンが慄然として問いかけた。横でリリアも青い顔をしている。
「見ての通りだよ。我が身がどうなろうが構わず、眼の前のものをただ喰らおうと突撃してくる。それがあの粉の効果さ。ライアン、人の死体も転がっていたと言っていたね?」
問いかけにライアンは首肯で応えた。
「その人間たちは生贄にされたんだ」
「生贄?」
「恐らく、粉を森に運んだのは、その死体になった人間たちだろう。森の魔獣たちは粉を吸った後にその人間たちを襲った。そして魔獣たちの中で人の血肉とあの粉が強く結びついた」
「……どういう意味だ?」
「つまり、味をしめたんだ。あの粉には強い中毒性もある。魔獣たちは人を襲えば、またあの粉を得ることができる。そう考えるに至った。いや、そう仕組まれたんだ。まったく、とんでもない代物だね。あれを作った奴は頭が狂ってる。悪魔の所業だよ」
平然を装っているが、ドロシーの言葉には明らかな怒気が含まれていた。
「誰だ、誰が作ったか判るか?」
「さてね。少なくともわたしの知っている範囲じゃ、あんな代物を作れる薬師は居ないね」
眉間にしわを寄せたドロシーは遠くを見つめた。
「……薬師、以外なら居るのではないか?」
低い声で呟いたのはルドルフだった。
「薬師以外だって? あんな代物の精製を薬師以外の誰ができるっていうのさ?」
「錬金術師。いるだろう、頭のイカれた自称錬金術師が」
「……まさか、ジルド・ニヴェルのことを言っているのかい? 確かに、アイツなら人道を踏み外すことを厭わない最低な奴だ。だけど、もう死んだって噂じゃなかったかい?」
「ふむ、そうだったかの。城壁の外に移り住んだまでは聞き及んでいたが。そうか、アヤツ死んだのか」
「まぁ、わたしも確認した訳じゃないけどね」
二人のやり取りを聞いていたライアンが口を開く。
「師匠、そいつの、ジルド・ニヴェルって奴が住んでいた場所は判るかい?」
ライアンの双眸は刀身のように鈍く光っていた。
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