死骸との再会

 次の日の朝、ライアンはリリアを連れて街を出た。


 エディンオルの南の平原は鮮やかな緑の草原が広がっていた。

 草原は穏やかな風になびき、陽光を浴びた緑の光沢は波打ちながら美しい模様を描いていた。


 草の匂いが混じる心地よい空気に、ライアンは欠伸を噛み殺した。

 城壁の中とは違って、叱責も冷罵も無い安寧とした世界がここには広がっていて、思わず皮肉交じりの笑みを浮かべてしまっていた。


「どうかしました?」

 横を歩くリリアから声を掛けられた。


 リリアのこちらを覗き込む瞳は澄んでいて、ライアンの心の浄化を促進させる。

「いや、平和だなって思ってな」

「でも、どこかその辺に魔獣が潜んでいるかもしれませんよ?」


「魔獣ねぇ……」


 ライアンは遠くを見るような眼をしながら、昨日のルドルフの言葉を思い出した。


 魔獣たちの異常な行動。

 あれは確かに異常だった。屈強な魔獣とはいえ、人と同じく生命を宿すという面では同じであり、己の命が惜しくないはずは無い。

 むしろ誇りや道徳といったしがらみが無い奴らは、人以上に己の命への執着が強いはず。

 その前提を踏まえた時、どうしても彼らの目的が判らない。

 数で勝るとはいえ武装している人の群に躊躇無く襲い掛かってきた魔獣たちの目的は何だったのだろう――。


「ライアンさん」

 リリアの澄んだ声で意識は現実に引き戻された。

 気づくと、二人が出会った廃屋が見える所まで来ていた。


 周囲の気配を探りながら、ライアンはゆっくりと歩く。

 廃屋に近づくにつれて、獣の匂いが濃くなっていき、地面には死闘を物語る血だまりの痕がちらほらと目に付きはじめた。


 廃屋の前には魔獣の死骸だけが無残に転がっている。


 人間の――騎士たちの遺体は見当たらない。

 どうやらシェリーが言っていたように、遺体は回収されたようだった。


 以前の騎士団員の遺体と同じように、今度は魔獣たちの死骸を検分し始める。

 どれもこれも今にも襲い掛かってきそうな醜い形相をしていた。


 だが、魔獣に詳しい訳でも無いライアンは、その死骸にはおかしなところを見つけられなかった。

 そもそもが、魔獣の死骸をまじまじと見ること自体が初めての経験だった。


「うーん。こうして戻ってきたのはいいが、何を探せばいいんだ?」

 頭を掻きながら嘆息した。ふと横に眼をやると、リリアも真似をして他の魔獣の死骸を見つめている。

 死骸を見るのがとても嫌なのか、死骸から発せられる死臭が嫌なのか、彼女の顔は苦悶に満ちている。


 ライアンは彼女の視線の先を見やって、記憶の欠片と繋がる感触を得た。


「ちょっといいか? リリア」

 言いながらリリアと魔獣の間に割って入った。

「な、なにか見つかりましたか?」


「いや、実物のこいつを見るのは初めてなんだ」


 それは鹿のような巨大な魔獣だった。

 頭には光沢のある漆黒の角が生えていて、それは大人が両手を広げた程に大きく、禍々しく曲がりくねった形状がなんとも不気味だった。


「初めて、ですか」

「ああ、この黒い角の魔獣は、古い文献でしか見たことが無いんだ」

「……はぁ」

 要領がつかめないでいるリリアに、ライアンは続ける。


「その文献というのは大昔の狩人が書き残した物なんだ。それによると、こいつはここから南に行った森のかなり深いところに生息しているらしい。そして、恐ろしく警戒心が強いと書かれてあった。何人もの狩人が、この角を目当てに狩りに行ったが、誰にも仕留められなかったと聞く。半ば伝説になっている魔獣だ」


「そんな魔獣がなぜこんなところに?」


「わからない。南の森で何かあったのかもしれない」


 ライアンは顔を上げて遠くを見た。

 遠く視線の先には、漆黒の森が霞んで見えていた。

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