情報交換といきましょう

 次の日、リリアは身体を揺すられて目を覚ました。


 誰かに起こされるなど記憶に無かったものだから、跳ねるように飛び起きた。

「ひゃあっ!」

「うおっ!」


 声の方を見ると、両手を挙げて降参のような仕草を見せるライアンの姿があった。

「な、なにもしていないぞ。ただ、起こそうと」


 リリアはしどろもどろのライアンを見て、ようやく頭の整理が追いついた。

「す、すいません……。お、おはようござい……ます……」

「あ、あぁ、おはよう」

 ぎこちない挨拶の後、窓から差し込む陽の光で夜が明けていることを知った。


「ベッド、使わなかったのか? 寝心地が悪かったか?」

「い、いえ、あの、やっぱり慣れていないので……」

「そうか、それなら仕方がないな」

 会話の中でライアンが外套を羽織っていることに気づいた。


「あの、出かけるのですか?」

「うん? あぁ、これか。いや、今帰ってきたところだ」

 聞けばライアンは日の出とともに城壁に昇り、城壁外の様子を見に行っていたらしい。

 ただ、そこから見える景色には魔獣はおろか人影すら無かったと言う。

 やがて城門から捜索団が出て行くのを確認してから帰ってきたとのことだった。


「そうですか。魔獣は来なかったのですか」

「ああ、一応、見張りの兵にも聞いてみたんだが、雄叫びや遠吠えすら無かったらしい」

「これから、どうしましょう」

 考え込む様子を見せるライアン。だがすぐに開き直った微笑みで言った。


「メシだ。メシにしようリリア」



********************


 昨晩と同じ酒場――。

 リリアは椅子の上でそわそわと落ち着かない。


 昨晩のように周囲の視線が気になるわけでは無かった。

 こんな朝の時分から酒場に来る客は居るはずも無く、店内は喧騒が枯れ果てたように静寂に包まれている。

 客はライアンとリリア以外には居なかった。

 そもそもこの店は、この時間は開店していないのだが、嫌がる店主をライアンは押しのけて、無理矢理に店に入ってきていたのだった。


「あ、あの。ライアンさん? 誰も居ませんけど」

「ああ、そうだな」

 出された残り物のパンをかじりながらライアンは答えた。

 店に入る前にライアンは情報収集をすると言っていた。

 しかし、客は一人も居ない上に、店主に話しかける素振りも無く、ただ座っているだけだ。


「来たかな」

 ぼそりとライアンが呟いた。

 目線はリリアの背後――店の入り口に向けられている。


 やがて勢い良く扉が開かれて、一人の少年が現れた。ぶかぶかのチュニックにベストを着込んだ少年は肩で息をしている。

 おそらくここまで走ってきたのだろう。

 少年はライアンたちを一瞥して、カウンターに向かって叫ぶ。


「マスター! マスター、いるかい?」

 静まり返っていた店内に少年の高い声が響き渡った。

 

 カウンターの奥からごそりと物音がして、恰幅の良い男――酒場の店主がくたびれた前掛けで手を拭きながら現れた。

 

「お前か。どうした、そんなに慌てて」

 少年は店主に近寄り、なにごとかを耳打ちした。


「わかった」

 店主は短く応えると、少年に硬貨を数枚渡した。

 少年はそれを大事そうに握りしめて、来たときと同じように勢い良く出ていった。


「行こう」

 そう言ってライアンは立ち上がると、つかつかと出口へと歩き出した。


「朝っぱらから油を売っていると思ったら、そういうことか。ライアン、お前何しやがった?」

 店主の図太い声がライアンの足を止めた。


「マスター。悪いが、騎士団の情報はそう簡単に漏らせないな」

「はっ、いまさらだろうが。ラウンド騎士団は魔獣の襲撃で全滅したらしいじゃねえか、お前を除いてな」


「へぇ、魔獣がねえ。で、魔獣たちはもう襲ってこないのか?」

「あ? そりゃぁ、まだ調査中、だろうが……。それこそ、何でお前ここに居るんだ?」


「――謹慎中だからよ」


 凛然とした美しい声が店内に響いた。


「やめときなさい、マスター。情報を仕入れているつもりかも知れないけど、逆に情報を抜かれようとしているわよ」

「な、なに? シェリー、そりゃどういうことだ?」


 美しい声の主は昨晩に路地裏に現れた女――シェリーだった。

 すぐ後ろには凛冽とした空気を纏うトリシアも立っていた。

 昨日は暗がりでよく見えなかったが、シェリーは丈の長いワンピースにエプロンといった庶民の女性のような服装で、トリシアの襟の立った黒い服は、男性の商人を連想させる出で立ちだった。


「邪魔するんじゃねえよ、シェリー」

 憮然とした表情のライアン。それを気にせずシェリーは後ろの連れに目配せをした。


「マスター、すまないが、少し店を借りるぞ」

 トリシアは決定事項を告げるような冷たさで店主に言った。

「え? い、いや……」

「借りるぞ」

 鋭い眼に射抜かれてすっかり萎縮してしまった店主は、ぎこちない首肯で応じる。それを見たトリシアは口元だけの笑みを浮かべた。


「突っ立ってないで、座ったら?」

 いつのまにかシェリーはテーブルを確保して、そこへ腰を下ろしていた。

 ライアンは退路を――店の出口を確認した。だが考えていることは見抜かれているようで、トリシアが腕組みして扉を塞いでいた。


 ライアンはその門番のようなトリシアをしばらく睨んでいたが、石ころを見るような彼女の目つきは揺らぐことは無かった。ライアンは根負けしたように舌打ちをした。

「……わかったよ。座ろう、リリア」

「そんなに警戒しないでよ。取って喰ったりしないわよ」

「じゃあ、あそこに立っている奴をどうにかしろ。せめて殺気を引っ込めるように言え」

 扉の方を指差しながらライアンは言った。

 ふぅとシェリーは息を吐いてテーブルをぽんぽんと叩く。


「トリシア、あんたも座って」

 声を掛けられたトリシアは、ことさらゆっくりとした所作で歩いて、椅子に腰掛けた。

 場の全員が席に着いたのを見計らって、瞳を妖しく輝かせながらシェリーが切り出す。

「じゃあ、情報交換といきましょう」


********************


「なんっっっっにも、判らないじゃない!」

 シェリーは叫びながら、テーブル越しにライアンに詰め寄る。

「知るか! 俺は知っていることを全部話している!」


「魔獣たちが、どこから、何の為に、どのくらい来たのか、全く判らないじゃない!」

「俺も、それを調べるつもりだった。でも捜索に加われなかったんだ。仕方ないだろう」


「これじゃあ、わたしたちが持っている情報と大して変わらないじゃないの! 何よこんな所まで来させといて!」

「だから知るかって! お前らが勝手に来たんだろうが!」

 大幅に思惑が外れたのか、シェリーは半ば癇癪を起した子供のように声を荒げている。


「落ち着いてシェリー。この男が役立たずなのは、今に始まったことではないわ」

 興奮するシェリーの隣で、トリシアがお茶をすすりながら無機質に言った。

 トリシアは話の合間にお茶を淹れていて、テーブルには人数分のカップが並んでいた。


「チッ、悪かったな。役立たずで」

「ホント、役立たずなんだから」

 追撃の言葉でライアンの眉間にしわが寄る。だが歯噛みしながらも彼は抗弁しなかった。

 これ以上、幼稚なやり取りを続けても不毛だと彼は悟っていた。


 ライアンも一旦気を落ち着かせる為にカップを口に運んだ。ふと横に眼をやると、リリアが膝の上に置いた自らの握りこぶしを見つめたまま硬直していた。

 リリアと出会ってそう長い時間が経ったわけでは無い。だが過ごした時間の中で、彼女はどうやら人間の荒々しさが苦手だということを認識するに到った。

「大丈夫か、リリア?」

「えっ? ええ……。はい……」

 びくっと身を震わせたリリアは、一瞬こちらに目を向けたが、またすぐに視線を握りこぶしに戻してしまった。

 そんな二人のやり取りを、対面に座る二人組は口元にカップをつけたまま、冷ややかな眼で見ていた。


 シェリーが優雅にカップを置いた。

「ねえ、ライアン。すっごく気になることがあるのだけど、聞いていいかしら?」

 ライアンに質問しながらも、シェリーの視線は明らかにリリアに向けられていた。

 そのあからさまな視線に気づいて、ライアンは腕組みして目を閉じた。


「……聞くな。それは、今は関係のないことだ」

「この娘って、昨日の晩に一緒に居た娘よね? なんでまだ一緒にいるの?」

 閉じた眼に力がこもる。


「……この娘は……アレだ。いわゆる、親戚だ」

「親戚なんているわけないじゃない。アンタ、親の顔も知らない孤児なのに」

 薄っぺらな嘘はいとも簡単に破かれてしまった。

 返答に窮しているライアンを冷めた眼で見ながら、トリシアが薄く笑った。


「シェリー。それは野暮だというものだ」

「野暮?」

「分からないのか? この娘は昨晩ライアンと一緒に居た。そして今も一緒に居る。昨日の夜からずうっと一緒に居るのだ。これの意味するところは……なんだろうな?」

 トリシアは口角を上げながら、冷淡な声に微かな艶を滲ませて言った。

 みるみるシェリーの顔が赤らんでいく。


「ア、アンタ! こ、こんな時に!」

「違う! 断じて違う! そんなんじゃない!」

「じゃあ、何なのよ!」


 再びライアンは返答に窮した。

 いっそリリアが悪魔だということを言おうとも考えたが、信じてもらえる訳は無く、気が変になったと勘違いされる恐れがある。

 まかり間違って悪魔だと信じた場合は、そっちはそっちで面倒くさいことになる。そう考えてリリアの正体を言えずにいた。


「あ、あの、わたし、ライアンさんに助けられたのです」

 か細い声で喋り始めたリリアに、三人の眼が一斉に向けられた。

「助けられた?」

 シェリーが訝りながら聞き返した。


「はい。わたし、旅でこの街に来る途中にとある廃屋で休んでいたところ、ライアンさんたちを襲った魔獣たちに囲まれてしまって、助けてもらったんです。その後、この街まで連れてきてもらったのは良かったのですが、お財布を含む荷物全部を逃げる途中に落としてしまっていて、宿も取れずに途方に暮れてしまっていたところを、ライアンさんが泊めてくれて……」


「ふーん。じゃあ、どうして今もライアンの傍に居るの?」

「わたし、この街に仕事を探しに来たのです。それで、仕事が見つかるまでは、面倒を見てくださると言われたので、ご厄介になっています」


 シェリーは今の話に一番感心しているのが、ライアンだというのが気に喰わなかったが、いたいけな少女を問い詰める気になれなくて「ふーん」とだけ言って話題を切り上げた。


「それより、シェリー。外の調査とかはどうなっているんだ? 騎士団の捜索とは別に兵を出して調査とかをしないのか?」

「今のところ、そんな話は出ていないわ。騎士たちの遺体の回収はするだろうけれど、それ以上の調査はしないと思うわ。貴族どもは怖気付いちゃって、兵は出さずに守りを固めるべきだって奴が大多数よ」


「ばかな! 他に魔獣の群が現れたらどうするんだ。街に被害が出てしまうぞ!」

「アイツ等はそんなこと気にしないのよ。自分達の身が守られればそれでいいのよ」

 吐き捨てるようなシェリーの言葉に、ライアンは二の句が継げなかった。


「はぁ、こんな時、ルドルフ前団長とか居れば、勇猛にも討って出たのでしょうけどね。唯一代わりになりそうなディオブルック団長が討ち死にじゃあ、仕方無いわね……」

 シェリーの嘆き節にライアンが微かに反応した。


「ん? どうしたのライアン」

「あ、いや、なんでも無い」

 そう言いながら、ライアンは脳裏に浮かんだ人物の記憶を辿る。


 その後、シェリーから幾つかの城内の情報を得ることができたが、リアンダール王国に迫る脅威の正体につながる手がかりを得る事はできなかった。


「――ま、当面は城壁の衛兵の数を増やして監視にあたるみたいだし、守ってばかりなのは癪だけど、様子見するしかないわね」

「あぁ、そうだな」


 かくして紆余曲折を経ての情報交換は終わり、シェリーたちは店主に幾らかの謝礼を払って出て行った。二人を見送ったライアンは、微かな笑みを浮かべてリリアに言う。


「リリア、行こう」


 力強く歩き始めたライアンにリリアはついて行く。

 

 騎士と少女は足早に酒場を後にした。

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