冷たい視線、温かな食事

予想はしていた。


 一人だけで帰ってくれば、ああなることは眼に見えていた。だがそれでも。

 尋問の場から解放されたライアンは足早に城内から去り、城から伸びる目抜き通りにその姿を移していた。


 城から出ても、ライアンの胸の奥に渦巻く煮えたぎる感情は晴れてくれない。

 今まで幾度も経験してきた感情、感じるだけ不毛でなんの得にもなりやしない。怒りを燃やしたところで解決などできやしない。


 ――無駄だ、割り切れ、切り替えろ。


 必死に怒りの嵐を宥めようとするが、むしろ考えれば考えるほどに、嫌な感情は濃くなっていくようだった。

 大股で通りを歩くライアン。その少し後ろを早足で歩く少女の姿があった。


「あの……」

 少女は後ろから声を掛ける。だがライアンの耳には届いておらず、反応する素振りすらない。どうやら少女に全く気づいていないらしい。

 少女は意を決して、今度はライアンの前に回り込んで声を掛けた。

「あ、あの」

「あぁっ?」

 射殺すような眼でライアンは少女を睨みつけた。少女は「すいません」と言いながらその身を縮こまらせた。その姿にはっとライアンの表情が変わる。


「す、すまないっ、リリア。ちょっと考え事をしていたんだ……」

 リリアは警戒するように上目遣いで見ている。

「だ、大丈夫だ。怒っちゃいない」

 ライアンは無理やりに笑顔を作った。


「そ、それより。メシにしよう。腹減っただろう?」

「あ、いえ、わたしは」

 何かを言いよどむリリアをよそに、ライアンは再び歩き始めた。



 二人が歩く大通りは、夜だというのに人通りが多く、通り沿いには多くの露天や屋台が皓々と輝くランプを吊り下げて商売に勤しんでいた。

 露天の呼び込みや、酒場のテラスからの談笑の声がそこかしこから聞こえ、街は昼間さながらの熱量を感じさせている。


 行きかう人々は、誰も彼もが見栄えの良い身なりをしており、その所為か歩き方もどことなく上品さが漂っていた。


 リリアの横を緩やかに馬車が通り過ぎる。

 装飾が煌く豪奢な馬車は、それを引く馬さえも気品を感じさせる面構えだった。慣れない都会の空気に落ち着かないリリアをよそに、ライアンは慣れたものだと器用に人波を縫って歩く。

 リリアははぐれてしまわないように早足でその後に続いた。


 しばらく歩いただろうか、ランプを下げた露天はすっかり無くなってしまい、通りを照らすのは建物の窓から漏れる光だけになってしまっていた。人気もすっかりと無くなってしまい閑散としている。


 賑やかな城の周辺からは、もう随分と離れてしまっている。しかしライアンの歩みは緩む様子は無く、むしろ人が居なくなって歩きやすいとばかりにその足取りは軽い。


 ふいにライアンが足を止めて振り向いた。

「疲れたか?」

「い、いえ、大丈夫です」

 リリアは首を振って応えた。

「そうか。もう少し歩くから、ここから先は足元に気をつけてくれ」

 ライアンはそう言うとまた歩き出した。リリアは慌ててその後に続いた。


 やがて二人の歩く通りは、月明かりだけが照らす閑寂とした風景に変わった。

 人の気配はほとんど感じられず、通り沿いに佇む建物も、城の周辺と比べると随分と貧相に見える。街の中でありながら、闇夜の森を連想させる不気味さだった。


 王都エディンオルは城を中心に据えて、その周りに商店や居住区が建ち並んでいる。それらは明確な区分けこそ無いが、身分もしくは財力が高い者ほど城に近い区域に居を構えている。従って、城から離れ城壁に近づくほど、建ち並ぶ建物は質素になっていく。


 そして、城から最も遠い城壁近くには『貧民街』と呼ばれる区域が有り、廃屋とも見えるような建物がひしめく様に建っていた。

 そんな街の仕組みなど知るよしも無いリリアだったが、今歩いている城壁に近いこの場所が、お世辞にも上品な場所ではないことは感じ取っていた。そして同時に、城に出入りできる身分の騎士であるライアンが、なぜこんな場所に来るのかを疑問に思っていた。


「着いた。ここだ」

 ライアンが足を止めて言う。彼が指差す一軒の古びた家屋を見た。頑丈そうではあるが綺麗とは言えない。だが中からは賑やかな人の声が漏れ出ていた。雰囲気から察するにどうやら酒場らしかった。


「入ろう」

 ライアンに続いてリリアは中に入った。そこは人の気配が濃縮された空間だった。

 人や食べ物の種々の匂いが入り混じる濃厚な空気が鼻腔をかき混ぜ、騒音とも呼べる程の折り重なった声が耳に流れ込んでくる。外の閑散とした光景が嘘のように酒場には人が溢れていて、紫煙で霞むランプの光の下、客たちの上気した顔が並んでいた。


 騒がしい店内をライアンたちは奥へと進んだ。

 だが、二人が店の奥へ進むにつれ、次第に喧騒は止んでいき店内は静まり返っていった。リリアは不思議に思って周りの客たちをちらりと見た。


 ライアンを視界に入れないようにそっぽを向いている者。侮蔑を含んだ冷ややかな視線を向けている者。明らかな敵意を浮かべて睨みつける視線もあった。

 店中の敵意と悪意が全て自分たちに向けられている気配に、リリアは背筋の凍る思いがした。

 やがてライアンは空いたテーブルを見つけて二人は腰を降ろした。

「視線が気になるか」

 座るなりライアンが聞いてきた。

「え、えぇ、まぁ……」

「安心しな。連中はどうせ何もしてはこないさ。気にしないでいい」

 そう言われても、と思いながらリリアは居心地悪そうに身を縮こまらせた。


「いつものを二人前」

 ライアンは近くの店員を見つけて告げた。店員は一瞥して店の奥へと消えた。

「悪いな。俺、こんなところしか入れてもらえないんだ」

 苦笑いを浮かべてライアンは言った。


 リリアは向かいに座るライアンの身なりを見た。甲冑は脱いでいるものの、汚れの無い整った服を着ている。貴族とまではいかないが、上流市民のような服装は明らかに店の雰囲気と比べて品が良く、この店ではむしろ浮いた存在に見えた。


「俺は貧民街の出身なんだ。偉い王族が貧民街の住人でも能力さえあれば騎士にだってなれるって大層立派なことを主張したかったみたいでな。俺は小さいときから腕っぷしには自信があったから、運よく……いや運悪くか、なんだか良くわからないうちに騎士にされちまったんだ」

「そ、そうですか」

「まぁ、王族が主張したいことは判らないでも無いが、当の本人にとっちゃ迷惑な話だ」

「迷惑、ですか」

「あぁ、騎士になったとはいえ、所詮は貧民街出身の身分だ。代々騎士を世襲している貴族様なんかに仲間として受け入れてもらえるはずは無い。あいつらが通っているような上品な店じゃ門前払いだ。その上、貧民街の連中には裏切り者扱いされて、このざまだ」


 リリアは騎士という言葉から連想される印象と、ライアンの雰囲気との乖離の理由を垣間見た気がした。同時に自分の緊張が少し緩むのを感じた。


 そこへ先程の店員がやって来て、無造作に料理を置いていった。

 目の前には、鉄板で焼かれた合挽き肉のパティとそら豆色のポタージュスープ、それと茶色いパンが二人前並んでいる。それらの料理をリリアは珍しげに眺めている。


 ライアンは一つ息を吐く。ここの悪意が満ちた雰囲気を味あわせてしまった気恥ずかしさから、リリアに関係の無い話をしてしまった。身の上話なんて柄じゃない、と思いながらパンに手を伸ばす。

 ふと、リリアを見ると、彼女は膝の上に握りこぶしを置いたまま動こうとしなかった。


「ん? どうした? 食べないのか?」

「あ、いえ、わたし、必要無いのです。食事を取らなくても平気なのです」

 思わず手が止まった。


「ああ、そうか、『悪魔』だからか。ということは『悪魔』が食べるのは、やっぱりアレか?」

 リリアはぎこちなく笑いながら頷いている。


 人の魂――それこそが悪魔のリリアが欲する物。そして本来ならば自分がそれを捧げるはずだった。そこまで考えてライアンは、今こうして自分だけが食事を取っていることが気恥ずかしくなった。


「でも、必要は無くても、食べられないってことじゃ無いんだろう?」

「え? あ、はい。食べられなくは無いのですが……、お腹は膨らみませんし、やっぱり要らない物です」

「味はどうなんだ? 味を感じることはできるのか?」

「……わかりません。もう長いこと食べ物は食べていないので、忘れちゃいました」

 照れ笑いのような表情でリリアは言った。その笑顔はライアンの胸の奥を衝いた。


「食べろ」

 ライアンは肉料理の皿をリリアの方へ押しやった。

「え? で、でも」

「せっかく二人前を頼んだんだ、余ってもしょうがない。だから、食べろ」

 両眼をぱちくりさせながらリリアは皿の上の料理を見ている。それから上目遣いでライアンを見た。ライアンは何も言わずリリアを見つめた。


 仕方ないといった表情で、リリアはぎこちない所作で肉をひときれだけ口に入れた。その瞬間、びくっと体を震えさせて目を見開いた。そして随分と長いあいだ咀嚼した後、ごくんと喉を鳴らした。


 ため息を漏らしながらリリアの唇が微かに開いた。唇はそのまま笑みの形を作る。

「……おいしい……です」

 双眸を輝かせて呟くリリアの顔は、驚きと興奮に満ちていた。そのあどけない表情を見て、ライアンも思わず顔が綻んだ。


「そうだろ。食わず嫌いは良くない。もっと食べてくれ」

 その言葉にリリアの双眸の光は輝きを増した。彼女の瞳の輝きに照らされてか、ライアンにとっては普段と変わらない目の前の料理が、今日は少しだけ美味しそうに見えた。


 酒場で感じる周囲の視線はいつも通りに冷たくて、それらは総じて拒絶という感情の具現だった。

 けれど、今夜は暖かい幕のようなものが自分たちを包み込んでくれて、冷たさを遮ってくれているような、そんな感覚をライアンは感じていた。

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