第二章

憂鬱なる帰還

 リアンダール王国――王都エディンオル。


 王国領土の中央に位置するカノッサ平原にその街はある。


 エディンオルは街そのものが環状城壁に取り囲まれた城塞都市であった。

王族、貴族、平民を合わせて数千もの人々が暮らす居住区域を、隙間なく囲う城壁は街の象徴たる存在だった。


 見上げるほどの高さの建造物が、すっぽりと大きな街を囲ってしまっているのだから、どれだけ建築に疎い者でもそこにかけられた労力と、それを動かした権力に、畏敬の念を抱かざるを得ない。


 その昔、平原においても魔獣の襲来が脅威であった時代においては、城壁は安全と危険な地域を画然と隔てていたが、魔獣たちを森林や山岳に追いやった今となっては、城壁の外であっても、危険な地域に踏み込まない限りは安全に暮らすことができる。しかし、多くの国民は壁の内での生活を選択し、壁の外に居を構えるのは、はみ出しものや酔狂者といった一部の者だけだった。


 城壁の内側に目を向けると、無数の住居がひしめき合って建っている中、街の中心部には屹然とエディンオル城がそびえ立っている。この街において城壁の高さを超える唯一の建造物であるエディンオル城は、ひれ伏す平民を高みから睥睨する王さながらに威容を放っていた。


 そして今、エディンオル城内のとある小広間では、豪奢な服に身を包む男たちが集まっていた。彼らは誰もが国の要職を担う貴族達だった。

彼らが取り囲む輪の中心には、跪いて頭を垂れるライアンの姿があった。


「何故貴様だけが帰ってくるのだ! 騎士団長ディオブルックはどうしたのだ!」

 一人の恰幅の良い男がライアンに向かって怒号を飛ばした。

「ディオブルック団長をはじめ、私以外の騎士は討ち死に致しました……」

 顔を上げずにライアンは応えた。その返答に居並ぶ貴族達にざわめきが起きた。


「貴様、他の騎士を見殺しにしおったか! よくもおめおめと一人で帰ってこられたな!」

 床に着けたライアンの握りこぶしが小刻みに震える。

「……申し訳、ありません」

 腹腔から搾り出したような声でライアンは応えた。貴族の男は尚も糾弾する声を荒げようとするが、別の男の声がそれを制する。


「そのくらいにしておきましょう。ラッセル卿」

「しかしっ! クロムウェル卿!」

「落ち着いてください、ラッセル卿。今ここで彼を責めたところで、状況は変わりません。それよりも彼の言うことが全て事実であった場合、ここエディンオルに大いなる災厄が近づいていることになります。そちらへの対応の方が先でしょう」

 静かにそう語る痩身の老人――クロムウェル卿の冷静な口調に諭されて、ラッセル卿はようやく口を閉じた。


「城壁外の様子はどうなっている? 衛兵達の報告はまだか」

 良く通る声でクロムウェル卿が近くに控えていた兵士に声を掛けた。

 そこへちょうど一人の兵士が現れて、クロムウェル卿の前に跪いた。


「申し上げます。城内の兵士を総動員して城壁外の哨戒にあたっておりますが、魔獣は一匹たりとも確認できておりません」

 その報告に貴族達の間にため息と共に安堵の空気が流れた。

だがそれと同時に、いくつもの訝る視線がライアンへと突き刺さった。


「ふむ、そうか。よろしい、城壁外の兵士たちは引き上げさせよ。だが、城壁上の衛兵は通常の倍の人数として、夜通し警戒にあたらせるのだ」

 命令を受けた兵士は短く返事をすると、足早に去っていった。


「魔獣は来ずか……」

 クロムウェル卿は呟いた。


「やはり、我々はこやつの虚言に踊らされていたのです。クロムウェル卿」

 再びラッセル卿が敵意をむき出しに、ライアンを指差しながら叫ぶ。

「では、何故ラウンド騎士団は帰って来ないのでしょう? 何故、彼以外帰ってこないのでしょう?」

 クロムウェル卿の問いかけに、ラッセル卿は口ごもり言葉は続かず黙ってしまった。


 他に答えられる者はいないかと、クロムウェル卿は他の貴族たちの顔を見渡した。貴族たちはそれぞれに思案の顔を浮かべているが、誰一人として問いに応える者は居なかった。


 クロムウェル卿は視線をライアンに戻した。

「騎士ライアンよ。ラウンド騎士団は、南の平原の外れにある廃屋の近くで襲撃を受けたと申したな? そこで貴殿を残して全滅したと」

「その通りです。クロムウェル卿」


 クロムウェル卿は顎をひとさすりすると、周囲の貴族たちに向かって言う。

「お集まりの皆様方。夜も更けてきたことですし、行方知れずの騎士団の消息については、明朝夜明けと共に捜索団を派遣するということで如何ですかな?」

 貴族たちは顔を見合わせ囁きあっている。

 そして、その中の一人が他の貴族を代表するように口を開いた。


「そうするしかないでしょうな。実際に見てみないことには、騎士ライアンの報告が虚言かどうかは判りませんな」

「わかりました。では捜索団については、私の方で手はずを整えましょう。それから、騎士ライアンよ」

「はい」

「明日の捜索には貴殿は加わらなくともよい」

「し、しかし、私がいなければ正確な場所が判らないのでは」


「貴様では信用ならんと言っておるのだ!」

 再びラッセル卿が敵意を浴びせてきた。

「騎士団のみならず、今度は捜索する兵たちを、消されてはたまったものでは無い!」

 まるで意図的に騎士団を行方知れずに陥れたかのような台詞に、ライアンは激しく歯噛みした。


「騎士ライアンよ。あの辺りの地勢に明るい者ならば他にも居る。貴殿は別命あるまで待機しておくがよい」

 のしかかるようなクロムウェル卿の言葉には、異議を許さぬ重みがあった。

 ライアンは再び頭を垂れる。


「……承知しました」

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