契約不履行
その後は魔獣の待ち伏せも奇襲も無く、二人は無事に廃屋にまで戻って来た。
辺りには甲冑を纏った死骸が至る所に転がっている。その酸鼻をきわめる光景にリリアは顔を顰める。
ライアンの方はうつ伏せに倒れている騎士の身体を検分していた。
その身体は甲冑ごと背中を裂かれ、仔細に見るまでも無く死体だとわかる有様だった。
彼は死体の顔を確認すると、すぐさま立ち上がり他の死体も同じように確認をしていっている。無言で死体の確認作業を続ける騎士の姿を、リリアはただ黙って見ていた。
ライアンが鮮やかな真紅のサーコートを纏った死体の前に立った。亡骸を見つめる顔は、怒りも悲しみも全て忘れてしまったような無機質な表情だった。
仲間の死に何も感じていない――少なくともリリアにはそう見えた。
それまでと同じようにライアンは屈んで死体を検分する。仰臥しているその死体は、眼は見開かれ、今にも悲鳴が聞こえてきそうな苦悶の表情をしていた。
ライアンはその顔に手を触れ、死体の見開かれた眼をそっと閉じた。そして自らの眼も閉じ、両手を合わせて祈りを捧げた。そして祈り終わった後も、物言わぬその死体の顔をしみじみと眺めている。リリアはライアンのその顔に悲哀の色を感じた。
「その方は、大事な方だったんですか?」
「……ああ、そうだな。この人が俺たちラウンド騎士団の団長だった人だ。俺の大嫌いな奴だった」
「え?」
「いっつも、いっつも、俺ばっかり目の敵にしやがって。怒鳴られてばっかりだった」
その言葉は微かな温もりを帯びていた。
「最期までわからないままだったよ。この人がいつも言っていた、騎士としての誇りっていう言葉の意味が」
膝の土を払いながらライアンは立ち上がった。
「すまない。お前には関係の無い話だったな」
「い、いえ……」
リリアは緩く首を振った。ライアンは大きく息を吐く。
「さて、もういいぜ。契約を終わらせよう」
「……え?」
「え、じゃないだろう。どうしてお前が驚くんだ? 契約はもう履行しているだろう」
はっとした顔でリリアは周りをきょろきょろと見回した。
「もう、居ねえよ。魔獣の気配は無い。俺たちが全部倒した」
リリアは残念な表情を浮かべた。
「なんだ? 要らないのか? 俺の魂」
「い、いえ、そ、その、そういう訳では無いのですが。あの、ライアンさんは、ご家族とか、大切な方とかはいらっしゃらないのですか? 最期に会っておきたい方とか、別れを言う方とか」
「居ないな」
至極あっさりとした言葉だった。
「俺は孤児で独り身だから家族は居ないし、挨拶する人はいないことも無いが、別にいいや。それに、生きて街に帰りたくないんだ」
「帰りたくない?」
「とにかく、支払いはきっちりさせてもらう。やってくれ」
「で、では、本当に、いいのですね」
最期の確認にライアンが鷹揚に頷くと、リリアは右手を差し出す。すると二人の間に青い魔方陣が浮かび上がった。
ライアンは眼を閉じた。不思議な感覚だった。
自らの命が消えようとしているのに落ち着き払っている自分が意外だった。今までの人生がよほど嫌だったのか、それとも脅威から国を守りきった達成感からなのか、どちらかは判らない。だがそれすらもどうでも良いことだと思った。
暫しの静寂の時間。
「あれ?」
可愛らしい声がした。
眼を開けるとそこはまだ廃屋の前で、どうやらあの世ではないらしい。目の前では、声の主――リリアが手の平を眉を寄せて見ている。
「おい」
「はいっ!」
「待っているんだが」
「あっ、いや、やろうとしているのですけど、その、うまくいかなくて……」
その後もリリアは、何度か魔方陣を出したり消したりを繰り返したが、ライアンの命の灯火が消えることは無かった。段々と不機嫌な表情になっていくライアンの前で、リリアの方は段々と泣きそうな表情になっていく。
「す、すいません。わ、わたし『魂』を頂くのは初めてなので」
予想外の事実に、ライアンは壮大に顔を顰めた。
「で、でも、術式は合っているはずなのです! なんてたって、一番大事な儀式の術式なのですからっ、間違えるはずがありません!」
「じゃあ、どうしてできない」
「うぅっ」
ついにリリアは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
ライアンはどうしたものかと空を仰ぎ見た。
空は紅く染まり、夜の始まりを告げようとしていた。
「あ!」
「なんだっ、いきなり」
「終わっていないのかもしれません!」
「終わっていない? 何がだ?」
「願い事です! ライアンさんの願い事はまだ完遂していない可能性があります。ライアンさんの願い事は、『この国に迫り来る脅威を打ち払え』でしたよね? ですから、まだ『脅威』は有るのです。それしか考えられません」
「……どういうことだ? 魔獣たちはもう居ない。どうみても脅威は去っている。それなのにまだ有るって、どこにあるんだ?」
「そ、それは……。わたしにもわかりません。でも、ここにはもう無くても、まだどこかに有るはずです」
その言葉は『脅威』が無くなるまでは、ライアンは死なずに済むことを意味していた。だが、当のライアンの胸中は複雑だった。全てが終わったと思っていたのに、まだ『脅威』は存在しており、その上どこにあるのかも判らないときている。
日は沈み、夜の闇が自らの領地を少しずつ拡げ始めていた。
ざわざわと迫る夕闇のように、ライアンの胸中には暗い影が落ちていった。
~~第一章[完]~~
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ここまで読んで下さって、有難う御座います。
次章より、脅威の謎に迫っていく展開をお楽しみ下さい。
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