第40話 折れた彼女にかける言葉Ⅱ

 この声を俺は知っている。


 未来で初めて由姫と会った時の彼女だ。絶望し、心が折れた時の彼女だ。


「やっぱり私は兄さんには勝てないわ。それが昨日わかったの。進行も上手く出来ないうえに、体調まで崩して……。兄さんならけろっとした顔で全部こなすのに……」


「…………………………」


「あ。心配しないで。別にすべてを投げ出すわけじゃないわ。でも、そこそこでいいって思っただけ。今までみたいに一番を狙うんじゃなくて、自分の実力に見合った努力をしようって」


「………………………………………………」


「正直、一人で勉強しているより、貴方と遊んだ方が楽しかったわ。勉強ばかりしていちゃ駄目ね。ほら、この前みたいに楽しいこと、色々教えてよ。貴方、色々知ってるんでしょ」


 無理にひねり出したような明るい声で、由姫は言った。


「もう諦めていいでしょ……。これだけ頑張ったんだからさ」


「有栖川……」


 普通の女の子なら、きっと「そうだな。もう休もう」とか、肯定してあげるのが良いのだろう。


 だけど、由姫はそうじゃない。


 俺は知っている。


 彼女が求めている言葉は慰めの言葉ではない。


 彼女が欲しい言葉。それは――


「駄目だ。あと少し頑張れ」


「え……」


 驚いた声をあげる由姫。俺は彼女の部屋に足を踏み入れると


「さっき、お前の兄貴と賭けをしてきたんだ」


「賭け?」


「去年と今年の若葉祭。どっちが優れているか。負けた方はなんでも言うことを聞くって」


「な、なにしてんの!?」


 布団の中から由姫が飛び出してきた。とんでもない焦り様だ。パジャマ姿を見られたくないという気持ちも吹き飛んでしまったようだ。


「なんでも言うこと聞くって……。兄さんの性格の悪さ、分かってる!? 絶対無茶な要求をしてくるわよ!」


「大丈夫。大丈夫。勝てば問題ないから」


「勝てばって……あ、頭痛くなってきた……」

 

 由姫は頭に手をあてて、ふらりと体を揺らした。


「大丈夫か? 風邪のせいか?」


「貴方のせいよ!」


 由姫は深呼吸をすると、真面目な表情で


「ねぇ、その作戦?で、兄さんに勝てる確率はどれくらいなの?」


「そうだな。八割は勝てる」


 俺はにやりと笑いながら、指を八本立てた。


「そ、そんなに?」


「…………いや、待てよ。やっぱ七……いや、不測の事態も考慮すると六……? 準備の期間もほとんどないし、やっぱ五かも……」


「どんどん自信無くなっていくのなんなの!?」


 いやだって、成功する確率とか算出できないし。


「まぁでも、三割くらいはある! それは保証する!」


「三割って……失敗する確率の方が高いじゃない」


「でもさ。もし、あいつに三割の確率で勝てるって言われたら、どうだ?」


「それは……」


 由姫の体が硬直する。そしてしばらく考えた後、布団をきゅっと握りしめ、まるでおもちゃを前にした子供のように目を輝かせて言った。


「ときめくわね」


「だろ?」


 由姫の目に光が戻っていく。彼女ははっとした表情を浮かべると恥ずかしそうに俯くと


「なんで私、あんなに弱気になってたんだろ」


 そうぼそりと呟き、ぱちんと自分の頬を両手で叩いた。


「あーあ。なんか、悩んでいたのが、馬鹿らしくなってきたわ」


「そうか。俺のお陰だな」


「そうね……ありがとうって言いたいところだけど……」


 由姫はぎろりと俺を睨みつけると、すぐ後ろにあった枕をむんずと掴むと


「まずは部屋から出て行きなさい!」


「ごふっ」


 顔面に枕を投げつけられ、俺は彼女の部屋から追い出されてしまった。

 彼女の枕はシャンプーの良い匂いがした。


 俺が反省して廊下で体育座りをして待っていると、扉の向こうから、しゅるりしゅるりと衣服の擦れる音が聞こえてくる。


 そして、勢いよく開けられ、私服に着替えた由姫が飛び出してきた。


 その表情に弱弱しさは一切感じられない。自信に満ち溢れた、俺の良く知っている、彼女だった。


「その作戦。詳しく聞かせて」

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