第2話 一つ目

 昨日の先輩との会話から、待ちに待って、ようやく放課後になった。たった四時間しかない授業すら長く感じたけれど、今となっては全てどうでもいいほどの開放感だ。

 好奇心に狩られて三年生教室まで走る。


「先輩っ!」

「……おいおい、流石のボクも恥ずかしいよ」


 呆れたように額に手を当てながら言われるけれど、やはり他の先輩たちからは気にされていないようで、だから僕はあまり恥ずかしくない。

 先輩も本気で思っているわけではないようで、ふふっと笑っている。


「ここも三者面談で使うらしいから、どこか使わない教室にでも行こうか。ちなみに聞くけれど、君の三者面談は今日じゃないよね?」

「はい。来週です」

「ならよかった」


 先輩がカバンを持って小走りで廊下に出てくる。着いてきてと言われて、この階の突き当たりにある教室まで進んで行った。

 そこは見たまんま空き教室で、机と椅子が後ろ側に寄せられていた。勝手に使っていいのだろうか。


「安心しなよ。ここでお昼を食べている子もいるんだ。少し使うくらい問題ないよ」

「そうなんですか」


 先輩が教室の隅にカバンを置き、僕も同じようにそこら辺に荷物を置いた。

 教室の後ろ側で、机の上に上げられている椅子を中央に用意している先輩を見て、自分の分は自分で持ってくる。

 対面するように椅子を並べて座ると、先輩の手には昨日のノートがあった。


「さぁ、準備はいいかい?」

「はい、もちろん」


 答えると、先輩はそれっぽい雰囲気をつくって、ノートに書かれた文字をなぞりながらゆっくりと言った。


「七不思議の一つ目。放課後に屋上の扉を潜ってはいけない」


 お互い内容は知っているから、驚くようなことはないけれど、しかしここでノーリアクションというのも興醒めだろうと思って、派手に反応してみる。


「わお!」

「……気を遣ってくれなくていいよ」

「すみません」

 

 先輩が足を組んで、さて、といつもの決まり文句で始める。


「それじゃ、まずは考えてみようか」

「行かないんですか? 屋上」

「こらこら、好奇心と行動力を一緒にするものではないよ。好奇心ゆえに考えて、それを解明するための行動力だ」

「そうなんですか……」

「結果的にはこっちの方が近道になることが多いんだよ。怪談話なら、なおさら」


 先輩がノートを一枚めくると、次のページには「屋上」と書かれていた。既に書いてきていたらしい。


「おっと。最初に言っておくけれど、ボクは答えを知っているから、できるのはお手伝いと答え合わせだけだよ」

「そうですか。まぁそっちの方が楽しいか」


 それでこそ、とでも言うように小さく笑うと、シャーペンの上のキャップをカチカチと押して芯を出す。


「まずはなぜ屋上なのか考えてみよう。ボクは怪談話は好きだけれど、しかしその手の話について博識かと言われればそんなことはなくてね。音楽室や保健室なら知っているけれど、屋上にまつわる怪談は知らないんだ。君はどうだい?」

「僕も知りませんね。そもそも僕は怪談自体をあまり知りません。怪談が僕の好奇心の的というだけですので」

「そうかい。なら、ここからは妄想でも構わないよ。屋上の怪談、君は何だと思う?」


 そんなことを聞かれれば、きっと誰もが同じことを思うのではなかろうか。


「飛び降り自殺した生徒の幽霊、とか?」

「うん、いいね。それで?」

「ええと……飛び降りたのが放課後だったから、その時間になると屋上に出た人をあの世まで連れて行く、なんてどうでしょう」

「想像力豊かだね」


 小馬鹿にされているような気がするのは、僕の被害妄想だろうか。先輩が微笑ましそうに笑っているから、きっと本当にバカにされているんだろう。

 先輩は、さっきまでの会話のキーワードをいくつかノートに書いている。


「しかしだよ。ここで一つ、実際にはもっとあるけれど、一つだけ変なところを抜き出すとすると。『屋上に出る』のではなく、『屋上の扉を潜る』というところなんだよね」

「扉を潜ることで何かが起こる、ということですか?」


 言われて気づいた違和感を先輩に投げかけてみると、嫌味でも言うように意地の悪い顔で言われた。


「答え合わせを求められているのなら、その期待に応えさせてもらうよ」

「……お願いします」

「本当は扉を潜ることには何の意味もないよ。川を跨いだりトンネルを抜けたりすると別世界、なんてことも少なくないけれど、この怪談はそういう話じゃない」

「それならさっきのはなんなんですか」

「ボクはたしかに手伝うとは言ったけれど、だからと言って教えてあげるだけではないよ。ボクが答えを知らないと想定して、ボク自身が言いそうなことを言ったまでさ」


 なんて面倒くさい。そんなことされたら、先輩の言葉の全てがミスリードに聞こえてしまう。いたずら心なのか遊び心なのかわからないけれど、どちらにしても厄介極まりない。


「それでは、実際に屋上に行ってみようか。楽しみだね」

「そうですね」


 空き教室から出て、屋上の鍵を借りるために職員室まで向かう。

 その道中で、先輩に聞いてみた。


「ちなみに、先輩が調べた二年前は、屋上で何か起こったんですか?」

「いいや、何も。今のように、何が起こるのか不安と期待を胸に抱いて行ったけれど、そんなのは杞憂に終わったよ」

「?」


 結論から言って。

 三者面談中でいつもより先生の少ない職員室に行ったけれど、大した理由もない僕らは、屋上の鍵なんて借りられるはずもなく。

 代わりに屋上の扉の前まで行ってみたが、もちろん何も起こることはなかった。


「ほら、杞憂だっただろう」


 そんなことを言われて不貞腐れ、さっきの空き教室に戻った。


「あれ?」

「あらら」


 空き教室はさっきまでと同じであるはずなのに、なぜか、僕が座っていた側の椅子だけがなくなっていた。

 正確には、僕が持ってきた椅子が、持ってくる前の机の上に置かれていたわけだから、「なくなった」というよりは「戻った」というべきか。


「誰かが来て片付けちゃったのかな。ほら、新しい椅子を持ってきたまえ」

「……はい」


 誰かが片付けたのだとしたら、先輩の椅子だけ残っていたのはおかしいのでは……?

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