第3話

 体育の後の授業は国語だったけれど、予定通り国語の授業が行われることはなかった。突然先生が学活の時間にすると言って、みんな机の上に出した国語の教科書をロッカーの中に戻した。ケンちゃんは先生に言われて教卓の隣に座っていた。みんな、先生が言わなくてもこれから話されることについて大体の予想がついていた。さっきの校内放送についてだろう、と。ぼくは一人で教卓の隣に座るケンちゃんの俯いた姿を見て、心がざわざわとした。苦しいっていう気持ちと、もうひとつ、知らない気持ちがあったと思う。


 先生はプラスチック製の白いカゴから一冊の本を取り出した。バーコードがついているから、図書室の本なのだろうと思った。

「これは杉野くんが図書室で借りた本です」

先生はそう言いながら、本のページを開いて見せた。ペラっと紙と紙が触れ合う音がしたと思ったら、それっきり音はしなかった。「え」と誰かが声を漏らした。ぼくも驚いて声が漏れそうになった。それも、なんだか背中にひんやりとした感触がするくらい、嫌な驚きだった。

「どうなっていますか」

先生が聞くと、一番前の席のりょうへいくんが「えっと、ページが破られています」と答えた。先生は真顔でそうですねと言った。

「図書室の本はみんなの本です。ですから、大切に扱わなければなりません」

みんな、ケンちゃんの顔を見た。ぼくもケンちゃんの顔を見た。先生はこの本を「杉野くんが借りていた本」と説明した。つまり、本を破ったのは、ケンちゃん、


 「ね、そうですよね。吉崎くん」

先生の言葉を、はじめ、誰も理解できなかったと思う。ぼくもできなかった。今の話に吉崎くんは関係ないじゃないか。ただみんな、頭の上にはてなマークを浮かべて吉崎くんの顔を見た。吉崎くんはきまりが悪そうに下を向いて俯いていた。

「吉崎くん、返事をしてください。図書室の本は大切にしないといけないですよね」

そして先生のこの言葉で全てを理解したのだ。本を破ったのはケンちゃんじゃなくて吉崎くんだって。


 その後、吉崎くんは先生に連れられてケンちゃんと共に職員室に向かった。国語の次の算数の授業中にケンちゃんは一人で教室に帰ってきた。算数の授業中に、といっても先生は吉崎くんと一緒に職員室にいるから、代わりの先生がやってきて百マス計算のプリントをひたすらに解いた。その後の給食も代わりの先生と一緒に食べて、五時間目の途中で、泣いて目が真っ赤になった吉崎くんが教室に戻ってきた。吉崎くんと仲良しな井上くんが「なにしてんだよ〜」とからかっていたけれど、次の日に吉崎くんの告発によって井上くんも吉崎くんと一緒に本を破った仲間だということがわかった。二人がケンちゃんの借りた本を破った理由はとても簡単だった。ケンちゃんの喋り方をどれだけ大袈裟に真似てからかってもケンちゃんが泣いたり怒ったりしなかったから、本気でケンちゃんへの嫌がらせを考えたらしい。それがケンちゃんの借りた本をビリビリに破くことだった。借りた本を破ったとなれば、校長先生の雷はケンちゃんに落ちることになるし、学校中で図書室の本を破った悪い児童ってことで有名になる。吉崎くんたちはなぜそこまでして、ケンちゃんをいじめたかったのだろう。それは吉崎くんと井上くん、そして神さまだけが知っている。



○●○



 図書室の本騒動の次の日から、ケンちゃんは学校に来なくなった。持ち主が現れなくなった廊下側の一番後ろの机は、だんだんみんなの物置になったり、休み時間には消しゴムバトルのフィールドになったりした。ぼくのふとした瞬間にケンちゃんのあの目を思い出してイヤな気持ちになった。職員室から教室に帰る時に、ぼくが見たケンちゃん目。悲しいとか辛いとかの感情が何もなくて、ただ真っ黒な色がそこにあっただけだった。お風呂でシャンプーをしているときとか、漫画を読み終わった後とか、習い事への行き道とか、本当に何も考えていない瞬間に、ぼくの頭はケンちゃんのあの目を思い出す。あの時のぼくのヒーロー気取りの恥ずかしい記憶もセットになって思い出すのだから、本当にタチが悪い。


 そして神さまの嫌がらせなのか、神さまの優しさなのか、ぼくは例の事件からちょうど一ヶ月が経った日に、ケンちゃんと遭遇したんだ。

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