第33話

政志の勤めている住宅メーカーのHana Homeは主に、ファミリー層を販売のターゲットにしている。

『快適な暮らし 上質な暮らし 安心の我が家』のコピーでテレビコマーシャルも放送中だ。


安心の我が家をうたい文句にしているHana Homeの社員が、社内不倫で離婚ともなれば、風紀を乱したとして大きく評価を下げる事となる。

そうなれば、エリートコースを順調に上がってきた政志だが、これ以上の出世は難しくなるだろう。


 それに、若く我が儘なところがある片桐は、遊びで付き合うならいいが、結婚となれば、家事にしても育児にしても不安があり過ぎる。

 沙羅と別れてまで、結婚したい相手では無いのだ。

 どちらにしても、沙羅と別れるのは政志にとってデメリットが多すぎる。

 

「ごめん、身勝手なのは重々承知している。でも、俺は離婚したくない。沙羅や美幸と離れたくないんだ」


 焦ったように口にする政志に、沙羅は悔しそうに顔を歪ませた。


「そう思うなら、最初から不倫なんてしなければ良かったのよ。例え、片桐さんに誘惑されたとしても、政志さんが、それに乗った時点でこうなる事を予測できなかったのは、浅はかだったんじゃない?」


「それは……」


 政志は言い淀む。

 『遊びでいいの……好きなんです。迷惑をかけないからお願い』

 始めて誘われたときに片桐から言われた、甘い悪魔のささやき。

 今、考えれば、都合の良い言葉には毒が含まれているとわかる。


 その毒を疑うことなく口にして、酔いしれた政志は、家庭と仕事の両方を失うかも知れないほどの痛手を負うことを、その時は想像もしていなかった。


言葉を無くし、うつむく政志を、沙羅は真っ直ぐに見据えた。


「これは、けじめをつける意味を込めて書いてもらいたいの。政志さんが有責なのは間違いないし、拒否するなら、調停でも裁判でもするから」


 テーブルの上に離婚届を置き、政志へ差し出した。気丈に振舞う沙羅だったが、その手は小刻みに震えていた。

 死を分かつまでと誓ったばずの結婚。その終焉をこんな形で向かえるのだ。

 強気な姿勢を見せても、平静でなど居られない。

 心の中は、悲しみに埋め尽くされていた。

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