第4話 衣装選びで悶着

 〈銀腕の雷戦士〉ことオットーは、ゾーガ神殿でシンに色々と教示してくれた先達の一人だ。

 その異名通り、戦いで失った左腕にミスリル銀を使用した義手をつけた男で、剣技でシンが勝てないと思った数少ない達人でもある。

 左腕が無事であれば最強と謳われたのは、まず、この人であろうとシンは思ったものだった。

 そのオットーは、新たに雷戦士の称号を得たシンに教示や示唆を与える時、口癖のようにこう言ったものである。


『いいかい、若いの』


 オットー自身も二十歳を過ぎたばかりの、充分に若造の範疇に入る年齢ではあったが、彼の経験に裏打ちされた重みによってか、その言いようには反感を覚える事がなかった。

 雷戦士としての称号を得るまでにオットーがくぐってきた修羅場がどのようなものであったか、それは誰にも窺い知ることはできない。

 彼が生まれ育ったカラダウ王国では永く内乱が続き、その中でオットーは家族を喪い、左腕を失い、心や全身に消えることの無い傷を負った。

 だが、それでもこの陽気な若者は自身を見失う事無く、まっすぐであろうとした。

 おそらく、それが世界の秩序を守るゾーガ神に選ばれた由縁であろうとも言われている。

 ゾーガの戦闘神官同士には上下関係と言えるものはなかったが、シンは心の中でオットーを師と仰いでいた。

 シンにとって、苦しい時や悩んだ時の指標とも言えるのが、そのオットーと交わした会話の記憶だった。

 その〈銀腕の雷戦士〉が義手をかざしながら言っていた事を思い出す。


『いいかい、若いの。軍神ゾーガの戦闘神官に選ばれちまったってことは……それは祝福なんかでは無く呪縛のようなものさ。そうして、俺のように、お前にとっての大事な何かを失う事になるかもしれない』


 確かに大事なナニを喪うハメにはなった。

 魔力が炸裂した余波か、未だに室内には風が舞い、その空気の動きが撫でる股間の喪失感は尋常なものではない。

 それを紛らわすように、シンは記憶の中のオットーの言葉に集中する。


『あるいは、その事でお前は自分でも触れたくも無い余計なものを胸の中に抱えちまう事にもなるだろう』


 余計なものを胸の中に抱えると言うより、余計で、しかも抱え込むと溢れるくらいな大きさの胸になってしまったわけではあるが。

 しかし、自分でも触れたくも無い、と言うのは確かだ。

 自分で触ってしまえば、色々と終わりになってしまうと言う自覚がある。


『だがな、それも含めてのお前なんだ。お前がお前である証なんだ。これからお前がどんな人生を進み、どんな姿になっても、雷戦士の称号を与えられ、神聖な義務を負った自分だって事を忘れるなよ』


 シンは、オットーのその言葉を心の中で繰り返す。

 この赤い髪の美女となった若者が半狂乱になったり、自失しなかったのは、その言葉のおかげであろうか。

 どんな事態であれ、まずは現状を肯定する。

 そうして、ようやく行動を起こせるのだ。


(女性の身体になってしまったようだ)

(つまり、ナニが無くなった。だが、現時点に限っては問題無い)

(無くなった代わりに胸が……)

(体型、及び、筋力に大きな変化が認められる)

(即ち、現状の戦闘能力には大幅な変化……著しい低下が発生しているものと考えられる)


 まずはここまでの自分の置かれた状況を把握し、肯定する。

 次に必要な事はこれからの行動指針だ。


(女性化した原因……王子の魔法か)

(しかし、当人にも原因が分からないと)

(そもそもは姿を消す魔法だった筈)

(いや、王子自身に見落としている何かがあるかも)

(まずは、詳細を王子に確かめねば)


 そこまで思考を進め、前向きに事態解決に進もうとしたシンの心は、フィールの方を向いた瞬間に――折れた。


 フィール王子が変化した美しい少女。

 翡翠のような瞳を輝かせたその歓びの表情は、天真爛漫そのもので、つい、つられて微笑んでしまいそうになる。

 その裸身は世俗のものとは無縁の、聖なる神々しさを感じさせ、奇跡的な美を体現していた。

 大股を広げてしゃがみこみ、股間にあてた手鏡を見入っている格好でなければ……の話だ。


「うわぁ。『ネット』では見たことはあったけど、ナマで見るのは通算四十六年の人生で初めてだなぁ」


 成年の儀を済ませたばかりで、今年で十六になる筈の王子が意味不明の単語と共に計算の合わない事を言っているが、シンはそれどころではなかった。


「お、王子ぃっっ!!」


 あまりと言えばあまりの振る舞いに、赤い髪の美女となったシンは堪りかねて怒鳴ってしまう。


「ん? どうした」


 金髪の少女が美しい顔にきょとんとした表情を浮かべて、身体ごとシンの方を向いた。

 手鏡に隠れて肝心なところが見えないのは、シンにとって良かったのか悪かったのか。

 ともあれ、はしたないというレベルを遙かに超える格好のフィールに対し、諸々の感情の結果として顔を朱に染めたシンは、更に声の音量を上げざるを得なかった。


「どうしたではありませんっっ! な、な、何をしているんですかぁっっっ!!」

「何って……細部を確認しているだけだが? 一応、透視の魔法で臓器を確認する限りでは二人とも完全に女性化しているが、こういうものはやっぱり自分の眼で見たいだろ? ああ、そうか。お前も自分の眼で見たいのか」


 フィールが納得したようにうなずきながら立ち上がり、手鏡を差し出してくる。


「結構です!! ……って、そうじゃなくてですね」

「ん~? たしかに自分のはいつでも見られるからな。つまり、お互いに見せ合うと言うことだな」


 側近の騎士と、その主君は全く会話が噛み合わなかった。

 キレそうになる自分を懸命に抑えて、シンは散乱した家具にかかっていた適当な布を拾い上げて、フィール王子に投げつけた。


「とりあえず、いつまでも裸でいないで下さい」


 さすがに、目の前の紅い髪をした美女が本気で怒りかけているのを悟ったのか、フィールは大人しく受け取った布を自分の身体に巻きつけた。

 その次の瞬間。

 巻きつけた布が弾け飛び、少女の美しい裸身が再び露わになった。


「え?」


 金髪の美少女と赤い髪の美女は、呆気にとられて細切れになった布を見つめていた。



             ◇



「変化の魔法が失敗? 発動しなかったと言う事ですかな」


 会話通信の魔道具の向こうで、フィールの指導に当たっているマズィルの魔道士が怪訝そうな声を出す。

 フィールやシンとの直接的な面識は無いが、アクラムと言う名で、声の感じでは老人のようだった。


「いや、発動はしたんだが……どうも、こちらの意図とは別の変化をしたと言うか」


 フィールが応えると、アクラムが少し考え込む気配があった。

 今回の魔法で、透明になるはずが女性化してしまった原因がさっぱりわからないので、その手がかりを掴むために大元となった変化の魔法を教示したアクラムに色々と尋ねる事にした次第である。

 だが、詳細を伏せている為、アクラムの方も要領を得ないようで、通信の魔道具の向こうで困惑しているのが手にとるようにわかった。


「ところで王子……に間違いありませんかな。魔道の固有波動は間違いなくフィール王子のものですが、声がいつもと違っているように思えますが……」

「ああ、いや、そのぅ。の、喉を少し痛めてしまってね。呪文の高速詠唱の鍛錬で無理をしたかな」


 少女の声になってしまった点をアクラムに指摘され、フィールが怪しげな言い訳をする。


「ふむ。まぁ、無理は禁物ですじゃ。さて、お尋ねの変化の魔法ですが……魔方陣に間違いはありませんでしたか?」


 アクラムの質問に、フィールは床に描いた魔方陣を確認する。

 これは大雑把に言うと、円を描いた中に幾つかの区画を線引きし、その区画の中に発動する魔法に応じた古代文字を記述する、魔法を発動する為の仕掛けの一つである。

 後世では魔法発動時に現れる魔法陣と混同された呼称となるが、この時代では「魔法を発動する為の方陣」として魔方陣の呼称が一般的である。


「魔方陣の古代文字に間違いは無い」

「そうしますと、発動時の問題ですな」

「発動時の?」

「はい。して、魔法の対象といいますか、どのような変化を与えようとしたのですかな?」


 そのアクラムの問いに、フィールは若干考え込んだが、ややあって素直に答えた。


「透明な、と言うか、その、見えないようなものに変化させようとしたんだ」

「これはまた……難しいと言いますか、無理な事を試みられたものですな」


 通信の魔道具からアクラムの呆れたような声が聞こえる。


「え? 無理って?」


 フィールが美しい顔に驚きの表情を浮かべた。


「そもそもですが……変化の魔法が隠蔽の魔法と原理が同じ性質のものである事はお教えしましたな」

「うむ」

「厳密には、隠蔽の魔法は変化の魔法を特殊化させたものですじゃ。隠蔽とか穏形とか呼ばれる形態に変化する魔法を持って、一般には隠蔽の魔法と呼びます。逆に言いますと、特殊化していない変化の魔法では対象物を見えないようにすると言うのは無理ですな」

「そうだったのか」

「普通なら、その時点で魔法の発動はしない筈なのですが……話を伺うと発動はしたとか」

「うん。それで失敗したというか」

「そうしますと、発動時に王子が一番望んでいたもの、念頭に置いたものが影響しているのではないでしょうか」


 それまで、その会話を黙って聞いていたシンが口を挟んだ。

 むろん、女の声とばれないように声音を使っている。


「割り込んで申し訳ない、アクラム殿。王子の側近を務めるシンです。私も喉を痛めているので、お聞き苦しいところはご容赦願いたい」

「これは雷戦士殿。先日の浮遊の魔法では災難だったそうで。王子に教示申し上げた身としてお詫びを……」

「あ、いえ、アクラム殿もお役目に従ったまで。謝罪は無用です」


 アクラムはそれでも謝罪の言葉を繰り返し、シンがそれを受け入れたところで話は次に進んだ。


「あー、王子におかれましては、失敗と言われておりましたが――ひょっとして、雷戦士殿にもご迷惑がかかりましたかな。であれば、幾重にもお詫び申し上げるしかございませぬ」

「いえ、ですから謝罪は無用です。しかしながら、王子が魔法発動の対象としたものと、その変化のありようにいささか問題がありまして。お知恵を拝借できればありがたいかと」

「この老骨の知恵でよければ、いかほどにも」

「さきほどからのお話を伺うと、今回の魔法発動時、王子が一番に思い描いていたものが影響していると受け取りましたが、この解釈で宜しいでしょうか」

「そうですな。一応、王子は見えないものに変化と言われておりましたが、見えない状態を思い描くと言うのは難しいものです。ですから、目に見えるもので、なおかつ、意識の下にある……そう、欲望に近いところのものに変化したのではないでしょうか」


 魔法発動時にフィールが具象的に望み、欲望を抱いていたもの。

 それは、言うまでも無く、ナギ神殿の巫女たちの沐浴であり、はっきり言えば若い女性の裸身――女体であった。

 つまりは、シンをも巻き込んだこの現状は、フィール王子の女体への視覚的欲望の産物と言う事になる。

 キリキリと痛むこめかみを押さえつつ、シンはなおも質問を続ける。


「たしかに、そのようですな。それで、変化した状態を元に戻す方法はありませんか」

「意識の下にある欲望を元にして変化したとなりますと、難しい話ですな」


 アクラムは考え込むような声で応えた。


「自分の欲望を制御すると言うのは伝説の賢人でも苦労したとの逸話があるくらいですからな。ましてや、王子におかれましては、桁外れの膨大な魔力をお持ちであらせられますから、その顕現もただ事ではありますまい」

「と、おっしゃいますと?」

「王子が何をお望みだったかは知りませんが、その変化の対象となったものは、あるいは、何かで覆うなどしても、それを弾き飛ばすような勢いで現れるのではありませんかな」

「さすがはアクラム殿。まさに、それが問題でして。何とかなりませんか」

「他ならぬ雷戦士殿の依頼。それにこちらが教授した魔法でもあります。調べてみましょう。少し時間を頂きたい」

「わかりました」

「では、二刻ほど後に」


 ここでマズィルとの通信は一時中断した。

 しばしの沈黙の後、俯いた赤い髪の美女から地を這うような声が聞こえた。


「お聞きになりましたか、王子」

「ひ、ひえ」


 金髪の少女が怯えた表情で後ずさる。

 ようやくに衣服を探し出したのだが、どの衣服も身に纏った瞬間に吹き飛んでしまう為、未だに全裸の状態のままである。

 布製であれ、皮製であれ、金属の鎧の類も試したのだが、結果は全て同じであった。


「まぁ、王子は自業自得と言いますか、ご自分でもお望みだったようですから、いつまでもそのような格好をしておられれば良いでしょう」


 赤い髪の側近の方は、それに比べればマシと言えるだろうか。

 少なくとも、フィールのように衣服が全く纏えないと言う状態ではない。

 しかし、それは上半身に限った話であった。

 つまり、この野生的な印象を与える美女は、騎士の略装、もしくは鎧を着用しても、下半身だけは丸出しと言う、ある意味、全裸よりもいかがわしい格好になってしまう状態におかれていた。

 赤い髪の美女は、へそまでが吹き飛んだアンダーシャツの裾を無理やりに引っ張って、何とか前を隠しているのではあるが、形の良い艶やかな尻はむき出しである。

 ちなみに、金髪の少女の方は全く何もかも隠す気が無いようだ。


「まぁ、女体の神秘って言えば、やっぱり下半身……」

「王子」


 つい、減らず口を叩いてしまった主君を、顔をあげたシンが物凄い目で睨みつける。

 元の穏やかな雰囲気の若者であった時も怒らせると怖い側近であったが、今や野生的で精悍な印象の美女である。

 美人の怒った顔ほど怖いものは無いと言うが、フィールは身をもってそれを思い知った。

 失禁しなかったのは奇跡と言ってもよかった。


 つまり、現在の状況はこういうことである。

 フィール王子の秘めていた、抑圧された欲望が変化の魔法に作用して、王子自身と、それに巻き込まれたシンを女体化させた。

 そして、フィールの膨大な魔力は、その歪んだ欲望に影響され、変化した女体を常に顕在化させる方向で働いている。

 この為に金髪の美少女は衣服によって肌を隠すと言う事が全くできない状態であり、赤い髪の美女の方はその半分、つまり下半身だけがそのような状態にあると言う事になるようだ。


「魔法には疎いのですが、そういうことではないでしょうか」

「ふむ。そういう事なら辻褄は合うな。『表層意識』よりも『潜在意識』とか『無意識』の方が強いからなぁ。つまり、ぼくの『イド』の産物と言う事か。シンの容貌が先祖の女性にそっくりと言う事を考えると、あるいは、この変化の魔法は『遺伝子』にまで作用しているのかもしれないなぁ」


 シンの言葉に、金髪の美少女は相変わらず意味不明の単語を並べ立ててうなずいた。


「ですので、おそらくは王子が元の姿を思い浮かべて再び変化の魔法を発動すれば、我々は元に戻れます」

「あ、それは多分無理」

「何故です!?」


 建設的かつ妥当とも思える提案をフィールにあっさり却下され、赤い髪の美女は憤慨したように言った。


「ん~、ぼくには男の裸を望むおかしな趣味は無い」


 女性の裸を覗き見しようとした、いかがわしい趣味を棚に上げて、フィール王子は断言した。


「それに、シンの元の身体がどうなっているかなんて知らないし、自分の体だって基本的にじっくりと見た事が無いから、細部がわからない。女性の身体構造やあれこれの細部は『ネット』や書物でじっくりと調べたから実物を見た事がなくても知識だけはあったんだが『ホモ』関連は当然スルーしたからなぁ」


 たしかに、フィール王子がシンの身体に関して細部を知っていたら、それはそれで嫌な話である。


「それに、そうやって男に戻れたとして、服がまともに着られないと言う状況がそのままだったら困るだろ?」


 シンは反論できなかった。

 フィールには魔法の才能があり、桁外れに膨大な魔力があるのは事実だが、その魔法制御には少しズレたところがある。

 下手な事をして、おかしな魔力を重ねがけされては現状よりもひどい事になる可能性は大きかった。


「たしかにおっしゃる通りです。元に戻す方法はアクラム殿の連絡を待つとして、まずは衣服の事を考えましょう」

「えー? 見て楽しいんだから、このままでもいいじゃないか」


 金髪の王子は、どういう精神構造をしているのか、女体化した事実への混乱とか、それに伴う羞恥とは無縁のようであった。

 そんなフィールは、シンの至極真っ当な言葉に不満そうに頬を膨らます。

 完璧な外見の美少女がそんな表情を浮かべると、もはや殺人的というべきレベルの可愛らしさではあったが、雷戦士の称号を持つ側近の騎士は鉄の意志で自身の感情を押さえつけた。


「いつまでもこんな格好ではいられません。そろそろ日も暮れますし、何かを羽織るくらいしませんと風邪をひいてしまいます」


 常春のウルネシアと言えども夜間の温度は低く、確かに肌を晒しているにはそろそろ辛くなる頃合であった。


「服が弾け飛んでしまうのは、王子の魔力が今なお影響を及ぼしているのが原因のようですから、魔力を抑制したりする魔道具があれば何とかなりませんでしょうか」

「そういう事なら、前に居たと言う宮廷魔道士の遺物に、その手のものがあったかもしれないな」


 そう言いながら、二人はフィール王子が魔道士の修行を始めるにあたって、宝物庫からこの離宮に移された品物を散乱した家具の中から探すことにした。

 魔封じの宝玉が一つに、封印の呪文をぎっしりと書いた分厚い布が二枚。

 ある意味では貴重には違いないが、そもそも魔道士が居なければ役に立たないものであったので、あっさりと譲られた品々である。

 魔封じの宝玉を首飾りとして身につけ、王子の魔力をある程度弱めた状態であれば、封印の呪文を記述した毛布のような布を纏う事が可能で、ここに至って、ようやく少女の肌を隠す事ができた。

 この二品以外で身につける事が可能なものは、履物や装飾品の類で、その他の衣類は相変わらずにズタズタに弾け飛んでしまう。

 フィールの桁外れな魔力が、その無意識の欲望に基づいて影響している結果なのだが、実に厄介な話であった。

 だが、そうしてフィールの魔力を抑制しても、赤い髪の美女が置かれた、へそから下には何も身につけられないと言う状況は変わらなかった。


「まぁ、これはこれ、それはそれってところかなぁ」


 などと他人事のように言う金髪の主君を心の中で罵倒しながら、シンは試行錯誤を繰り返した。

 まずは、体を覆う衣服の面積を調整してみる。

 この非常に恥ずかしい現象が、フィールの視覚的欲望の影響だとしても、その当人のように問答無用な感じで全身に及んでいないところから、どこか妥協点とも言うべきところがある筈だと見当をつけたのだ。

 その試行錯誤の結果からフィールの歪んだ魔力は、赤い髪の美女の、下半身と言うよりは局部とお尻を露出させる方向で働いているように見受けられた。

 そして上半身をある程度露出することで、その魔力の影響は分散され、衣服の裾の長さはもう少し低い位置まで下げられると言うことがわかった。

 ふと思いついて、フィールに頼んで部屋にあった衣服の素材を耐魔法の性質を持つ銀龍の皮に変換してもらう事にした。

 銀龍の皮も希少な素材ではあるが、草花をミスリル銀に変換するレベルにある変化の魔法は、その希少であり、かつ、加工の難しい筈の素材で作られた大量の衣服を顕現させた。

 中には、フィールが考案したと言う、侍女専用の衣服……王子が呼ぶところの『メイド服』もあった。

 その衣服にセットとなっているエプロンはフリルをたっぷりとあしらった意匠であるが、これがそのまま銀龍の皮となっている。

 現在の加工技術では有り得ない品物であって、見るものが見れば卒倒しただろうし、商取引の対象となれば信じられないような金額になったであろう。

 そうしたことには気づかないシンであったが、そもそもの狙いは当たったようだ。

 ナウザー世界で最も強靭な素材である銀龍の皮も、王子の歪んだ欲望、及び、厖大な魔力には耐え切れず、ズタズタにはなってしまうが、しかし、通常の布よりは若干持ちこたえている感触がある。

 そんな高価と言うには次元の違う数々の衣装を次々と台無しにしながら、シンは更に試行錯誤を重ねる。

 傍から見ると、それは、赤い髪の美女が衣服をとっかえひっかえしては下半身を露出させる行為を繰り返している、滅多に見られない光景である。


「美女のナマ着替えや~、『ストリップ』じゃ~」


 などと、金髪の少女が意味不明の言葉とおかしな言い回しで何事かを口走りながら恍惚として見ているが、シンは無視する事にした。

 そうして、ようやく「妥協点」が見つかった時には、それらの衣服の大半は素材の再利用以外には役に立たないものとなってしまった。


「うーむ、これが限界……か」


 赤い髪の美女が最終的に結論を出したのは、短衣に近い格好であった。

 上半身は袖なしの、肩を剥きだしにした意匠で、裾の長さは足の付け根よりはやや下の位置にある。

 ただし、下着の類は一切身に着けられない。

 試しに穿いてみたところ、、丹念な調整を吹き飛ばす勢いでモロ出しになった。

 結局、何も穿かずに、見えるか見えないかと言う絶妙の位置をキープすれば、とりあえずは、露出するには問題のある部分に対し、魔力の発動を抑止する事が可能であるように見受けられた。


「うん、『絶対領域』ってやつだね。見えそうで見えないギリギリな光景がいいね。その下は何も穿いていないってのが、更に良いね」


 そう言って至福の表情を浮かべた美しい少女がこちらを見つめていた。

 その背後に、一瞬、厭らしい目つきでやに下がる、四十台後半のくたびれた中年男の姿が見えたような気がした。

 むろん、それは単なる錯覚であって、何故にそんなモノが見えたのかと言う疑問を持つ前に、その認識はシンの脳裏から消え失せたのである。


 なんとか問題のある部分を隠すと言う目的は達成したわけではあるが、伸縮性のある素材に身を包んだ美女の姿は、じつのところ、裸でいるのと大差無いような印象である。

 下着をつけない、豊かな曲線を描く身体に、銀龍の皮が申し訳程度に張り付いていると言うのが、現在の彼……いや、彼女の格好である。

 フィールは上機嫌で『キャバ嬢』とか『ボディコンワンピース』などと言う意味のさっぱりわからない言葉を使って形容しているようだが、ともかく、封印の呪文入りの分厚い布をマントのように羽織らなければとても人前に出られたものでは無い。

 シンは大きな溜息をつき頭を抱えた。

 約束の時間を大幅に過ぎて、アクラムからの連絡が入ってきたのは、そんな時であった。


 そして。

 その夜、ウルネシアの王都は希に見る雷雨に見舞われたのである。



             ◇



 昨夜の激しい雷雨が嘘のような、まさに一日の快晴を約束されたような早朝に、執務室でその報告を受けた宰相は、表情を変える事無く聞き直した。


「すまんが、最近、耳が遠くなったかな。もう一度言ってくれんか」

「は、第一離宮を監視していた者から、フィール王子と側近の騎士が出奔したと……」


 そう報告する秘書を、宰相は冷ややかに見つめたまま黙ってしまった。

 気の毒な秘書は額の汗をぬぐいながら報告を続けた。


「じ、時間的には昨夜かと。その嵐とも言うべき雷雨でありましたので、それに紛れて……あ、あと、王子におかれましては隠蔽の魔法を習得されておりますので……」


 宰相は黙ったまま、視線で先を促した。


「え、ええと、追手……ではなくて、そのう、捜索隊は既に百名近くを動員済みでありまして。それと、マズィルのアクラム殿から、変化の魔法を解除する伝説の神具に関しての情報提供をした旨、連絡がありました。おそらく、行き先はアゾナかスラティナではないかとも……」


 満面に汗を浮かべて報告を続ける秘書に、宰相は唐突に言った。


「金貨……そうだな一万枚あたりか」

「は?」

「王子を見つけた者に、金貨一万枚の報酬を出すとの触れを出せ。むろん、周辺各国にも通達せよ」

「は、はい。直ちに」


 慌てて執務室を出て行く秘書の後ろ姿を見ながら、宰相は呟いた。


「惜しい人材……いや、ウルネシアにとっての至宝ともなるお方だが、はてさて、何を考えておられるか。凡庸な身には理解できかねるが、まぁ、凡庸は凡庸のやり方を貫くとしよう」


 そして、傍らの目に付かないように置かれた通信の魔道具に話しかける。


「鑑定は済んだか」

「肯定です、閣下。回収しましたロヴァの花らしきものはミスリル銀に間違いありません。それと、散乱しておりました衣類は全て銀龍の皮です。あらかたが一部細切れになってしまっていますが、これだけでも金貨一万枚では安いものでしょう」


 魔道具から返答したのは、宰相が個人的に雇っている異国の男だった。


「ふむ。王位継承の問題であればウルネシアだけで済んだ話でもあるが……国外へ出奔したともなるとそうも言ってはおれんな。万が一にも他の国に取りこまれては、逆に災いの種にもなるか」


 そして、大陸東方でも屈指の大国を事実上統治している老人は、しばしの時間を瞑目した後に、意を決したように命じた。


「おぬしらも王子を追え。ただ、連れ戻すことが難しいようであれば、おぬしの故郷の流儀に従ってよい。ウルネシアには既に充分な富がある。むしろ、これ以上に国家間の均衡を崩される要因は排除せねばならぬ」

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