第11話 侍女たちの結束


 起床の遅れに伴い、朝食の開始もずらされた。


 風呂から上がったニアナの世話を終えた侍女は、上位の侍女頭にもろもろを報告した。昨夜にあったと思われる出来事、女主人の様子、表情。それを聞いた侍女頭は難しい顔をして腕を組み、たいそう悩んで他の頭に相談した。それでも決められず、とうとう皆で侍女長のもとに寄り合った。

 議題は、当主ウィリオンとその妻の朝食をともにさせるかどうか、である。


 「ご自分からは何もおっしゃらないのね。なら、首尾よくいったということはないかしら」

 

 侍女長はやはり難しい表情を作ってそういったが、侍女頭は首を振った。


 「お世話をした者の言葉では、お身体にもいくつか傷を見たそうです。お辛そうな表情を浮かべられ、時おり、痛い、と呟かれるとのこと」


 傷のことは嘘ではない。背中やら腕やら、あるにはあった。侍女はそれを上長に伝えたのだ。ただ、それは乾燥肌のニアナが痒くて掻きむしった痕である。ふだんの不養生、自分への手入れを怠ったことの報いはこういう場面で出ることになる。


 「鞭うたれたような赤い筋が、いくつも、いくつも……」

 「……そう。やはり、難しかったのですね……。わかりました。では、わたくしが直接、奥様にお話し申しあげましょう」


 そう言い、数人の侍女頭を連れてニアナの部屋を訪れた。

 湯から上がって侍女に髪を触られていたニアナは、鏡台の前で振り返り、慌てて立ち上がった。厳しく眉根を寄せた侍女長の姿を見たためである。


 ニアナとしては、昨夜の失態、初夜の花嫁の心得を全部全編ことごとく打ち捨てた形となったことに大変な良心の呵責を覚えている。ウィリオン本人はいたって気にしていないようだったが、そういう問題ではなかった。

 そのことを何かで知って、ニアナを叱るために現れたのだと考え、彼女は沈痛な表情を浮かべて頭を下げた。その過程でまた頭痛が襲ったから、わずかに顔を顰めた。初めての酒は実にしつこく彼女に付きまとっていたのだ。そのままの形で沈黙し、相手の言葉を待つ。


 「……奥様……」


 侍女長は声を詰まらせた。

 いかにつらい目にあったか、新しい女主人は告げない。どんなにか訴えたいだろう。が、夫を、この家の主を悪しざまに言うこととなるために遠慮しているに違いない。そうして言葉にこそ出さないが、その態度をもって助けを求めているのだろう。

 若いのに、なんと古風な、よく出来た花嫁か。

 感銘を受けたように眉根を寄せながら幾度か、深く頷いた。できるだけ穏やかな表情を作ってニアナに一歩あゆみ寄り、静かに礼をとった。


 「どうか、お心安く。わたくしどもはみな、奥様のお味方でございます。できるだけ旦那様のお気を削がないように配慮してお伝えしたつもりでしたが、わたくしどもの考えが浅すぎたようでございます。申し訳ございません」


 その言葉にニアナは驚いて顔をあげ、かぶりを振った。


 「いえ、あの、その……」


 が、侍女長は柔らかく手を上げて遮り、ゆっくりと頷いて見せた。


 「申されますな。承知しております。奥様……ニアナ様のご心底、しっかりと受け止めさせていただきました。夫を、旦那様をお庇い申し上げるそのお心映え、ほんとうにご立派でございます」

 「……あ、あの……」

 「ですが、しばらく時間を置くことも肝要でしょう。旦那様にとっても、あなたさまにとっても。当家では、当主と奥様はお食事の席を共にされる習いですが、よろしゅうございます。数日は、こちらのお部屋でお出しいたしましょう。奥様のご体調が優れないということにいたします。良いね、みんな」


 後ろに控える侍女頭たちに告げると、みな畏まって頭を下げた。

 が、ニアナが少し大きめの声で、あの、と言うので全員の視線が集まった。


 「え、と……わたしは、大丈夫です。なんともありませんし、いろいろと、その、悪いのはわたしです。ですから、ご朝食は、ぜひウィリ……旦那様と、ご一緒させていただけませんか」


 筋力で口角を持ち上げ、ぎこちない笑みを浮かべながら、ニアナは訴えた。

 言いながら、昨夜のことを思い出している。

 わたしが、死なせない! あなたを!

 啖呵を切り、立ち去る相手を投げ飛ばした自分である。

 酒に潰れて眠り込んでしまい、まして翌朝、二日酔いで朝食を欠席しますなどと言ったものなら。やっぱりあんたはお嬢ちゃんだな、と、あの口調で揶揄われるに決まっている。もう帰れ、とも言われるだろう。

 ここはぜひにも頑張るところである。


 それに、なにも聞けていない。

 冷血公爵。親兄弟を手にかけてその地位を手にし、独断で街の者を捕らえて私刑にかける残虐な男。噂でも聞き、実際にニアナが日中に見たその視線は氷のように冷たく、短く吐く声音は心臓を掴まれるように感じたものだった。

 が、そんな男の、夜の顔……薔薇と狼の巨大な刺青、冷血とは真逆の野性の凄みをにじませた声、花街のごろつきを思わせる口調。

 昼が氷像とすれば、夜は熱を帯びた刀身だ、とニアナは感じている。


 冷血公爵としての振る舞いは仮の姿なのか。あるいは夜の顔こそが偽りなのか。何のために、何を目的に。そして誰かが自分を呼んだ本当の理由、あの男の側にいるように計らった誰かの、その意図とは。

 なにも聞けていない。

 ただし聞けていない理由の大半は、酒を飲んで床で眠り込んでしまったニアナ自身に帰するべきなのであるが。

 

 ともかく、公爵と話したい、夫の口から直接ききたいと、考えている。

 唇をきゅっと噛んで訴える彼女の表情に、だが侍女長は別の感想を持ったようである。


 「……ああ、奥様……」


 侍女長が口を手のひらで押えた。目元が潤んでいる。


 「……今回のご縁談、執事がたの方で取り仕切られ、わたくしどもはあなたさまがどのようなお方か存じ上げずにお迎えしました。ご苦労をされた、子爵様とは離れてお住まいだったということだけ伺っておりましたが、なんと、なんと奥ゆかしい……」


 ニアナが持ち上げていた口角は、さらに引き攣るように持ち上げられることになった。どうしてよいか分からずに、とりあえず小首を傾けて見せる。

 侍女長は目元をぬぐい、大きく頷いた。後ろの侍女たちも同様である。


 「よろしゅうございます。それでは、ご朝食のお席へこのあと、ご案内申し上げます。大丈夫、わたくしどもがついております。もしご気分が悪くなられましたら、どうかご無理なさりませんように。いつでも、お申し付けください」


 そんなに二日酔い、酷いように見えるのかな、と、ニアナは内心で首を捻っているが、それでも丁重に礼をした。


 ニアナの化粧を担当する侍女だけ残してみな退出し、廊下を歩きながら互いにひそひそ声で感想を述べあった。若い侍女はニアナの古風に過ぎる美徳に小さく疑義を唱えたが、多くは賞賛であり、特に侍女長はニアナに心酔したようだった。

 昔の女はみなああして控えめで奥ゆかしかったのです、そう思えばお顔立ちもどこか凛々しく気品もある、わたくしの若いころにそっくりですよ、と侍女長は背筋を伸ばして言い、みな、あいまいに頷いた。


 ただ、ともかくもひとつのことが決まった。

 奥様、ニアナ様のことはわたしたちがお護りする。あの冷血公爵から。

 互いに決然と目を見合わせ、頷きあったのである。




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