第21話
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篠原陽名莉11
「昨夜は見苦しいところをみせてすまんな」そう言って祥子先輩は惣菜パンを頬張る。
昼休み、待ち合わせをしたわけでもないのに我々は再び落ち合った。ベンチに座り遠い雲を眺めていると祥子先輩はどこか含みのある口調で言った。
「これからどうしたい? とりあえず相談に乗ることはできたが、どうも食い足りない。もう少しだけ付き合ってみてもいいぞ」
「私と香月のキャストで映画を撮りたいという話を聞きました」どう答えてよいか分からないので受け流す。
「あまり気は進まんな。そもそも言い出したのは私ではない。顧問が面白半分で提案したのだが、本気かどうかも疑わしい。私としてはストーリーのある映画よりいくつかの映像を繋ぎ合わせて詩の朗読を重ねてみたいんだ。例えばミュージックビデオやテレビアニメーションのオープニング映像、クラッシック・バレエやフィギアスケートでもいい。それらに感動する理由が分かるか?」
見当も付かないので首を捻る。
「ダンスのセンスや映像が重要なのは勿論、音楽自体もそれなりに心地よいに越したことはないが、実は個々の要素はそれほど重要ではない。視覚情報と聴覚情報、それとそれらに対する意味づけがシンクロしたときに感動が起きるんだ。それはつまり擬似共感覚性と呼べるものだと思う。別個に働く器官に繋がりが現れる。それはひとつの驚きである。感動とは驚きの一面であると思う。言葉という形而上のものと視覚情報に繋がりを持たせてみたい。ゴダールが実践したものは映像への言葉の取り込みであったが、私は並列させてみたい。結果は視聴者に委ねる形にして」
高尚であるのか俗であるのかすらも分からないが意気込みだけは伝わった。だが、それを中学生の部活動で実現可能とは思えない。
「そうでもないさ。実のところ特定の役者も必要ないのでひとりでもできそうだ。皆が賛成してくれるとも思えないのでね。まあ今は企画段階で実現するのはずっと先の話さ。それまでは文部省推薦の血も濡れ場もない映画でも観て暇を潰すさ。それともう一つ」そう言って祥子先輩は私を指差した。「君と付き合うと中々よい暇つぶしになりそうだ」
これといったプランもない私に何を望むというのか。五式清一郎の件はおよそ昨夜のストーキングで幕を下ろしてしまったに等しい。彼の苦渋は荷が重い。香月に背負えるとも思えない。せめてひと時の安らぎを与えるために夕食の当番を代わってあげて、少しでも恋人同士の時間を長引かせてあげることしかできないであろう。
「あ」不意に思い出した案件につい声が出た。
「さあ、言ってごらん。何を思い出した?」祥子先輩は革新的な映画のコマーシャルをみたときのような期待に満ち溢れた瞳を向けて、私の両肩を掴んだ。この人物は無駄に勘が良い。
勘違いから五式清一郎のオカリナを預かった顛末を説明する。適当に誤魔化すことも考えたが無駄のような気がしたからだ。
「まだクランクアップとはいかないようだね。ふん、実に厄介だ」
腕組みして顎に手を添えているが、顔には終始笑いを我慢しているような引き攣りがみえる。反省というものを知らないらしい。
どのあたりで話してしまったのかは覚えていないが、剣道に対し情熱を失ってしまったことを祥子先輩は覚えていた。残りの昼休みの時間を使って剣道部に退部届けを出そうという話になった。昨日の虚偽のシンスプリントの報告は長期的にも有効な手段であり、退部できなくとも休部という措置は確実だと祥子先輩は請合った。
職員室で顧問の先生を前にするとさすがに疚しさを感じる。
「リハビリすればなんとかなるとは思うんだがなあ。お前が抜けると団体戦がきついんだよ。ぎりぎり五人は揃っているが戦力的に地方予選から先は進めない有様になりそうだ。お前は中学から始めたくちだが筋もいいし努力家でもある。来年には副将か大将でいけそうな気がしていたんだがな」
「すみません」と頭を下げる。
「怪我というよりモチベーションの問題に見える。勉強の方でも頭が良いのか悪いのかさっぱり分からん奴だと教師の間ではもっぱらの噂だ。クラスで誰一人解けない問題に正解を出したと思えば順位は下から数えた方が早いこともしばしばだ。気分次第でテストの順位が大きく変わっているような気がしてならん」
自分の上履きを眺めながら、これはしくじったと気づいた。
「妹の方はわりに安定して中の上くらいを維持しているんだが」
「妹は関係ありません」我知らずに声が出た。「受験のときはしっかりやりますから」
顧問は温厚な中年教師ではあるが時折一言多いのが玉に瑕である。そして教育者としての矜持を己が眼力の中に見出している。
「もしかしてお前、テストではわざと間違えていたのか?」
一言多いのは算段のひとつのような気がした。否定しようとしなければと思いついたのは一通り焦りを抑えようと躍起になった後だった。
「なんでまたそんなことを。どれほど頭が良くても受験の日に体調が悪いこともある。内申が良いに越したことはないと気づくのはそんな時だ」
「集団って怖いじゃないですか」よせばいいのに私の口は勝手に回りだす。「人より優れたものをみると妬み僻み中傷する。尊敬され尊重されるのはその人の能力に対してではなく感情的に受け付けられるかどうかに掛かっています。付加価値です。私は良い成績をとると僻まれるタイプです」
「剣道では手を抜いていないように感じたんだがな」
「武道ですから」僻まれたら強めに籠手を打ち返せばいい。
「教育者としては実力だけが全てではないと言いたいところなんだが、そうすると勉強に関してのお前の方針を容認することにもなる」先生は皮肉っぽく笑う。「その手の策士ぶりを試合でも発揮できていたらなあ。基本に忠実なのはいいが愚直に過ぎる。あと半年もすれば狡さも身に付くと俺は思っていたんだよ」
他に入りたい部が見つかった時は退部届けを受理する、それまでは休部扱いにしておく、竹刀が振りたくなったらいつでも戻って来い、と顧問の先生は言った。
少しだけ鼻の奥が熱くなる。職員室を出ると祥子先輩が後ろからついてきた。
「惚れた?」
「笑えません」
「私は泣けたね」
「映画で泣いてください」
「泣ける映画がすべていい映画とはいえないよ。でも愛すべき映画ではある」祥子先輩は襟を正して言った。「感情を一方向に操作するのは危険なんだ。そのほかの要素がすべてお涙頂戴の踏み台になってしまう。泣くために映画を観る。それはすっきりするためにポルノを見るのとあまり変わらないような気がしてね。もちろん、泣ける映画でいい映画もある。そういう映画は泣けるからもう一度観る。すると泣けるだけの映画じゃないと気づくんだ。それは踏み台が踏み台に甘んじない映画だからさ。最初から多義的に作られているんだね。もちろん、そんな映画は少ない」
「ポルノを見るとすっきりするんですか」
「男性的一般論ではね。厳密には観るだけではないのだが。乙女は恋愛映画で泣いてすっきりする。陽名莉君はペキンパーやシーゲルを観てすっきりするタイプとみた」
「専門用語を使わないでください。馬鹿にみえます」
「バイオレンス映画の巨匠たちだよ。しかし、剣道を辞めた今となっては見込み違いだったか。陽名莉君のリビドーは暴力によって昇華すると思っていたのだが」
「暴力と武道は違います」
「バイオレンス映画とアクション映画も違う」
「先ほどの理屈でいくとポルノも愛すべき映画になるんですね」
「日本のピンク映画には隠れた名作があるのだよ。ポルノとピンク映画はまた違うけれど」
「分類ばっかり」
「言葉を載せたベルトコンベアが我々の元を通り過ぎ、何処かの彼方に流される。細分化された言葉は終点に辿り着いてやがて忘れ去られる、ピンク映画のようにね。分類することで言葉の寿命が縮んでいくのならば、我々にできることは忘れ去られた古い言葉を一時だけでも復活させることだけだ」
廊下には誰もいなかった。既に授業は始まっている。鐘の音も忘れ去っていた我々は急いでそれぞれの教室に戻った。先生に小言を言われ、平身低頭で席に着き、剣道をやめたことについて考えようとしたが特に感慨はなかった。かわりに椅子の上に五センチほど浮いているような感覚はあった。それも授業が終わると同時に消えた。
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