第16話
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篠原陽名莉6
映画研究部でショートフィルムを作り、どこかで上映するつもりであると香月は話す。フィルムを使わずデジタルハンディカメラで撮影すれば予算もそれほどかからないという。実際にそのように製作されたプロの傑作作品も数々あるらしい。
黄昏時に分校の小さな運動場でキャッチボールをするというのは男兄弟染みているが、私たちは適当な理由を見つけてはこの場所に逃げ込んでいる。出かけるとだけ父に告げると怒鳴り声をあげるようになってきた。どういうわけか、キャッチボールでも鬼ごっこでも理由を告げれば素直に応じてくれた。
「子供っぽい理由の方がいい気がする」と香月は山なりの球を放ってくる。「郷愁に縋りつきたいんだよ。真逆に位置するような」
意味をつかめずに問い返すと香月は無言でグローブを構える。
「陽名ちゃんは強いね。それとも鈍いのかな」といってから顔を伏せる。私の投げた球が棒立ちの香月の隣を通り過ぎ、土手に当たってとまる。
球を追って拾い、そのまま土手に座る。夕日が香月の背中を半分照らし、半分は濃い影をつくる。香月は泣いている。父の気持ちもわかる、とかそのようなことを呟いている。木枯らしが吹いて、伸びて肩にかかるようになった香月の髪を揺らした。私も香月も母に散髪してもらっていた。同じ髪型なのはつまり母がその切り方しかできなかったからだ。今では前髪だけを姉妹で向かい合い切りそろえている。
「それで映画研究部ではない私はその話にどう関わってくるの」意地悪な言い方だったかもしれない。香月や父の態度に私は内心苛立ちを感じていた。もしかしたら化身のせいで人間的感情に疎くなったのかもしれない。
「双子なら特殊な映像技術を使わなくても面白い話ができるかもしれないって皆が」涙声のまま香月は言った。
断ってほしいのだろうな、と思いそれを口にする。惰性でつづけている剣道を理由にするのは我ながらどうかとは思ったが、この会話自体が形式にすぎないのでさして胸は痛まない。
「私には芸術を解する能力がないんだ。面白いと感じることはあるけど、皆みたいに深く理解することができないの。たぶん」と香月は無理に笑おうとしているときのような曖昧な表情を浮かべる。「陽名ちゃんのほうが向いている」
立ち上がり、球を放る。香月は慌ててミットを構えるが取りこぼした。中腰で球を追いかける香月に向かって私は言った。
「香月は今までどのくらい映画をみた?」
「たぶん……、二十本くらいかな」ようやく球を拾い上げた香月は未だ涙目で囁く。「テレビ放送を抜きにすればそれくらい」
「私は毎日千本素振りをしている。その上で先輩の意見を参考にしたり教則本を読んだりして研究している。それでも足りないんだけれどね。文科系の部活でも一緒だと思うよ。数をこなし研究する。その繰り返し。とりあえず、映画を百本みてみればいいよ。その段階で何ひとつ理解できないというのなら、評論を読んでみる。まったく違う意見のものを三冊。それからまた百本。次は撮影技術の本を三冊」
「終わる頃には卒業しているよ」
「娯楽として割り切れば数は気にならなくなる。百本っていうのは例えだよ。才能という言葉は嫌いだけれど、あえて使うならば才能とはいかに楽しめるかだと思う。ロジックを競って楽しむ人もいるだろうけど、映画という娯楽の本質は楽しむこと。違う? 音楽も小説も絵画も、そしてスポーツも娯楽」
香月は球を握ったまま呆けた顔をしている。それから私をまっすぐに見つめ一呼吸ついてから再び俯いた。言いたいことがあるので私に尋ねてほしいときの表情だ。私はグローブを広げ左耳の後ろにあてて、右手は腰に、左足を前に出しやや前かがみのまま目をつぶる。剣道部顧問の先生から教えてもらった、往年のプロレスラー、ハルク・ホーガンのポーズである。
「陽名ちゃんは好きな人いる?」消え入りそうな声で香月は言った。
「気に入らない奴なら山ほどいる」
そう、と言って香月は外角高めに速球を投げつけてくる。なんとかミットで受けた私を香月は忌々しそうに眺めている。それから不意に運動場を出て行った。気がつけば影すらも消えて、夕日の名残を受けて山の頂だけが朱色に染まっていた。
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