第13話

13


篠原陽名莉3



 新人戦を二回戦で敗退し、惰性のままに部活動をつづける私と違って香月は恋の熱病に冒されながらも精力的に映画研究部に顔を出している。活動内容にいまひとつピンとこない私はそれとなく妹に尋ねると、レンタルしてきた映画を観て感想を言い合うだけよ、と簡潔な回答が返ってきた。


「それで部費が出るのなら存外人気のある部活なのかもしれないね」


「五人しかいないよ。顧問の先生が選んだ映画しか見ないから、刺激的な内容のものはもちろん駄目。でもそれほど悪くない。基本的には観賞目的だけど、ときおり会報のようなものも発行するよ。部員が銘々お気に入りの映画について感想なり評論なりを書いてまとめるの。ここで選ぶ映画は自由に決められる」


「香月は何を選んだの」


 境内の方から甲高い鳥の声が響いて香月は体を縮める。鬱蒼とした木々に挟まれた階段に双子が並ぶ姿は見ようによってはオカルト染みているだろうが、香月の方は黒地の退廃的デザインのワンピースで私はジーパンにラグランの七部丈のTシャツなので近づくまで驚くことはないだろう。現代的な双子に神秘性は皆無である。


「まだ悩んでいるのよね。『ガルシアの首』にしようか『遊星からの物体X』にしようか。王道で『気狂いピエロ』。『エル・トポ』もいいな。『ノスタルジア』は祥子先輩が評論を書きたいといっていたっけ」


 知らない映画ばかりだったが題名から判断するかぎり顧問の先生に選ばれることはなさそうだった。どことなく背伸びした印象を受けるのは香月の得意そうな顔のせいか。ふと気づいていった。


「清一郎君が貸してくれるってわけだ」


「お勧めしてくれただけだよ」


 香月は恥ずかしそうに階下に見える分校の校舎と、野球のダイアモンドくらいのスペースしかない校庭を交互にみた。遥か前に廃校になった分校は、数年前までは地区の寄り合い場所となり、夏祭りの相談や子供たちのソフトボールチームが地区大会で一回戦敗退したときの残念会を執り行う場としてそれなりに活躍していた。子供の数が減り夏祭りが消滅し、町が統合され新たにもっと大きな会場で寄り合いを行うようになると、かつての分校はほとんど人が寄り付かなくなった。やがて建物に関する怪談のようなものまで流布されるようになった。


「夜中に灯る光ってのはきっと流れ者が住み着いているからなんだと思うな」と私は分校の青銅色の屋根をみて言った。


「人の声がするって噂もあるよ。でも聞いた話だと声色がひとつだけなんだって。延々と独り言をいう狂人か幽霊と話す霊媒師かで意見が分かれている」


「携帯電話で友達と話しているんでしょうよ」


「ここは圏外だよ」と香月はポケットから携帯電話を取り出して確認する。「ほら」


 確かに駅周辺ならいざ知らず、町はずれの最北端のこの地区では携帯電話の電波は極限られた場所でしか入らない。香月は夜中になると近所の茶畑に出向き、そこでメールのやり取りをしたり電話をかけていたりしている。ここいらでは茶畑が一番電波が繋がりやすいそうだ。


 香月の携帯電話の画面には、本人の了承を取っていないであろう五式清一郎の横顔が教室の窓辺を背景に陰鬱な表情を浮かべ写し出されている。その斜め上の端に圏外と表示されていた。


「私も入ろうかな、映画研究部」


「駄目だよ!」と香月は大きな声を上げる。


 香月は我に返るように俯き、携帯電話を握り締めた。「だって、陽名ちゃん折角レギュラーになれたのに、もったいないよ」


「女子は元々少ないから誰でも試合に出られるんだ。映画研究会に入るっていうのは冗談にしても、それほど剣道が好きなのかどうか分からなくなってきちゃってさ」背中を階段の縁にあずけると七月の午後の太陽が梢の間から覗く。「一年生の一学期だし、軌道修正するにはまだ間に合う時期かなあって」


 何かしたいことはあるのかという香月の質問に対し返答に詰まる。そもそもなぜに剣道を始めたのだろうか。本当は香月と共に同じ部活動に勤しんでも悪くはなかった。そうすれば登校も下校も一緒にいられる。朝練や居残り稽古ですれ違うこともない。


「知ってる? あそこの材木所のそばに木苺が生っているんだよ」


 香月が無邪気に指差す先を見る。ここから材木所の方に顔を向けるとあの山の峰が視界に写りこむ。針葉樹の折り目正しい山並みに囲まれ、円錐形のその山だけが暴力的な岩場と原生林で斑に彩られていた。


「随分前にお父さんとお母さんと一緒にピクニックに行ったとき、陽名ちゃん迷子になっちゃったじゃない。皆で捜しているときに見つけたんだ」


 その時、私は化身に出会った。化身のことは誰にも話してない。


「沢の側に峯田さんの畑があるでしょう。あそこにも沢山生っていた。そっちの方が近いよ」私は別方向を指差し、香月が不用意にあの山に近づかないよう誘導した。


  


 分校に住み着いているのが化身である可能性について考えてみた。外見は十歳くらいの女の子の姿なのでそれほど違和感はないだろう。襦袢一枚という格好はむしろ複雑な事情で家族から逃げてきた不幸な少女のようにも見えるだろう。私は被りを振る。


「私が迷子になった山の側に空き家があるの知ってる? お父さんは色々言っていたけどクラスの子に聞いたらやっぱり一家心中だったらしいよ」


 念のため、駄目を押す。香月は本気で怖がり、陽名ちゃんのいじわる、と連呼した。一家心中の噂は出任せだが、もし化身が住み着くのならあちらの方がお似合いだ。


 階段を上った。境内から社の中の様子を伺う。常駐の宮司もいない規模の小さい神社ではあるが稀に人がいることがあるのだ。誰もいないのを確認してから私たちは賽銭箱の前の階段に腰掛けた。内緒話をするときの約束なのだ。家でできないわけではない。内密なことは厳かな場所がいいだろうと幼少のみぎりに二人で決めた。香月のワンピースの裾に蟻が這っている。黒地の上なので香月は気づかない。薄く血管の浮いた腿に蚊に食われた痕がある。蝉が鳴きだした。


「アリバイを作ってほしい」香月は真面目な顔つきで言った。


 私は鞄からをべっこう飴を取り出した。食べる? と聞くと要らないと応える。


「口裂け女はこれをあげると逃げていくらしいよ。それにしても都市伝説やオカルトの話には女が多いね」


 五式清一郎とはじめてデートする予定だが両親に何と言って出かけたらよいか分からないという。ついては私と一緒に買い物に行くことにしてほしいとのこと。


「友達と遊びに行く、とでも言えばいいのに」


「嘘はいやだよ」香月は足に這う蟻にようやく気づいて指先に乗せる。「蟻、這い、って言おうとした?」


 隣町で自主制作映画の上映会があるとかで、五式清一郎は絶対に見逃したくないと息巻いているが、私は一緒に出かけられればなんでもいいと香月は囁く。


「途中から五式清一郎にバトンタッチすれば嘘にならない、ということかな」


 香月は指先の蟻を鼻先に掲げ同時に頭を下げる。「がとう」


「しょこら、を希望」


 ケーキの奢りを約束させると香月は安心したように階段に手をついた。蟻は潰れたが気づいていない。おもむろに立ち上がると、ワンピースの裾についた埃を手で払う。蟻の死骸はどこかに飛ばされた。「帰ろうか」と香月は言った。木漏れ日のつくる斑な影の中、歩く妹の背中は跳ねるように揺れた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る