第12話

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篠原陽名莉2


 香月は彼氏ができたと言って騒いでいる。私は女の子の日が来ているので祝辞を述べるも、苛立ちが漣のように訪れ、我知らず顔が強張った。


「陽名ちゃんは喜んでくれないの」と香月は笑顔に陰りを射して聞いてくる。


 同じ日に生まれ同じ顔であっても女の子の日は違うんだな、と改めて思った。


「そんなことない。嬉しいよ。今度、家に連れておいでよ」


 陰りは消え、いつもの邪気のない笑顔を浮かべる。同じ髪型、同じ背丈。鏡を見ているのとさして変わりない状況なのに、香月の表情は私にはできない。


「それはさすがに恥ずかしいかな。五式君もいきなり家に呼んだら戸惑うと思う」


「約束を忘れているよ」


 顔を伏せ二段ベッドの下の段で小さく身を屈める妹は平均的な十三歳の女子にしては未だ発育不足だ。もちろん、私も例外ではないのだが。


「せ、清一郎君の都合もあるし。……ねえ、やっぱり名前で呼ぶのは恥ずかしいよ」


「今しがた自分から言い出したことでしょう。どうせ私の前だけなんだから気にしちゃ駄目よ。練習の意味がない」


 五式清一郎は同じ学校にいるはずであるが私は知らない。香月の所属する映画研究部の先輩に当たるというが、剣道部に在籍する私には今ひとつぴんと来ない。文化部と運動部の相互不理解はなによりお互いの無関心により成り立つ。


「まだ皆には秘密だから、間違って名前で呼んだら噂になっちゃう」と頬にかかる髪の毛を触る。「からかわれて仲がこじれたら嫌だし」


 香月は右をみても左をみても五式清一郎なのだろう。一貫性のない主張が思春期の混乱というより初恋の高揚がもたらしているのだとしたら、私には咎める理由がない。未知の感覚について説教をたれるような滑稽な虚飾を纏うつもりはないからだ。不安もあるが香月の笑顔を見るのは悪い気はしない。


 ジョギングの準備を整えると、香月はラジオの電源を入れる。夕食前の日課をそれぞれ始めるにあたり私はふと思いつきを口にする。


「その放送、五式清一郎も聞きたがるんじゃない」


 いわゆる海賊放送というやつで、時代錯誤な試みをする輩はどうもご近所から発信しているらしく、以前、香月が補習で遅くまで学校に残っていたときは家の付近に近づくまで受信できなかったという話だ。携帯ラジオを持ち歩くほど聴きたがるとはいかほどのものかと、過去に一度、聴かせて欲しいと提案したのだが、香月はばつが悪そうに拒絶した。


「それは、そうかもしれないけど」


 歯切れの悪い返事をする香月は、それ以上は口にしない。


 夕食の時間に間に合わなくなると皆に待ちぼうけを食わせてしまう。私は家を出た。


 走り始めて一分ほどすると坂道がある。上りをひとつ越えた辺りで下りは歩く。連続して走るほうが効果はあるのかもしれないが、私の場合は走り始めにわずかの休息を入れることで調子があがる。その後は同じペースを維持しても疲れないのだ。


 折り返し地点は鉄塔を中心にすえた田園で、道は鉄塔の土台のすぐ隣を横切る形で貫き、その先は緩い傾斜がつづき頂上が県境になる。戯れに鉄塔のコンクリートの土台に座り道に背を向け夕暮れの山々をみる。車は通らない。山肌の雑木林には濃い影が立ちこめ、木々が風に揺れる。鳥とも獣ともつかない鳴き声が聞こえた。


 息を整えながら私は、私という形骸を遠くから眺めるような心持ちを抱く。久しぶりだ、と思った。化身との邂逅がもたらした後遺症である。白昼夢に近い。逆回しの映画フィルムのように私の人生が遡っていった。見えるはずのない、第三者からの視点で私が若返っていくのを「これが神の視点というやつか」などと呟きながらぼんやりと眺めた。誕生の瞬間にぱちんと何かが弾け、目の前が白濁する。白昼夢は終わった。     




 科学者の父と幼馴染の母は学生結婚を経て二十年余り、未だ恋人同士を続けている。双子の我ら姉妹が生まれたとき、両親は都市部を避け田舎町に引っ越した。折よく父の勤める研究所の支部がこの町の外れに新設されたとかで、都市部での娘たちの成長の安否を危惧したことも手伝い、二つ返事で転任を承諾した。


 山林と共生するような田舎町ではあったが学校や役場などの公共施設利用者は意外に多い。幾つかの村落を統合してできた町なので土地面積自体が広いのだ。運が悪ければ通学に自転車で一時間以上かかる者もいる。町に一つしかない高等学校は学生寮を設立し学生たちにそれなりの便宜をはかっているそうだが、寮生活に憧れる者や両親との折り合いが悪い者など、町の外や県外からの進学希望者は多いと聞く。偏差値による選別も行われているので学課も多岐にわたり、学生の受け入れ態勢は広く、地価の低さも手伝い施設自体も巨大である。いずれは私たちもその高校に通うことになりそうだと漠然と認識はしているものの、私も妹も寮生活は半ば諦めている。


 ひた隠しにしているが父も母も人間性悪説をもとに行動しており、過剰になりそうなほどの保護欲求は転任をもよしとしていたが、思いのほか人口が多く町の中心地に至っては都市部と変わりない事態に当時は頭を抱えたそうである。それでも居を構えた地区は閑散としていて、半径一キロ圏内の住人の顔はすべて把握できる。山なみと田園と畦の狭間にぽつりぽつりと家屋が点在し、清流にはサンショウウオが住みついている。山葵の栽培を生業としている家もある。父と母は妥協した。


 私たちは町中で一番大きな中学校に通った。いわゆる自転車通学ならば一時間以上かかる運の悪い境遇であったが、幸いこの地区には路線バスが通っていた。乗り過ごすと次にバスが来るのは一時間後なので緊張を強いられるのは否めないが、なにより乗り遅れたと知るや否や父が喜んで車で送ろうと言い出すのが我らの恐怖であった。「なんなら毎日でも構わないぞ」と父は言う。思春期の娘たちにとって学友たちに親の顔を見られるのは恥辱とまではいかぬものの、避けられるものなら避けたい事態だ。そんな小さな事件に一喜一憂する平穏な日々だった。




「今、世界のどこかで誰かが死んでいる」


 夢から覚め、小さな自分を確認すべく口に出してみると、その言葉は呪いのように肌にまとわりついた。死という言葉が時間を現しているように思い、悠久の対照に選んだのだが別の言葉を探してしかるべきだった。


「生まれた、にした方が美しい言葉になる。数学的な言い方をすれば、芸術というものは正の数であるべきだと思う。熱力学第二法則を基準に考えれば、それに対抗しうるエネルギーという存在においてね。もちろん、耽美なものなど、あえて負の数にすることもあるが、それは退屈や停滞に対抗するもので、掛け算をすると正の数になる。真実味を追求するものは観客を不安にする。不安になった観客はそれが現実の姿だと気づき、認識を新たにする。その小さな認識の違いが世の中をわずかでも変えてゆく。異化と呼ばれるものだね。あまねく芸術とは正の数を目指すべきものだ」


「はあ」と気のない返事は虚勢のなせる業だ。相手の第一声から今まで体の震えが止まらず、私は次の句が出せない。そもそも先の台詞はある映画から引用したものを少し変えたものだ。その映画ではもっと卑猥なことを言っていた。


「香月、体を動かすのも良いが、冷やしてしまっては返って健康に悪い」


 冷えたのはあんたの長い話のせいだ、という言葉が心の中だけで反響する間に合点がゆく。震えも止った。同時に、この歳でこの口調はどうなんだと妹の趣味を疑う。


「清一郎君」妹の背中を押すべく——、確認の意味も含み、その名を呼んだ。


 お使いの帰りらしい、無造作な服装がわずかに身じろぎする。そこそこ整ってはいるが陰鬱な顔つきに、泣き出しそうな笑い出しそうな半端な表情を浮かべ、腰の辺りを所在無げな手が彷徨っている。その向こうにみえる自転車の前籠には醤油の瓶が斜めに傾いでいた。


 じゃあまた明日、と五式清一郎はいそいそと後ろを向き、手を振る。県境を背にするということはわざわざ県を跨いでの買い物だったらしい。


 私は再び走り出した。名前を呼んだ時の五式清一郎の反応を思い出し、二人の清い交際に胸をなで下ろした。


 帰ってからこのことを妹に告げるべきか迷ったが言わずにいた。熱に浮かされる妹に余計な混乱を与えるような気がしたからだ。

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