⑳鬼出電入の狩人

「狙撃! 撃っ、っ、っっ――」


 反射とも思える速度で叫んだのは隣の老兵。もちろん、ライフルを構える音はどこからも鳴らなかった。

 口は最期まで言い切ること出来ずにつぐまれてしまう。何故ならも何もない。そう何もない。ガラン君に向けて飛び落ちてきたハズの黒影は、もう跡形もなくなっていたのだから。


「モンスターか!?」


 攻撃を受けた張本人が、コチラに向けて問いかけてくる。顔には先程、アレだけやってウントもすんとも出なかったハズの冷や汗を滲ませていた。


「ゴメン判んない! てか背中は!?」

「大丈夫だ! こっちは問題ない!」


 そう言って彼が見せてきたのは、大きな傷の付いたスキレット。下でガタガタともだえながら、どこかさみしそうな視線を送るキミッヒを見るに、とっさにくすねたらしい。


「……まて。判らない? キミでか?」

「音が全くしなかった! 呼吸どころか、逃げた瞬間も――」


 離れたところから手を左右に振る私を見て、彼は焦りを隠さなかった。その表情は間違いなく、先ほどまであった命のやりとりの最中よりも遙かによく動いていた。


「もう一度おびき寄せる! モンスターなら光ったり騒げば来るだろう」

「いや、待って! 必要ない!」

「どうしてだ、判らないんだろう?」

「うん、確かに判んないよ。はね」


 そう言って私は、彼の足下を指差した。彼がもう一度、黒影をおびき寄せようと姿勢を変えたとき、見えてしまったのだから。間違いなく一人、悪意を持って口を歪ませていた男の顔が、はっきりと見えてしまったのだから。


「!?ッ、~~あぁ、やっぱキミか。諦めたんじゃなかったのか?」

「 "三人" とはな、"全員" とは言ってねぇ」

「……ヘリクツなヤツめ」


 鼻血だらけの顔で笑ったノイマンの額に向かって、彼は軽くデコピンをした。


「無音で尾行、予備動作ナシ、ヒットアンドウェイ、消えるに等しい飛行能力。そしてこの蹴り……なるほど群を抜いてる。切り札というワケか」


「オイオイ俺らが弱いってコトかよ!?」

「事実だろうが。鍋を壊されたくらいで喚くなキミッヒ。見苦しいぞ」

「ありゃスキレットだ! テメー家事できねぇといつか後悔するからな!」

「……キサマに全てやらせてやる」

「あのなぁ、もうガキじゃねぇんだから――


「ずいぶん余裕だな、キミの仲間は」


 下でまた口論を始めた二人に目を細めながら、壊した本人はノイマンの方を見る。モチロン、この二人の口論が注意を逸らし、音を聞きづらくする為の芝居だと言うことぐらい、彼どころか全員が判り切っていた。


「アンタもな、」

「何がだ?」

「良いのかよ。俺と違って叫び声なんて上げないぜ」

「ハッ八ッハ、安心したまえ――


 もう、大丈夫さ」


 不敵に、ニヒルに、怪しげに。

 笑った顔に思わず息を呑む。

 右手に握ったスキレットの残骸から、[ガインッ]と鈍い金属音が大きく響いて、そのまま根元から折れて落ちていったのは、そんな一瞬だった。


 既に手を離していた持ち主の巨躯は、パチンコのようにしなった。そして、再び、音もなく鉄板を蹴り飛ばしていた黒影の脚を優雅に躱した。


 そして、振り抜かれたスネのあたりを握りしめると、


「んぬあッ!!」


 絞り出したかのような低い叫び声をもって、そのまま、パチンコとなった背中の反動を生かして、テントの方に向かって投げ飛ばした。  


「うそ!? 」


 眼前、わずか数コマの間に発生した出来事に思わず息を呑む。ホントはいの一番に反応しなければならなかったはずの耳を持っている私は、今回も何一切聞き取ることが出来なかった。

 だから、うん。ホントは絶対ムリなハズなんだ。もう何度目か判らないケド、彼のこういうバケモノを平気で越えてくる所は、今でも普通に恐怖の対象だ。そのうち雷とか予見しそうだし。


「ぐぅ、む、ぎぃ」


 投げ飛ばされた方向、雑草の絨毯が上、まさか二回目でもう投げ飛ばされるとは思っていなかったであろう黒影は、想像していたよりもずっと "かわいらしい" 声を漏らして転がり、うずくまった。


「まさかコレで終わりじゃないだろう。お嬢さん」


 余裕を取り戻したマウンテンゴリラの問いに、黒影は一瞬ビクッ、と震える。私たちの羽根に似た漆黒の外套はまるで、ヒナを孵す親ガラスのようだった。


「ァダリミダ、ヲダズナヨ」


「……えっ?」


 黒影から聞こえた声に耳を傾けるガラン君。声、そう、声だ。それは確かに音ではなく声だった。獣の叫びなどではなく、何か意思を持って発されている。ハズだ。

 大きさだってそうだ、離れた私にもしっかり聞こえているから小さいわけでも。


 ただ、明らかに文化圏が違う。確信した。


「ノンドゥ、ナステクォネク」

「え、あ、す、すまない。出来ればもう少しはっきりと――」


 相変わらず呪文にしか聞こえない言葉にガマンできなくなったのか、構えを解いたガラン君は、黒影の方へと歩き出す。


「ッイダンベ、マィネサスティヤラ!」


 そして、三度目の言葉があった後、黒影は突如としてパクリと割れ、中から一つの "貌" を灯した。


 青白く、無機質で、荘厳で、不気味な "貌" だった。


 ノドを鳴らす音と共に、ガラン君の脚が止まる。 

 目にしていた全員も、すうっと一つ、息を呑む。

 拳で木をなぎ倒す怪物すら子供扱いしたゴリラですら、それ以上は進めなかった。顕れた "貌" には、それほどの強みが籠もっていた。


 貌には血が通っていなかった。美しい翠の流脈が代わりに流れていた。力強い彫、耳や額のあちこちにちりばむるアクセサリー、そして中央、突き刺すようなまなざしがあった。


 見たこともない、触れたこともない。ただ間違いなく生涯、未知として続くはずだった芸術の終着点が、頂点の結晶が今、目の前でコチラを見つめている。それだけは判った。


「ンバミトゥイラ」

「ああいや、失礼。あまりにも――


 怪訝そうな声で仮面から鳴った声に、思わず彼は謝った。モチロン、何て言っているかは理解できなかったが、ジロジロみられていた声の持ち主が、不機嫌だということだけは、何となく伝わってきたから。


「モブコキャネ!」


 仮面はひときわ大きな声を出した。


 しびれるような緊張があたりに駆け巡って、あたりにいた全員が一度、呼吸を奪われてしまう。

 黒い烏の親玉のような身体がワッと逆立ち、膨らんだ。

 そして、毛玉は突撃した。数メートルばかり前、畏怖すら抱く衝撃に後ずさりしていた男の喉笛に向かって、再び鋭い鉤爪は、再び飛び掛かっていった。


「うぉ!、くっ!」

                                                  

 回避が間に合わない。咄嗟の判断で出した右腕に、毛玉から伸びた蹴りが叩きつけられる。


「おいおいっ!?」


 明らかに他三人ではあり得なかった威力を確信する鈍い音。受け止めた彼の身体が、地面に溝を掘って横に伸びていく。


 ただ想像以上だったのは相手も同じだったようで。毛玉はそのまま仰け反ると、ふわりと反動を逃がすように翻った。



 空を向いて外套から覗いたのは、キミッヒよりも更に青く、深い色をした艶めかしい脚が一本。しかしそれも膝から下まで。ブーツを思わせる紺色の分厚い毛皮に覆われたひざ、スネ、ふくらはぎが、三人とはちがう異質を示す。


 毛皮の先、わずかに覗く小さな指先は、明らかに違う造形をしていた。ソレは脚と言うよりは、まるでヒューマンの手のひらを思わせる、"走る" よりも "掴む" ことを目的とした作りをしていた。


 違和感を感じて、ふと自分の脚もとを振り返ってみる。

 竜を思わせる鱗、強靱な鉤爪、靴など不要な大地を踏みしめる足。


「……違う、よね?」


 そうだ、明らかに違う。私よりも、ヒューマンよりも、更にか細く、華奢で、弱々しいんだから。


 黒いカラスの塊から飛び出たその細足は、不思議な魅力を持っていた。戦いの最中、まるで空に筆を引くような軌道でゆったりと描かれた曲線を、思わず目でたどってしまう。

 ワナに掛かった視線をあざ笑うように、フイに曲線は慣性を放り棄てた。空に浮かんだまま突如として音もなく静置したかと思えば、そのままオノになって。ひゅっと風を切って、目の前の男の脳天に向け、飛びかかった。


「ぐっ!、」


 シンプルなうめき声一つだけ絞り出して、落ち来る影を素早く腕で防いだガラン君。音は軽く、一撃目のようなよろめきも無い。

 相手もソレは把握していたようで、足もすぐに引っ込んだかと思えば、判りきっていたかのように今度は、反対の足で彼の喉元を狙った。


「ふっ、」


 息を吐いて、今度はヒザから崩れ落ちて、溶けるように彼はソレを避ける。間一髪とはまさにこのこと、先ほどの殺意の切っ先すらヘラヘラしながら踊っていた余裕は何処にもなく、柄にもなく彼は必死の表情で細脚二本の、空を舞いながらの連撃を裁いていた。


 ただ妙だ、最初の一回のような威力を感じない。というか、この翡翠の仮面には、傘のような黒足には、目の前のゴリラとやり合う力はおろか、私と腕相撲する力も無いのではなかろうか、きっと。


 いや、無い。これは疑念じゃない。確信だ!

 だってそうだ、背中掴んで飛んで、落っことす。空を飛べない相手に対する極めてシンプルな一撃必殺に、彼女はまるで手を出さないのだから。


 手を抜いてくれてる?――ワケがない。そんな心拍数は聞こえない。

 ただその翼とも似つかぬ黒い羽織で、重力を誤魔化しながら、まるで糸で吊られた人形のように彼に蹴りを浴びせる。彼女はソレを繰り返す。何故かはわからないケド、


[ガインッ]


 安堵を醸す違和感も束の間、鈍い金属音が彼の手と彼女の脚の隙間より響いた。

 

「う”っ、」


 こぼすように一音、鈍い少女の悲鳴がかすれて

。カラスの群れは遂に打ち解け、よろけ、そして。地に落ちた。


「お~~痛って、」


 わざとらしく手を振ってベロを出したガラン君。額には汗も、頬にはかすり傷も見えたけど、どうやらまだまだ余裕そうだ。


「タゲスネ……」


 ぼそぼそと何か呟きながら、カラスは再び起き上がる。フラフラとよろめく様に、結構な疲労がたまってきているのが伝わってくる。


「ん?、降参か?」

「んア?」


 反射でコチラを向く仮面。間違いない。今の声は怒っている。


「カチャクチャスグ……キミャグルジャ!!」


 仮面を額に上げ、外套を脱ぎ捨てて、張り裂けるような剣幕で叫んだ。

 全てを露わにして、カラスに包まれていた正体は今、私たちの前に、その全容を顕した。



「なッ、ハァ!?――ッ、なぁ!」


 素っ頓狂な悲鳴を上げて目を手で覆ってうずくまった。


 それは彼女じゃない。彼女の目の前、わずか一秒前まで若干悪役味すらある顔でたたずんでいた大男だった。


「ドシタ? ハラジニラメグベ?」


 覚えのないダメージを受け情けなくよたれる男に、首をかしげる元カラス。どうやら、というか間違いなく自覚がないようだね、コレは。


 "暴力"


一言で言ってしまえば間違いなくそうだ、ソレが一番適切な表現?なんだと思った。


 車を引く奇蹄獣の尾みたいに真っ直ぐと、頭の上でまとめられた腰付近まで伸びる黒髪を、彼女はぶんと一回振って。目の前でうずくまる男をもう一度、どこか探るように睨み付ける。


 翼竜を思わせる、細い腕と薄い皮膜で構成された、外套と同じ夜色の翼、先ほど見えた膝下と同じような毛で、まるでマフラーのように覆われた首元。頭の上から伸びる、大きく丸い、髪と同じ色の耳。想像していたよりも更に細く、長い脚。


 彼女はありったけ空を飛んできた、間違いなくこの場に居る誰よりも世界の色を多く知っているハズの私でさえ、見たことも聞いたこともない種属だった。

 夜の化身だと、そう言われても信じてしまうほど、黒の似合うヒトだった。


 けど、そんなコトどうでもよかった。


 すべてどうでもよくなるほど、美しかった。


 

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