⑫ネタバラシであります

「なんでもない」


 そうだ、なんでも。何でもないんだ。言い聞かせるようにそう呟いた。


 喉の奥に引っかかっただけのソレを、私は忘れるように、押し戻すように、少しだけぬるくなったお茶で流し込んだ。



「で、結局ここってどこなの? さっき訊いたけど」


 不器用に切られた甘酸っぱいサンタローザをかじりながら、先ほど外国語の教科書の一ページ目並みに情報のないまま終わってしまった質問の続きを、横で茶をすするおばぁちゃんに尋ねる。


「さっきも言ったじゃろ、凍った町。ツヴァイシーじゃ」

「ゴメン、どこ?」

「グレイツェルン民主共和国の端の端。まァ、と言ってもこれより先は全部未踏領域、国境には面しとらんがの」

「ナルホド……」


 とりあえず国に入ること自体は成功していたことに安堵しつつ、ココがまだまだ目的地には遠い辺境の地であることを理解する。


「"凍った" てのは?」

「窓開ければ理解わかるぞい」

「届かないであります! ら、ガランくん!」


 まだ少し呼び方に慣れない私にハイハイと微笑みながら、絆創膏が増えた大男はすぐ近くの窓をバタンと開けた。


 その瞬間、私の羽毛にビュウと飛びついたのは、"白" だった。


「は!?、寒ッ!!ナンデ!?」

「ふふふ……予想通りすとらいく


 窓の向こう、突如として 押し寄せてきたのは "白銀" の一枚。


 うすら寒いギャグでニタ付くおばぁちゃん。妙に腹立つ眼前の顔に頬を膨らませながら、私は今更ながら、出された熱い飲み物を違和感なく受け取っていた自分のおかしさを思い出していた。


「どうなってるの!? 今って確か夏だよね? セミ鳴いてたし」

「六月じゃな」

「だ、だよね!?、え、じゃなんでさ?外雪舞ってるんですケド」


 セミどころか大半の虫の寿命を三分ぐらいにしそうな気温、ちりちりと舞う粉雪。髪染めすら叶わず丸刈りにされた木々、パラパラと残るは刺々しい針葉樹……

 温度計をそのままひっくり返してしまったかのような異世界だ。明らかに夏の北半球が出力してはいけない外の景色を、手元でボロボロになった四日前の記憶と、何度も何度も間違い探しするように見返した。


 三度見にしてようやく間違いを一つ見つけた。それはこの二枚の絵で間違い探しをすることが間違いだという事実だった。イチゴがいくつ乗ってるかを探すから面白いのであって、グラタンとスパゲッティを比較することに喜びを見出すほど、私の気は振れていなかった。


 ハードルが低すぎて星の裏側から生えてきてしまったような難易度のミッケを強引に折りたたんでは、やつれた顔でゴミ出しの日を待ちわびる私。横でひとしきり観光客のヘンテコな反応を楽しんだ後、ようやく物好きな老婆はガイドの旗を持った。


「標高2500メートルの高地をムリヤリ切り拓いたツヴァイシー。周りの山々が暖かい偏西風をせき止め、海からも非常に遠いこの地域は、一年を通して非常に寒い気候が続く。まぁ他にも色々あるらしいがの、」

「ながい。どゆこと?」

「ここの夏は氷を溶かせん。ま、イカレとるっちゅうことじゃな。ふぇふぇふぇ」


 なら住むなよ、どう考えても避難区域でしょうよココ。

 出掛かった声を手で塞ぎ込む。スッと細められたその瞳が、言葉のキャッチボールを知らない目だと気付いたから。その目を、ドッジボールが得意そうな目を、私は知っていたから。


 ただあからさまに顔をしかめ、口をとがらさえた私をのぞき込むように怪しく、その抜けた歯から音を鳴らして老婆は笑っていた。目の前で常識の辞典を一生懸命開いては見ず知らぬ外来語に苦悶する私を、彼女は確かに愉しんでいた。


 ナルホドどうして。九死に一生を得たつもりが、まだ十死になっていなかっただけらしい。


(チョット、どういうことさ?)


 逃げるように隣へ目をやる。死んだ目を浮かべたまま、先に聴いていたであろうもう一人の死んだ魚の目の持ち主に囁いた。


(来て思い出したよ、ツヴァイシー、古名をフリューヅェレン。キミを阻んだ紛争における、最前線の一つさ。気候が気候な分、本当に様子のおかしいもう片方レインスよりはマシだが、住民の大半は軍人かハンターだ。モノとか絶対くすねるなよ)

(先言ってよぉ……)


 おいおい、私はクーポンを持ってるか訊いたんだ。誰もミスジステーキを頼めだなんて言ってないんだ。どうするんだ、財布の中身ほとんどないってのに。


 見てるかいカミサマ、良いよ。言って。まだココが冥府の最寄り駅だって言われても受け入れるよ。

 

 絶句しながら隠す気もなくため息をこぼす。これから待ち受ける災禍を忘れるように、窓の奥、少し強まってきた粉雪を眺めた。

 


「で、そろそろオンシらのことも訊きたいの」


 お茶の熱さにも慣れた頃、へりくだる私に反比例して朗らかになったおばぁ様が口を開いた。


「なんですかぁ?」


 わかりきっておきながら逸らした。まぁ、多分感づいてはいるんだろうけど。


「別に不法入国者なんて見慣れとるぞ」

「え、そうなの!?」


 あのささやきをもらってからと言うもの、棒高跳びくらいには高まっていた警戒心。それが突然パチンと、輪ゴムのように切れるものだから、思わず肺をひっくり返すほどの大声をだした。


「そらぁ、こんな最果ての町、観光客なんて来んわ。それに――」

「それに?」

「オンシら、あの山越えて来たじゃろう。悪いがその時点で出身地なんざ一つじゃ」

「あ、そっか。面してないもんね。てかその言い方だと多いの?、密入国者かんこうきゃく


「……まぁ、ぼちぼちの」

「ちょっとぉガラン君きいてるぅ~、お仕事ちゃんとしてくださいよ~~」


 煽る気しかないナメた顔で彼の方を向く。しかし期待したリアクションとは裏腹に、彼の顔は複雑な、どこか悲しげなモノだった。


「ン?訳あり?……あっ、もしかして亡命とか?」

「違うさ、ただ――

「ただ?」

「私たちは、市民の命を守るために働いていた」

「んなこたぁ知っておりましてよ」

「……そうだな、ありがとう」

「煮え切らないな~~どうしたのさ?」


 どこか濁そうとする彼の口ぶりにますます首をかしげた私。彼は一呼吸置いた後、ようやくその重い口を開いた。


「救えんよ、死にたいヤツの命までは」

「そ、ソレって――……


 どうしようと横を向いた。言失言した時の政治家の気分だ。いや、まぁ、配慮が足りないと言われましてもおっしゃるとおりなのですが。


「ワシが喋ったのは、オンシらが初めてっちゅうことじゃな」


 ただオロオロと言葉を集めてはこぼしていた私をみかねてか、少しだけ真っ直ぐを逸れた言い方でおばあちゃんは呟いた。


「な、なるほど、」


 更に小さい声でそう呟くと、立ちこめた静寂を土曜の昼下がりにでもしてしまおうと、私はお茶をすすった。わざとらしくすすった。


「で、話を逸らすでない! 何モンなんじゃオンシら」


 そのまま終わって行くかと思われた会話に、そうはさせまいと目を見開き、声を強めたおばあちゃん。あぁそうでしたと私は急いでカップを置いた。


「ごめんごめん、私はアンヌ、アンヌ・レヴァンナだよ。出身は――まぁどっか南のほうで、仕事は運び屋やってます!」


 わざとらしく敬礼して見せる私。ソレを見た彼女は、何故かフッと吹き出した。変では、ないと思うんだケド、


「あーナルホド、運び屋か。まぁ別に今更パスポートがどうしただの詰める気はないがのう、は、流石に没収させてもらったぞい」


 少し呆れたような笑みを浮かべながら、懐から布で包まれた小荷物を取り出す彼女。 あーそういえば。と今更ながら毛布をめくり、何も付いてない太ももを確認する。


 というかアレだ、今気付いたケド私これ裸じゃん。包帯グルグルされてるだけでパンツすら履いてない。何か刺さってるケド――って違う! 無いんだ服が。背中を通さず前を隠せて鉤爪と鱗に引っかからず、且つ尾羽を出せて腰と首で縛れるそんな服が。


 いやあるわけないじゃないか、普段バート専用のホテルみたいなのあるからすっかり忘れてた。

 今更ながらベッドを窮屈に感じ始めていた翼開長5メートルの痴女をよそ目に、おばぁちゃんはポットの置いてあったテーブルの上に、その中身を広げた。


「げぇ!?」


 ソレを目にした途端、口から汚ったない濁音がボロッと飛び出した。ひょっとしたら内蔵もいくつか出て行ったかも知れない。そう思えるほど大きな音だった。


「ま、待って、コレ違うって。開けちゃダメだって。ダメなヤツなんだって!!」


 テーブルの上、表れたのは乾燥された、大量の葉っぱだった。薄い緑で身体に良さそうとはお世辞にも言えない見た目のソレからは、明らかにお茶とかに使える代物じゃない、少し変な臭いもした。


 実際に目にするのは初めてだったけど、職業柄すぐ気付いた。気付いてしまった。

 カニや肉ですら巻末の広告欄ですみっこぐらしを強いられる激動の昨今、植物の分際で新聞の一面を飾る、そんな代物だった。


「ご明察、オンシが太ももに付けとった、頭がスッとするヤツじゃ」


 麻酔銃を食らったような口の動きと蒼白しきった顔で震える私に、地べたでもがくセミに向ける苦笑いを浮かべながら。

 流石におおっぴろげはマズいのか、彼女はソレを再び布包みの中にしまった。


「……ワンチャン合法セーフだったり?」

「アウトじゃよ、つーかこの量 密輸れちまったら首の方スッ、じゃな」

「っぎ、ギロチン残ってるのかよこの国……」


 国境侵犯と脱税でオニオンスープグラタンがもらえる国と壁一枚、当たり前のように お出しされた中世の倫理観に震える私。

 再び向けられる鋭い笑みに、思わず顔が引きつった。助けてもらっといてこう言うのなんだけど、このおばぁちゃん、相当性格悪いや。


「しっかし "運び屋" か。今時のクズは堂々としとるのぉ~~」


「違うって!! えん罪えん罪えん罪!! ダマされたんだって!! チョットぉガラン君! 確かキミ、中身爆弾だって言ってたじゃん!」

「試す必要があったのさ、本当にシロかどうかを。というかキミ、多分ヤクでも運んでたろ」

「は、運ばないし! 運びませんし! てかホラ聴いた? 今言ったよコイツ! そう、そうなんでございます私だまされてて!! ホントはこれ――


爆弾テロはもっとマズいじゃろ。頭おかしいんかオンシ……」

「んぎぃぃぃ”そうでしたぁ!、あ”待って!!通報は待って! 何でもするからさぁ!!」

「どぉしょっかのぉ、」

「ぬぅぃぃぃいえ!!(威嚇)証拠隠滅!! 悪霊退散!!」

「k、コラっ! あばれるでないキズがひら――つぅか誰が悪霊じゃ! 生きとるわギリ!」


 ギリじゃん! と突っこもうとした口を首ごと押し込めるように、ベッドの上で突然興奮しだした患者の頭を、彼女はスリッパで勢いよくブッ叩いた。

 『バコンッ』と大きな音が鳴って、そのまま煙を吐いて私はシャットダウンしてしまった。イヤ、これは……ノックアウトだ。多分、


「すごい音したな。大丈夫か、アンヌ」


 ダイジョウブジャナイヨ。ミリャワカンデショ、


「大丈夫じゃろ、軽そうじゃし」


 ダイジョウブジャナイヨ。カッテニコタエンナババァ、ウゥ、クソ、シカイチカチカ…………


 口からの煙と共に、たんこぶからも湯気を立てながら気絶してしまった鳥女を一瞥した後、老婆は元いた揺り椅子へと腰を下ろした。


「……まぁええわい、どのみち、本気で抵抗されたらひとたまりもないしの、」


 少しばかり神妙な顔をして、視線は隣、図体の割におろおろとだけしていた大男の方へ向かった。

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