⑬不穏の雲

「で。どうすんじゃ」

「……と、言いますと?」

「もう片方の意識が戻るまで。じゃったよな、くん?」

だまして申し訳ありません、私はガラン・ラスタフ。卑しい資本主義のブタ共の養豚場でこっ、警備員をしておりました。」


 申し訳なさそうにペコペコと頭を下げながらも、肝心なところで視線をずらした男の頭を、彼女は先ほどのスリッパで軽く『ぱこん』とだけ叩く。


「そうかそうか、みずぼらしい社会主義の犬小屋へようこそ、バカイノシシ。ただ、その牙を隠すんなら、もうちょっとガールフレンドの教育から始めるべきじゃったな」


「い、いえ、アンヌとは別に、」


「なっ、煉獄のハーデルト攻略に、先も知らぬ乙女を巻き込んだか! クズめ今すぐ憲兵に突き出してボンレスハムに――


「彼女です。将来を誓い合いました! 指輪も買ってあります」


『バコンッ!!』


 曇り無き眼で恥を知らぬスケコマシに、怒りの鉄槌が下される。シュウと煙を噴き、たんこぶを作り、ココまでは先ほどと一緒だった。しかし先ほどを越える威力の重力を受けても尚、男の意識のブレーカーが落ちることは無かった。


「頑丈じゃのう、まぁええわ。で、ゴミくず。こっからどうすんじゃ、さすがにアレ届けるっちゅうなら元いたとこに返すぞ。」


「…………」


「手順一つ飛ばして土でもええぞ」


「…………」


 男は何も返さなかった。いや、返せなかった。


「なんじゃ、ギロチン残っとる国が黙秘権あるとおもったんか」

「ど、どうか……せめて彼女だけでもッ、」


 男は頭を下げた。いや、下げるしかなかった。


「あーもう、ええ。ま、キズが治るまでは面倒診ちゃるわ」

「っ、ありがとうございます!!」

「その代わり――終わったら働けよ」

「もちろん! ぜひ!」


「おお、そうかそうか、コレで言質はとったからな、


「……ハイ、何なりと。」


 深々と下げられた頭が上がり、もう一度目の前の老婆を見つめた男の瞳。そこにもう先ほどの少しあどけなさの残る好青年さはみじんも残っていなかった。

 老婆は一瞬で下がった部屋の気温を誤魔化すように、ぱたりと冬の窓をしめた。


「――、まぁとりあえず、ソレ手伝え。収穫」


 指差さした先、ケガの分を差し引いてもマナーのないバカが食い散らかしたサンタローザの残骸を見つけて。


 男が向けてくる朗らかな瞳。まるで錯覚だったかのように一瞬で断ち消えた殺気の向こう、何を見ていたのか。ああ偉いモンを拾っちまったと老婆は、ハァ、とため息を吐いた。


「しかし解らんなオンシ。目的があるから来たんじゃろ?」

「え、えぇ。それは」

「いや、ん?、――あぁ、そういうことか」

「えッ?」

「何でもないわ、オイ、カラじゃカラ」


「はっ、只今!」


 勝手に疑問符を付けておきながら勝手に納得した彼女に、ひたすら首をひねりながら。ポットを受け取り下僕と化した男は、すでに調味料の位置すら把握したキッチンへと向かっていった。


「案外、出たとこ勝負だったんかのう」


 消えていきそうで中々消えない大きな背中に、一人。誰に向けるでもなく彼女は、そう呟いていた。




――二週間後、



「はいおばぁちゃん! これ! 残りは渋かったかんね、つるしとくよ」

「おぉ頼んだぞ、にしても便利じゃの、その羽」

「TU・BA・SA!! それじゃ虫たちみたいになるから!」

「いっしょじゃろ、」

「ヤ! ヤなの!! 誇りがあるの!」


 何度目かのやりとりに頬を膨らませながら、つぎはぎの衣装に身を包んだ淑女が空を舞う。


 今日は快晴、朝にはダイアモンドダストが見えるような気候もお構いなしに、彼女は村のあちこちを飛び交っていた。


「んじゃ休憩!!メシ!」


 そう叫んで数秒後、もう雲と友達になれる高さまで飛んでいった彼女。丁度受け取った果実の包みを持って、少しうらやましそうな目で、老婆はその背中を見つめた。


「早いの……どうなっとんじゃ、」


 二秒、風だけが吹く。それが独り言ではないということを証明するように後方、最近転職してすっかり麦わら帽子が似合うようになったゴリラが、巨大なカゴを背負いながら現れた。


「流石ですね、汽車も飛行船も形無しだ」

「そっちじゃないわい。オンシも大概じゃが、」

「風邪引かない命知らずって言うじゃないですか、」

「風邪で済むケガか、あれが」


よりかは丈夫だと思いますよ、彼女は」


「……そうかの」



 小さく呟いた後、老婆はいつの間にか用意されていた揺り椅子に腰掛ける。そしていつの間にか用意されていたたばこをくわえ、いつの間にか用意されていた火を付け、いつの間にか出来ていた日陰の中、もう一度、もごもごと口を開いた。


「楽しそうじゃな、農業ソレ

「おかげさまで。向いてたのかも知れません」

「恋しくないんか?、壁の向こう」

「部下を残してきました……、今頃血眼でしょうね」

「なんじゃ、戻るか」

「いえ、戻るわけには生きません。跡形も遺らないので」


「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ、……いっそ永住の地に! とでも言いたげじゃの」

「それも、悪くないかもですな」

「ババアの介護は続くぞ?」

「心配せんでください! サライぐらい最期まで聴きますよ、」


 営業スマイルを崩すことなくホザいた青年の手の甲めがけ、老婆は何も言わず灰を落とした。


「ごっxふぇ! ガぁ!」

「わしゃまだまだザードじゃクソガキ」


「それ何回も流れるのでは……」


 少し線香臭いキスマークに悶絶しながらうずくまる男を鼻で笑うと、彼女は振り返ることなく一度だけ深呼吸をした。


「止めとけ、」

「……どうして?、」

「そのうち無くなるぞココは、」


「過疎ですか?、お任せください。色々押しつけ――いえ頼られていました上、地域振興も覚えがあります。まずは世界一寒い避暑地と豊富な果物のダブルパンチで――


「そういうことでは――


 変なやる気スイッチを押され若干ウザくなった男。老婆は辟易とした顔でその訪問販売員を押し返そうとする。そのときだった。


『ごぉ、ごご、ごぉ――』


 少し積乱雲が増してきていた西の空に、小さなうなり声が聞こえた。一瞬ばかりの青光すらもたらさぬほど弱く、されど確実に、遠雷は老婆の両目に映った。


「来おったか……」


 しわがれた口がわずかに呟いたその言葉を聴くまでもなく、男はそうそうに荷物を片し、靴ヒモを結び直していた。


「まだ遠い。今のうちに入れてきますね」

「いや、ええ。雨は降らん」

「しかし雲が――

「降らんのよ、あの雲からは……雨はな、」


 状況が読めず、イマイチひねった首が戻らない男だったが、まぁ最年長が言うならばと納得してカゴを背負い直す。


 何か違うのかも知れんと雲の方角、一生懸命目をこらしてはますます姿勢がフクロウに近づく男の隣、老いれども鋭さが残る静かな瞳は、遠雷の方角、黒雲の一点を見つめていた。


 睨み付けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る