第転楽章 ぼろきれのはなし

√110 壮絶な光景

 『――こちらシャ●ト特務空――隊、●●NU LE――隊員。応答せよ。応答せよ』


『これ以上の任務続行は不可能と判断、EFAOFB:4TA;T^LGGSAK3あDSっぢ――らの健闘をいの――』


 いつの日か告げられた、ブツ切りのトランシーバー。少しばかりススをかぶって横たわるボロ雑巾は、まるでうわごとのように呟いていた。


 嵐の中に捨てられた、無残な姿。どこもかしこも赤黒く、ボロボロだった。しかしひとりでにワタワタと風を無視しだした右半身に、それがただの棄てられたボロ雑巾ではないことを示した。


 しばらくもがいた後、やがて雑巾はフッと起き上がる。ひしゃげた木の枝……ではない。明らかにダメな方向へ曲がった己が右脚を気にもとめず、バケモノじみた脚力で跳ね起きたのだ。


 立った雑巾はしばらくの間、その場でうつむいたままピクリとも動かなかった。やがて樹上のリスが興味をなくすほどの時間の後で、再び、何かを探すかのようにキョロキョロとあたりを見回すと、突然10メートルばかり離れた場所の大木に向かって駆けていった。


 ガリリと爪を立てる。三本脚でじりじりと雑巾は登り始める。ソレはまるで始祖鳥が滑空の際に行う木登りのようだった。


 華美な翠色の翼は明らかに木登りには適しておらず、力の入らない右脚はズルズルと幹に血のレールを引いていた。道に捨てられたコットンのような銀髪は、木の葉や土埃を巻き込んでぐちゃぐちゃで、ズタズタに破けた衣服からは、少し黄ばんだ水縞の薄布が覗いていた。


 本来持ち合わせていたはずの尊厳など目もくれず、雑巾は登っていった。やがてある程度の高さまで来ると、今度はうめき声を上げながら何かを振り落とそうと力任せに枝を折り、幹を揺すりはじめた。一心不乱なその様には、どこか狂気じみた執念があった。


 バリバリ、ザシャン!!


  けたましい音を鳴らして枝々が割れ、ついに樹上の葉から何かがズトンと落ちてきた。


 『パンッ!』と強く何かを叩く音。本来は地べたから鳴るはずだったその音は、雑巾の右手から鳴った。

 掴んでいる。まるでおもちゃのように、自分よりも二回りは大きいもう一つの残骸を掴んでいる。

 物理法則に中指を立てながら、雑巾はゆっくりと木を降り始めた。しかし途中で流石に参ったのか、最期は滑り落ちるようにして地べたへと倒れ込んだ。


 地面に落ちてすぐ、そっと掴んでいたモノの中心に耳を当てる。息を探して、鼓動を数えて、やっとソレがまだ "人" であったことを確認すると、泣きつくように顔をうずめた。動物が臭いを付けるように頭を幾度かぐりぐりと押しつけ、そのまま数秒間ジッとしていた。


 森が二つの呼吸を見失うほどの静寂があって、虫が止まって飛び立つほどの休息があって、雑巾は一度だけ、大きく大きく息を吸った。


 石を擦ったような声を鳴らしながらその "人" を持ち上げると、ある一点だけを見つめ、そして、歩き出した。


 壮絶な光景だ。


 震えおぼつかない足下を這う毒蛇も、手負いのエモノを見つけ騒ぎ散らかすトカゲの群れにも目をくれず、黙々と歩いて行く。

 テリトリーへの侵入者に警告を叫ぶケモノの咆吼ほうこうも、本来ソレが生きるべき世界では鱗一枚で大騒ぎになるであろう竜が空を飛べども、黙々と歩いて行く。


 何か命令された、首が取れても子供のために巣を作ろうとする羽虫のような動きだった。意識など、とうに無いであろう、それこそこの場で横たわればそれだけで死体だと確信されるような風貌で、自分より遙かに大きい存在を担ぎ上げては、歪な足跡を刻み続けていた。

 ブツブツと再び何か唱えているのが聞こえる。しかし完全に焦点が外れた虚ろな瞳、モノクロの虹彩が、その戯言が脳から来ているモノではないことを証明していた。


 異質に呑まれ慌ただしく草木が吹く森の中、遂に前方、ソレの足取りを止めるモノが表れた。


 ――――地廻竜


 小さいモノでも5メートル、最大種では 30メートルに達するモノも表れる、翼を持たない四足歩行のハ虫類。堅い鱗と木々を跳び交い荒野を駆け回る身体能力、そして何より、変温動物の常識から逸脱した持久力を誇る。この魔境の中、一切隠れるという行動を想定しない怪物であった。


 そんな強者である己の縄張りにズルズルと、汚らわしい足跡を引きずり侵入してきた雑巾に向け、竜は大きく口を開け、木が揺れる程の声で叫んだ。

 羽虫や子ウサギ、果ては他の竜や獅子でさえ息巻いて逃げ出すその威嚇。しかし、一身に受けた雑巾の対応は冷ややかだった。


 冷めた瞳の中に一点の恐怖なく、ただ目の前でガチャガチャと喚くトカゲモドキに対する鬱陶しさで満ちていることに気付いたとき、遂に竜はそのアギトを前に振った。強靱な牙は今、すでに折れかけだった命のロウソクを粉々に噛み砕かんと襲いかかったのだ。


 そして次の瞬間、猛禽が空からエモノを地面にたたき落としたときのような、無慈悲極まりない音がして、トカゲの牙は根元からへし折れた。


 生まれてこの方初めてであろう鳴き声ではない泣き声を荒げてもだえ、消えるように走って行った竜に一瞥もなく。

 雑巾はまた進行方向そのまま、フラフラと直進し始めた。

 

 今にも消えそうなかがり火をともした雑巾の進軍を、止めるモノはもういない。

 食物連鎖のサイクルが遠心分離機のような速度で回転しては、弱者を悉くこの世から濾過する地図の穴あきの中、ソレは確かな異彩を放ち続けていた。

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