⑩夜空を抜けて

 代わり映えがあるのかどうかすら分からない、空と自分の境界すら忘れる亜音速の世界を飛ぶことしばらく。


 もう翼の感覚がない。あれだけ叫んでいたはずの痛みも聴こえない。

 アドレナリンなんて都合の良い物が出始めたと思いたいが、コレを使ってしまった以上、そんなハズも無くて。いよいよ神経が死にやがったんだ。歯医者に行ったら抜くしかないレベルに到達してしまったんだ。



 ――藤波の行軍。


 使う人ではなく、一回使用する度に役所に許可をもらわなければならないほど本来は危険なこの魔法。……まぁ降りないケド基本。殆ど禁忌みたいなモンだし。

 唱えれば最期、なんの羽かなんて一ミリも分からない六枚の黒翅が表れると、大気を術者の五臓六腑ごと二〇臓三四腑位に八つ裂きにして、遺ったボロボロの身体ざんがいを無限の彼方へと連れて行ってくれる魔法だ。……連れて行かれるとも言う。


 ――大丈夫。大丈夫だ。


 朦朧もうろうとする意識でそう自分に訴えかける。自信を付けたくて振り向いた背後は、それこそ蜂の複眼でも掛けたかのようにボヤけてしまっていた。しかし、この速度に着いてこれる生物が居ないことだけは、その一面 霧掛かったような藍色の世界が教えてくれた。


 安心したのか、ココでようやく私の脳裏に心配事が浮かんだ。完全な見切り発車で、とにかく逃げることだけを選んでいた脳が、ついに本来の機能を取り戻していた。


「r、ら、らす、らすたふさ~ん。起きてる?」


 申し訳なさそうな、それこそ友人に帰りの駄賃をせびるような声色で声を掛ける。


「……n、んあ、な。あぁ」

「い、いや~ゴメンね、死神とケンカしてるとこ悪いんだケドさ、……お金って持ってます?」


 比喩じゃなかった。ジョークでもなかった。自分でも流石にバカだろと顔が熱くなった。まぁ元から血塗れなんだが。

 ただ忘れていた。ポーチに入れてた最低限以外、全部テントごと置いてきてしまったんだ。

 いや、まぁ、別にじゃぁテントにはあったんですか?って訊かれたら、無いんですけども。


「……、」


 ラスタフは無言だった。数秒ばかりの間、言葉のキャッチボールがどんぶらこっこと川に流れていったのを、じぃーっと見つめていた。背中に伝わる呼吸が絶句でも失望でもないことを祈りながら、私は返答を待つしかなかった。



「分からん、な。魔法壁に有刺鉄線、地雷に憲兵まで設置した先のレートなんぞ考えたこともなかった」

「あー。そっか、そうだよね。ま、任せてよ! 最悪また闇バイトで何とか――」

「引きつってるぞ、声。」

「アハハ……」


 やめよう。考えても仕方ないこれ以上。


 今は飛ぼう。精一杯を飛ぼう。明日のことなんて明日の私たちに任せれば良いんだ。大体、不法入国に危険物密輸、禁忌の無断詠唱まで全部やったんだ。今更怖い物なんてあるもんか。強盗が逃走中に交通ルール守んないよ、


「少し、寝て良いか?」


 大分ヒドい納得をしてニヤけていた私に、ラスタフが声を掛けてきた。


「ん。あぁ良いよ! ゴメンね起こしちゃって」

「あぁ、悪いが少し疲れた。それにさっきから寝ろ寝ろうるさくて……」

「え、誰が?」

「?、さぁ?、誰だろうな」

「待って、私じゃないよ!」

「まぁいいじゃないか、お休み」

「待て待て待って! 駄目な奴だよソレ ダメな奴!絶対ダメ!! シカトしてお願い! きろ、そなた is Beautiful!!」


 ろうそくの火が消されそうな上の住人をたたき起こす――ことはできないので、肩を掴んでいた手を指を噛んでやる。

 「うおッ!」と野太い悲鳴を上げて、彼は少し苦笑いした。チョット情けないそのリアクションに、私も思わず吹き出してしまった。


 ――なんだろう、ヤケに余裕だ。血まみれのまま雲を追い越すような絶望に、どこか慣れてきてしまっている。


 これがいいことなのかわるいことなのか、それは分からなかった。問題は山積みだし、そのほとんどが解決する見込みすら見えない。


 けど、少しだけ、少しだけ空が、明るくなってきた気がした。見失っていたはずの月の光が、そっと顔を出してきた、そんな気がした。


 ――少しだけ光の見えてきた夜間飛行の決行から、30分ほど過ぎた頃だった。


 ソレは、確かに落ちた。


 "空" という、本来人類にとって見上げる世界。当然、翼を持っていても、飛行船が開発きても、それは変わらない。

 そんな見上げるはずの世界にあっても、変わらず "落ちる" モノがあった。


 そして今、それは今、私たちの眼前に落ちた。


「な、っぅt、っ、なに!!ッ!、」


 暗闇に突如駆け回った閃光、フラッシュバックした青空に、私は目をつむることも忘れて叫んだ。

 しかし声はかき消されてしまう。咽ぶような大気の焼け付く臭いと共に、その正体を知らせる、空を引きちぎるような轟音がこだましたのだから。


「な、なん――――雷!どうして!?、晴れてたじゃん!? え、晴れてたよね!?」


 動揺を隠さずに上へ向かって問い詰める。そうだ、いくらボロボロだからって流石に雨ぐらい気付くはずなんだ。


「一滴も。」

「そんな――じゃぁ、」

「……そういう、ことだろうな、」


 暗い声でそう告げた彼の言葉の通り、前方、天候は明らかに歪みを見せる。大地を癒やす星月夜に我が物顔でツバを吐く、そんな傲慢の正体が迫ってきていた。


 蒼、紺、縹、藍……形容する色が定まらない。この暗闇の世界の中、間違いない "異質" をまき散らしてソレは向かってきた。


 トルネードを彷彿とさせる激しい回転と共にゆっくりと移動する、インディゴを焦がしたような不気味な青を醸す雷雲の集合体。大きさこそせいぜい100メートルほどの小さなモノだが、バチバチと常に周囲へ蒼白の稲光と共に、目を開けるのもつらい程の突風をまき散らしていた。

 写真で見せられただけでも身の毛がよだつだろう。そんな確信を抱くような混沌。空をかたどったパズルピースに、一つだけ魔界の風景をはめたと言っても信じれそうなほど禍々しく、異質 極まりないモノだった。


「ハハハ、さすが未踏領域……」

「違う自然ソッチじゃない! 」


 頭のどこかでは理解しながらも、すがる気持ちもあってとぼけた私に、ラスタフは きつけのように強く叫んだ。その直後だった。


『キョォォォォオオオオオオオ――』


 ――――居る!


 雷雲を掻き分けて、ソレは眼前に顕れた。

 黄金の巨大な翼とトサカ、全身を覆う濃紺の鱗、竜と鳥の中間のような風貌だ。細長く鋭く、びっしりと牙の生えたクチバシ。長く伸びた二対の尾羽。その全てに青白い雷光をまとって、其処に存在していた。


 激しさを増す雷鳴の中、すでに風に囚われ速度を失っていた私たちを前に、ゆっくりと鎮座する。恐怖を飛び越えて神々しさすら感じる眼前の翼竜を、ただ見つめることしかできなくなっていた私たちを、深紅の瞳がスッと見つめた。



 ――深く、心臓を抉られた気がした。



 後のことは覚えていない。二、三回 全身が揺れた後、焦げた臭いが少しだけ。


 傷みよりも早く死を届けに来た霹靂を浴びて二つの命、ゆっくりと地表に向けて落ちていった。

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